漫画『CURE・生きる』の哲学
前邑 恭之介(まえむら・きょうのすけ)
2010.08.22漫画家として活躍されている、前邑恭之介さんのアトリエにお邪魔しました。前邑さんは、2006年春に、漫画家の新人賞として有名な、四季賞を受賞されています。受賞作品の「CURE」は、講談社「月刊アフタヌーン」の2006年7月号付録として掲載され、大きな反響を呼びました。この作品は、事故で左足を損傷した一人の男子高校生が主人公です。台詞は少ないですが、主人公の回りの風景や人の表情がとても丁寧に描かれていて、壮絶な心理状態にあるはずの主人公が、体の回復とともに、少しずつ変化して行く様子が、まるで静かな日本映画を通して観ているように伝わってきます。
この作品の続編が、パブーという電子出版のページで、公開されています。タイトルは「CURE・生きる」(左側の絵をクリックすると漫画が読めるページに移動します)。現在もアクセス数は伸び続けています。 その前邑さんは、大学のときに哲学を学ばれました。漫画表現と哲学について、じっくりお話をお伺いしてきました。どうぞお聞き下さい。

(田中)
哲学の生態に迫るウェブ・マガジン、『Philosophy Zoo』哲学ラジオのコーナ
を担当します田中紗織です。今日は漫画家として活躍されている前邑恭之介さ
んのアトリエにお邪魔しています。
まず最初にちょっと、このコーナーの趣旨をお話したいのですが、若い人々、
とくに10代から20代の方々を中心に、哲学の魅力をお伝えしたいということで、
哲学に関連のあるたくさんの方々の声をお届けしていこうという趣旨で、この
コーナーを始めていきたいと思います。
最初の記念すべき第一回目を、前邑恭之介さんにご協力いただきます。
最初に、ホットな話題として、電子出版で漫画を公開されているということで、
その反響についてお聞きしたいのですが。
(前邑)
あ、どうも、はじめまして。前邑です。
そうですね、反響というところでは、今日の段階でちょうど一週間経ってです
ね、26,000PVという数値になっております。何人が読んだかということはちょっ
と分からないんですけれども、まあ半数だとしても、一万人くらいの方には読
んでいただいているというところでは、わりと雑誌に載るぐらいの。雑誌に載っ
た場合に読んでもらえる人数にもうほぼ追いつきつつあって、さらにたぶん追
い越してしまうと思うので、そういう意味ではやっぱり、ウェブでいつでもだ
れでもアクセスできるっていう状態にしてよかったな、と思っています。で、
あと、読んでいただいて本当にありがとうございます、というところでござい
ます。
(田中)
『月刊アフタヌーン』が、あの付録が出されたときの部数はお分かりですか。
(前邑)
そうですね、たぶん、えーとですね、講談社が、あのー、公表しているたぶん
発行部数が、公称で10万部って言っていて、で、実質は8万部とか7万部くらい
なので。ま、さらにそこから作品によって読まれない場合もきっとあると思う
ので、まあたぶん3万人くらいしか読んでないんじゃないかなというのが。私の
作品に対してですけど。と思いますね。
(田中)
じゃ、いまの電子出版がもうすでに2万いっているというのは、紙で出されたも
の以上に、今後伸びていく。そういう可能性がありますよね。
(前邑)
そうですね。あのー、で、やっぱりウェブだからだと思うのですけれど、たぶ
ん自分が仮にいいなと思ったときに、すぐひとにそのURLを教えれば、あのー、
勧めやすいというところはあると思うんですよね。なんか、雑誌で買って読ん
で、よかったんだけど、じゃあ友達に翌日勧めるかというと、その雑誌を持っ
ていかないとまず伝わらないと思うので、なんかそういうところではウェブは
いつでもアクセスできるというところでは非常にいいな、というふうに思って
います。
(田中)
内容に関して、私も読ませていただいて、あのー、本当に新鮮な驚きがあった
ところが何箇所かあったので、インタビュアーの特権として、お伺いしたいの
ですけれども。最初の一つ目が、統計のお話が冒頭に、電子出版では最初のほ
うにされていまして、ちょっと読み上げたいんですけれども、その部分だけで
すね。えー「一生のうち交通事故に巻き込まれる確率は50%。二人に一人は事故
に遭います。」ということで、この数としては、個人的には多いなという印象
だったんですけれども、ま、それは置いておくにしても、あの、こういう形で
漫画の冒頭が始まるというのは個人的にとても新鮮でびっくりしたんですけれ
ども、これはなんか、前邑さんご自身がドキュメンタリーのお仕事をされてい
たということの影響があるのかな、と思ったのですけれども。
(前邑)
あ、そうですね。たぶんそういうところがあると思います。そうですね、なん
と言うんだろう。最初はなんかこれ、2006年に書いていたときには、こういっ
た要素は本人も想定していなかったし、入れていなかったんですけれども、20
06年に、そのー、雑誌掲載させていただいて、で、そのときの反響を見て、伝
わるひとには伝わっていたんだけど、なんかあのー、「意味が分からない」っ
ていう、何人かレビューも見たことがあって。で、それはたぶん私が悪いんだ
ろうな、と思ったんですよね。で、なんで分かんなかったのかということをずっ
と考えていたんですけれど、あ、交通事故とか怪我をするということがあまり
に自分の生活からかけ離れていると、まあたぶん感情移入できないんだろうな
というところがあって。で、そこらへんですごいギャップを、なんか、認識し
たんですよね。僕なんかは自分が交通事故にあったりとか、あとドキュメンタ
リーの仕事なんかしていて、病院の取材なんかをしていたので、そういうのが
わりと多いことを肌感で知っているんですけれど、一般的には実は知られてい
ないし、たぶんそこでギャップが生まれて、作品が読まれなくなっちゃった場
合があるのかなと思って。で、あらためて調べてみたら、わりとその高い確率
で交通事故に遭うということが分かっていって。で、なんか警察の発表とかだ
と、脂肪、交通事故の死亡数とかって年々下がっているという発表があるんで
すけど、あれもなんか、あのー、統計上のいろいろカラクリがあるみたいで、
厚生労働省が発表しているやつはなんか数字がどんどん上がっている。とかい
ろいろ。まあそれは逸れた話ですけど、あのあいかわらずいまの時代になって
も、交通事故っていうのはぜんぜん減っていなくて、ひとが死んだりとか怪我
をしたりというのがあいかわらずあり続けて。たぶん来年も再来年もずっと問
題としてあると。いうところで、じゃあなんかあのー、そういうところまで伝
えられるように書こうというのが、なんか、あったんですよね。で、なんかあ
のー、で、そういうときに、もともと僕は映画が好きなんですけど、その、映
画の冒頭でちゃんとその事実関係をはっきり言うというような演出を見たこと
があったので、なんかそういうことを参考にしながら入れた、という感じです
ね。
(田中)
なんか、映画のお話いま出たんですけど、もうひとつ映画的だなと思ってすご
くびっくりした点があって。私自身も漫画をたくさん知っているわけじゃない
んですけども、すごく身体を、ソウイチくんという主人公自身の身体をいろん
な視点から描いているところがあって。たとえば術後に主人公のソウイチくん
がはじめて立つシーンがあるんですけれど、そのときに足の裏から、床下から
描かれてある、あの、シーンがあって、これもなんかすごく映画、どっかの映
画で見たような手法だなと思ったのですけれども、それ以上にちょっとびっく
りしたのは、ソウイチくんは、ある意味、前邑さんご自身でもある要素も含ん
でいると思うのですけれど、その彼自身をすごく多角的に描いている。そちら
の行為自体が、すごく何と言うか、アートと言いますか。その行為自体に「あ
あ、すごいな」と思ったんですね。その自分自身を反映している主人公をいろ
んな視点から描いていくという行為が、ちょっとびっくりした点だったんです
けど。
(前邑)
えっと、あ、ありがとうございます。そうですね、これはやっぱりなんか、そ
のー、それだけたぶんずっと考えてたんだと思うんですよね。自分がどこかで。
僕が怪我をしたのは、あのー。あ、ちなみに僕は八歳のときに電車にひかれた
んですけど。それでなにか足が半分くらいちぎれたりしたことがあって、まあ。
で、治ったんですけど、で、治って、本人はもう治ったつもりでふつうに平々
凡々と中学、高校、大学と暮らしていたはいたんですけど、でもたぶんやっぱ
り要所要所で、あのー、「なんでああなったんだろう」とか「あれは結局なん
だったんだろう」というのをすごい考えてたんですよね。で、そのなかで、な
んて言うか、いろんな角度から、その一つの事件みたいなのを客観的に見てい
くというのを、なんかそれを作品化しようとかそういう意思はなく、ただ本人
が気になるからずっと考えてたんだと思うんですよね。検証を続けてた、って
いう。たぶんそれが、さっきも、あのー、ありましたけど、数値のところから
見ていくとか、あるいは客観的な描写として見ていくとか、あのー、一方では
内面の心の独白みたいな、あのー、一人称の視点から見てみるとか、そういう
なんか、ある事件をさまざまな角度から検証していくっていうことに、本人が
なんか人生のなかでずっとやってたんだと思います。なんとなく。で、それが
出ちゃってるんだと思います。
(田中)
なんか、その行為自体がすごい実験的っていうか、「検証された」という言葉
がありましたけど、「じゃあこういうふうに描いてみたらどうだろうか」って
いう実験の繰り返しの痕跡っていう感じがして、まあ作品それ自体ももちろん
すばらしいんですけども、そういう行為自身がとっても、あのー、実験に基づ
く行為だなと思ったところがあって、実体験を作品化していく過程のなかで何
か哲学に影響を受けた部分っているのはあるんでしょうか。
(前邑)
そうですね、多分にあってですね、えー。僕はその大学に入るまでには哲学と
いうものにはぜんぜん触れたことがそんなになかったんですね。まあ、ちょっ
と図書館で手にとって読んだりしたことはあったんですけど、あんまりよく分
かってなかったんですね。でもその、大学に入って、なんていうか、哲学史で
はなくて、本当に哲学していくという。自分で論証をしていくとか、なんとい
うか考えを重ねて、あるひとつのことを追究していくということの、その、実
践的な大学だったんですよね。まあ私が入ったゼミがそうだったのかもしれな
いのですけど、なんかその、哲学の歴史上ニーチェがこんなこと言ってたとか、
そういうことではなくて、そういうのはむしろ捨ててもよくて、あのー、自分
で論証を重ねていく面白さみたいなのを追求することが多くて。で、そこで学
んだ手法なんかは、そのまんま役に立ってますね。だからたとえばその、とく
にこの作品で役に立っているところで言うと、最初のほうなんかはたぶんその
まんま哲学で学んだことが出ていて、あのー、これはなんか、永井均先生とか
がやってることかもしれないですけど、そのー、どこまでが夢でどこまでが現
実なのか、とか、何をもって現実と言えるのかとかそういう規定が非常に曖昧
だっていう問題が、昔からあると思うんですけど。同じような問題が、この『
CURE』という作品とかでは出てくるんですね。で、最初の冒頭のほうで主人公
がその怪我をして、あのー、手術室に運ばれて、でなんか麻酔で眠らされるん
ですけれども。で、眠ったあとに起きて、そのあともいろんな人生が続いてい
くんだけど、そのときに、なんか、僕は明言はしてないんですけど、言葉とか
では。あたかも本当はそこで死んでしまっていて、なんか夢がこう続いている
だけのような感じも残っているというのは、あのー、要素としては入れている
んですよね。なんかそこが明言されないというか、あのー、作品全体は最終的
に、その、あの、回復して、あのー、ある種の幸福になるところまで描いてい
るんですけど、でもよく見てみるとなんかそれが本当は死んじゃってて、ただ
夢を見続けているんじゃないかっていうような解釈もできるんですよね。で、
これは僕がそういうふうに思っているということではなくて、なんか、ひとの
人生というのはそういうふうに解釈ができてしまうというところの可能性を僕
は捨てたくはなかったので、ふつうに入れているという感じなんですよね。な
んかそういうふうに、あのー、何をもって現実を規定していくのかとか、あと
は、これもそうかもしれないですけど、身体のデザインが変わってしまって、
何と言うか、自分が自分であるということを持つための確証が一個彼は崩れちゃ
うと思うんですけど、主人公が。にもかかわらず、私が私である理由は何なの
かというところの問いたてとかいうのもなんかきっと彼のなかではきっと発生
しているんですよね。そういうのも、まあー、哲学の議論としてもちろんあっ
て、あのー、まあなんかデカルトとかは「我思う、ゆえに我あり」とか肉体と
かから離れた考え方をしていくんですけど、なにかそういうのにもわりと、似
た、類似した問題がすごいたくさん出ていて、あのー、そういう意味ではけっ
こう、作品を描いていてぶつかった問いたてで、自分で考えていくんですけど、
で自分なりに解答を考えていったりもがいていくなかで、たまーになんか哲学
の本なんか読むと、わりと書いてあるんですよね、解答が。だからそのまま役
に立っているときがすごく多かったですね。
(田中)
哲学との関係がそこまで深いというのは、あのー、新鮮な驚きだったんですけ
れども、いま身体のお話はあったので、ちょっとそのへんもお聞きしたいので
すけれども、身体が自己意識に対して持つ影響っていう点で、前邑さん自身は、
どれくらい身体って自分にとって意識にとって重要だって思われてますか。
(前邑)
あ、えーと、いまの大人になってしまった僕で言うと、なんかそんなにウェイ
トがないというか、重要ではあるんだけど、そんなにこだわりはないっていう
感じなんですね。たぶんただそれは私がたまたまそういう生活をしているだけ
だと思うんですけど、ただその八歳のときに、そのー、電車にひかれて、身体
のデザインがわりと変わっちゃったときに、あのー、なんかネガティブに悩ん
だというよりは、ただ単純にその、悩んだんですよね。あの本当に、不思議な
問いたて、問題を見つけたぞという感じで、哲学的な問いたてとして悩んだん
ですけど、足がちぎれても、僕は僕だったんですよね。で、それがすごく不思
議だったんですよ、子供ながらに。こう足がちぎれても僕が僕だということは
手足がちぎれたり胴体がなくなったりしても、僕が僕だということになるのか
な、とか、なんかこう、どこまで削っていったら、なんか、私が残るのか、と
か、「私」っていうのは結局どこに残っているものなのかっていうのを、ふつ
うに問いたてとして発見しちゃったんですよね、そのときに。でそれをなんか
ずっと、あのー、別につらい悩みだとかではなく、ネガティブな悩みではなく、
なんか面白いなと思ってずっと悩んでました。悩むというか考えていた感じで
すね。だからまあ、そういうことがなければ、自分というものがどういうふう
に規定されるのかっていう悩みとかは、ふつう人生のなかでそんな持つことが
ないんだと思うんですけど、たまたま私はそういう事件があって、なんかたぶ
ん哲学に近い問いなんだと思うんですけど、そういうのを持つことがあって、
そこからいろいろ考えて、まあ結局、ウェイトがそんなになくなったっていう
感じですね。
(田中)
あのー、実際に作品を公開されて、その感想もいろいろ受けられていると思う
んですけど、その感想のなかにいま前邑さんが仰ったような何か哲学的な問い
を持ったひとが読んでいるな、というようなものってありますか。
(前邑)
えーと、読者のなかにそういう方がいるんじゃないかというんですか。あ、けっ
こうそういうのはあると思いますね。ネットというかウェブ上のそのレビュー
とかもわりと読ませていただいていて。あのー、それでつまずいた方とか見つ
けたら、それに対してその修正を考えたりするんですけど。で、なんかそのー、
レビューを読んでいくとわりとやっぱり哲学的な問いにすごいヴィヴィッドに
反応している方とかは見受けられて。で、それですごく嬉しいなって思ってま
した。そういうなんか、あ、そういう問題を私以外も意外と持っているのだっ
ていうことを確信して、よかったなと。まそれはすごい少ないのかもしれない
のですけど、まあ、いいなと思って。
(田中)
そういう問題意識を、そもそも「これは哲学的問いなんだ」っていうふうに自
覚できるというのは、ある意味、まあ、恵まれた環境がないとなかなか実現し
にくいことだと思うんですけども。ま、たとえば大学に入って哲学の研究者の
もとで勉強してみるとか、そういうきっかけがなくっても、たとえばこういう
漫画をきっかけに「あ、これって自分で考えていることってもしかして哲学な
んじゃないか」とか、そういう新しいチャンスにもなってくると思うんですよ
ね。ウェブで公開していくということで。なんか問題としてみんなで共有して
いくことができたりとか、言語化していく行為を共同でやってくとか、すごく
新しい可能性があるなと思っているんですけど、新しいアイデアってよくあり
ますか。
(前邑)
そうですね、まあ、ウェブであれ、そのー、実際に会って話すであれ、やっぱ
りその、自分なりに論証を重ねてある程度その、自分なりにこれならほかのひ
とにもそのある程度体系が分かるんじゃないかっていうくらい、ちゃんとその
構成まで作って、それをベースに議論したりするっているのはそこから発生し
てまた別の議論とか別の構築物とか作品ができたりすることは当然あると思う
ので。まあ僕の場合は、今回はその、コミックであるという、漫画文法を使っ
た論証の重ね方で作っていったんですけど、まあ別に漫画じゃなくても、文章
であるとか、まあ映画であるとか、っていうので哲学的な論証を重ねていって、
それをまあひとに見てもらったりとか。で、一方で、ここが分かんないとか、
ここがおかしいという指摘をもらって、そこからまた議論を重ねて、新しい議
論を見つけていくっていうことはなんかできるという気がします。
(田中)
これも哲学のひとつの形なんだっていうものを見せていただいたように思うん
ですけれども、いまウェブがだれでもアクセス可能な環境として用意されてい
ると思うのですけれども、哲学っていうのはそもそも、個人的な私的な問題意
識を言語化していく行為だと思うんですけど、あのー、だれとでもいつでもつ
ながれるっていう環境が自分なりの問題意識を言語化していくうえで、プラス
になる部分とそうじゃない部分というのはやっぱりあると思うんですけど、そ
ういう、まあ若いひとたちが前邑さんのような表現をやってみたいと思ったと
きに、ウェブに対するつきあい方とか、そういうところもしお考えありました
らお聞かせいただきたいのですけれども。
(前邑)
えーと、そうですね、あのー、結論から言ってしまうと、最終的には本人次第っ
てところがすごく強いんだと思うんですよね。それはなんか、テレビに対して
も、ウェブに対しても、映画に対してもそうなんですけど、本当に結論から言
うと、考えてしまうひとっていうのは、何かしらやっぱり自分の問題にひきつ
けてちゃんと考えを重ねていくし、で、そうでないひとっていうのはやっぱり
それはしないんですよね。ある映画を見たときに、なんかそんなに響くものが
なかったっていうのはきっとひとそれぞれあると思うんですけど、それってた
ぶんその、自分が抱えているある哲学的な問いたてにはそんなに役に立たなそ
うだとか、あんまりリンクしてないな、ということなんだと思うんですね。あ
の、ひとはそれぞれたぶん意識していなくてもなんか自分の哲学的な問いがか
ならずあって、それをベーっすに生きていると思うんですけど、リンクするひ
とは、なんかその作品について考え続けちゃうだろうし、まあリンクしなかっ
たらほかの作品を見たほうがいいっていう感じでしょうね。で、ウェブに関し
て言うと、そうですねあの、僕は今回、あのー、コミックとか映画とか、あと
小説とかの手法を、なんかいいとこ取りで使っていって、哲学的な検証を重ね
て作品を作っていったりするんですけども、そういうのを見るなかで、そのー、
まあー、哲学の議論内容を考えていったりすることももちろんできると思いま
すし、一方でその、こういう手法があるんだっていうところで、なんかその、
自分の文法を確立するために、参考にしたりとかしていくと、きっと。あー、
私の作品を参考にしろということではなくてですね、なんかあの、いろんな小
説とかいろんな論文とか映画とかがあると思うんですけど、そのなかで自分に
あった文法を、あのー、徐々に学習して、自分なりの文法みたいなのが構築で
きると自分の議論もしやすくなると思うので、まあなんか、とにかく、たくさ
ん、自分が興味あるものを見ているといいんじゃないかという気がします。私
がそうでした、というところで。
(田中)
あのー、そういう個人的なモチベーションから最初は創作活動って始まる場合
が多いと思うんですけど、結果として多くのひとに届く、心に届くようなもの
にするために、そういう検証ってすごく大事だと思うんですけれども、やっぱ
り失敗も多いと思うんですね。最初のうちに、やってもやっても伝わらないと
いうところが多いと思うんですね。あのー、ウェブにしても、いろんな小説に
しても、「これでもない、あれでもない」って思って、やっぱり自分には表現
しきれない部分があるんじゃないかって思うんですけれど、そういうときにど
うしたらいいかとか、ありますか。
(前邑)
そうですね。まあ僕も、あのー、作品を作ったりとか、論文、論証を重ねてい
くときに失敗は多々あってですね。前回も、さっきも言ったかもしれないんで
すけれども、そのー、2006年にこの作品を一回発表しているんですけれど、そ
こでなんかさまざまな問題に気づかされたというか、本人のなかでは、その時
点で「これで完璧だ」と思ってリリースしたんですけど、あのー、読者の反響
を見たら半分は成功しているけれど半分は、あのー、そもそも議論に乗っかっ
てないとかっていう事実が発覚して、本人としてはすごくショックで打ちのめ
されてたんですよね。でなんか、そこで問題に気がつけて、またそこから時間
をかけて、こういう問題があるならこういう修正を入れようとか、あのー、議
論の追加をしようとか、っていうのがあって、何と言うか、まあ、ひとに聞い
てもらったときに、あのー、つまずいてしまうときっていうのがあると思うん
ですけど、まあそれはなんか、自分の論証の穴みたいなのが早く見つかってよ
かったねっていうので。まああせらずにべつに、まあなんか、五年かかっても
十年かかってもいいので、問いたてを、なんか、捨てなければいいんじゃない
ですかねっていうのがあります。で、私の場合はなんかその、論証につまずい
たりすることはあったんですけど、そういうときに、わりと、なんかたまたま
かもしれないんですけど、友人関係とか学校の先生とかにすごく恵まれてて、
なんかこう、ある議論につまずいたとき、その場で、こういう考え方とかある
よとか提言をくれる方であるとか、あとは私の作品とか論文を読んだあとに、
論文に関しては感想を言わないんだけど、「前邑くん、これ読む?」とかって突
然本を貸してくたりするひととかいるんですよね。で、読んでみると、僕が考
えている問題にものすごくリンクしてて、その説明はまったくなしに貸してく
るんですけど、そういうのがひとつひとつありがたいなと思っていました。だ
から、まあそういうその、何と言うか、自分と近しいひとでそういうなんか友
達がいたりとか、なんかすごく本をたくさん読んでらして、あのー、参考文献
をすぐに引っ張り出してこれる方っていうのがきっといると思うので、そうい
う方を友人に持つとすごくいいと思います。私は本当にそのへんが恵まれてた
気がします。
(田中)
あの、最後にちょっとお聞きしたいのですけど、事故体験を作品化していく検
証の行為ってすごく生活のなかにも影響してきてしまうと思うんですけど、ひ
とはいろいろ学校があったり会社があったり、求められている人格と自分の問
題をこう自分なりに検証していく作業と葛藤がある部分があるかもしれないと
思ってるんですけど、そういうときに自分の求められている仕事をこなしてい
く部分と、問題を抱えている部分を切り分けたほうがいいのか、あるいはまあ、
「両方自分なんだ」って自分で受け止めて、自分なりにこなしていったりした
ほうがいいのか。まあ、生活に対する創作活動の影響というか、心構えなど教
えていただければと思います。
(前邑)
えっとそうですね、あのー、まあ私はなんかあのー、別にものすごく優れてい
るわけでも、たとえばなんか作家としてものすごく、あのー、地位が確立して
いるのかというと、まったくないと思います、なんかふつうのひとなんですけ
ど、自分の、これはなんかあのー、一般論とかではなくて、自分の人生を振り
返っての話なんですが。えっと、あの、そうですね、とくに若い頃とか、私、
十代後半とかのときは、非常になんか世の中に対して腹が立ったりすることが
多かったんですね。で、それはなんでかって言うと、自分のその考えているこ
とと、社会一般で考えられていることが、ぜんぜんマッチしていなくて。で、
そのー、僕から見ると、相手のほうが明らかに間違っているような印象を持っ
ていたんですけど、それはなんか年を重ねて、いろんな本を読んだり、議論を
重ねていったりするなかで、あのー、もうそもそも何が正しいとか何が間違いっ
て論証をすること自体の問題であるとか。まあ、相手と僕の議論が違った場合
に、いかにその相手の価値観のなかでその自分が考えていることを理解しても
らうかっていう工夫をどんどん重ねていって、こうすこしずつ相手にすり寄っ
ていくんですけど。すり寄っていくというか、なんか向こうに溶けていくんで
すよね、私が。で、なんかそういうふうにしていくと、なんか、向こうにとっ
ても喜ばしいだろうし、僕にとってもなんかその作品の普遍性みたいなのがど
んどん獲得できて、まあ100人いたときに、最初は二人くらいしか分かってくれ
なかった作品が、なんかだんだん徐々に、いろんなひとと会って、そのひとの
価値観を吸収していくなかで、100人中30人くらい分かるようになってきたとか、
なんかそういうふうに徐々に増やしていけるといいなという気がします。
(田中)
ありがとうございます。あのその、最初の一回目の部分が、だんだん、こう普
遍化されて、作品を書くという行為を通して、穏やかな心でいろんな生活を送
れているというお話が、はい、たいへん興味深かったです。
(前村)
あれですか、具体的に話したほうがいいのかなというところ。さっきから抽象
的な話しちゃったかなと思って反省しているんですけど。あのー、具体例で言
うと、まあこれはなんか僕の作品に、あのー、つながった話なんですけど、た
とえばの話で、えっと、たとえばこの作品で言うと、怪我をしたひとっていう
のがまあ主人公であったりとか、まあその病院を舞台にしているということも
あって、あのー、病気とか怪我を持っているひとがわりと中心となって出てく
るんですね。それを描くときの話なんですけれど、僕なんかは自分がこういう
作品を作る前から、わりとなんか、一般に見られている映画とか小説とか本と
かに対して、「なんでこういう書き方しないんだろう」というのがひとつあっ
たんですね。でそれは具体的に言うと、たとえばNHKのドキュメンタリーで、な
んか今日は障害、身障者の方の、障害を持った方の、あのー、ドキュメンタリー
を放送しますというような感じで、番組が一時間くらい作られたりしていて。
で、それはなんかそれなりに視聴率を持って、社会を変えていく力を力を持っ
て、なんか、世の中を良くしていこうとしているんですけど、でもなんか、僕
なんかはそのー、健常者と身障者の両方の立場を持っている立場として、そも
そも議論が不思議だったんですよね。なんかあの、何がっていうと、今日は身
体に、その、怪我があるひとの話をしますって言って、始めちゃった時点で、
一般のひとからすると、私と関係ない問題だっていうふうに見られちゃうんで
すよね。それのなんかリスクっていうのが、実はすごい多いんじゃないかって
いうのが、前から感じていて、なんて言うか、議論の始め方っていうのがすご
い大事なんですよね。こう、自分にも起こる問題だって話されるのと、これは
あるめずらしい病気にかかったひとの話ですって言われて始めるのでは、まっ
たくそのー、人生に対する影響力はぜんぜん違うので、なんか、まじめに聞く
か聞かないかとか、その映画で出た結論に対して、どう受け止めるかまで変わっ
てしまうんですよね。で、これも例なんですけど、たとえば、なんかその、こ
れはちょっと気をつけて言わないといけないことなので、なんかすごくていね
いに言うのですけど、老人の、その、問題とかっていうのは、老人介護の問題
とかなんかいろいろあると思うんですけど、ああいうのがわりとその扱われや
すいのは、自分がいつか老人になるからなんですよね。でも一方で、そのエイ
ズであるとか、ある種めずらしい病気の社会問題はそれなりには扱われるけど、
なんかその、老人の介護の問題とかにくらべると、わりと扱いが小さかったり
するのは、やっぱり自分とそんなにリンクしないって思われちゃってるからな
んですよね。で、同じように障害、身障者の方の問題についても、NHKとかでは
番組放送されているんですけれども、一般のその民放であるとか、新聞とかで
毎日扱うかというと、まあ、そこまでの優先度では扱われていない。で、それ
は何でかって言うと、そのー、そもそもそれが自分にリンクする問題だってい
うふうに思われないからなんですよね。実際はそうなんですけど、あのー、そ
ういうふうに理解して記事を書いている方とかがすごく少ないんだと思うんで
すよね。だからその、えっと、もしそのある社会問題を見つけたときに、本当
にそれがすごく少数のひとの問題であるかもしれないんですけれども、一般的
には。でもそれがすごく検証を重ねていったときに、もしかしたら、あのー、
わりと全人類に関わる問題なのかもしれないっていうふうに切り口を見つけた
ときには、それはなんかたぶん、非常に議論のレベルが上がる瞬間だと思うん
ですよね。なんでもそうなんですけど、やっぱり自分とか自分のまわりのひと
にリンクする問題だって思われたら、社会の扱いも優先度が急に上がったりす
るんだと思うんですよね。だから、そういうその、これはなんか哲学のすごい
難しいとこかもしれなくて、あのー、私一番悩むとこなんですけど、議論を始
めたあとに、その論証を重ねていくというテクニックとかそういうのもすごい
大事なんですけど、最初に、そもそも自分が持っているスタートラインに持っ
ていた、ある種の先入観とかを破壊して、ちょっとさらにその前に戻って検証
を始めるとかっていうのができると、なにか殻を破ったような瞬間を得られる
という気がします。すみません、なんか、長く話しましたけど。
(田中)
あのー、最初からですね、核心に迫るお話をいろいろお聞きすることができて、
本当に、最初の配信なので私もドキドキしていたんですけれども、充実した内
容になったと思います。はい、おかげさまで。今日はどうもありがとうござい
ました。
(前邑))
どうも本当にありがとうございました。

千葉大学文学部にて哲学を学ぶ。卒業後、NHKでドキュメンタリー制作の仕事に従事。現在は、ゲームデザインの仕事の傍ら、漫画制作に精力的に取り組む。

