ゲーテと染織と :「人間が発見すれば自然の秘密が解き明かされる」

志村 ふくみ(しむら・ふくみ)

2011.07.29

(2011年5月21日収録)

重要無形文化財「紬織」保持者である染織家の志村ふくみさんに、ゲーテの色彩論との出会いについて伺ってきました。ギリシャに残された最古の文書が哲学という学問を生んだ一方で、日本には最古の染織が残されているそうです。文筆家としてもご活躍中の志村ふくみさんがゲーテの色彩論から受け継いだ哲学について、お話頂きました。

  1. 日本の染織の歴史について(0:15)
  2. 染織技能の継承の仕方について(05:47)
  3. 染織家から文筆家へ(06:52)
  4. 文筆活動が染織活動へ与えた影響について(20:26)
  5. 緑色が植物で染められないという謎(23:40)
  6. ゲーテの自然と神の存在論について(26:12)
  7. 染織作品を生み出すための工夫について(28:58)
  8. 若い方に染織を指導する方法について(30:33)
  9. 最初の染織作品について(32:21)
  10. 哲学や芸術を志す若い人々へのメッセージ(34:46)

高校生からの哲学雑誌『哲楽』夏号インタビュー

2011.5.21

田中

はい、改めまして田中です。今日は志村ふくみ先生の工房にお邪魔しております。先生、

今日はよろしくお願いいたします。

志村

よろしくお願いします。

田中

私たちが今作っております雑誌というのが、日英二言語で、インターネットを使って配

信しているんですけれども、英語でも海外の若い方に読んで頂いておりますので、簡単

に染織の歴史を教えて頂きたいんですが、日本ではどのくらい昔から染織がされていて、

文章というか文献的なものもどのくらい残っているのか教えて頂けますか。

志村

織りとか染めっていうのは本当に原始的なものですよね。何千年前から人類が何となく

自分の身辺の物で作ったり染めたりしてたと思うんですけど、やっぱり日本だったら、

日本書紀とか万葉集あたりから段々に染めとかいうものがでてきて。最初はそれこそ麻

とかそういうものを庶民は着ていたと思うんですよ。それで山野に生えているもので染

めたりして。一方、宮中とか上流の人たちは、中国辺りから染織の技術も学んで、華や

かな色も植物染料を使ってやったりしているんで、庶民と上流の貴族階級とは別の発達

の仕方をしていると思うんですけど、一番私が世界に誇れると思っているのは、正倉院

ですね。正倉院のもちろん色々漆とか木工作品とかありますけど、染織もすばらしいん

ですよね。これは今の技術をもってしてでもできない。それほど高度な文化がその時代

にあったというのははっきりしているですよね。しかもそれが、千二、三百年まえの伝

世品、出土品じゃないですよ。聖武天皇のご依頼の品ばっかりですからね。そういう意

味で言えば、日本の染織というのは世界にない。例えばエジプトとか色んなところの古

いものがありますけれど、こういう風にきちっとまとまって、ひとつの聖武天皇の依頼

の品というものを皇后がちゃんとお納めになったという、正倉院ですよね。だからそれ

は日本民族は素晴らしいそういうものを伝統的に持っていたと思うんですよね。物に対

する理解が深かった。

でもそれは中国とか、東南アジアとかシルクロードを渡ってきたものですよね。私も今

から10年以上前に、正倉院のルーツはどういうところにあるんだろうと思って、イラン

とかトルコとかあっちの方に行って、探ったんですけど、ほとんど残っていないんです

よね。博物館にも残っていない。戦乱に戦乱を重ねて、王朝が次から次へと変わってき

ますでしょう。ですからほとんどないんですけど、実は正倉院にあった。手元に一番近

くにあったものを、私たちはきっとこれはもっと素晴らしいものがあるだろうと探った

んですけど、ほとんどまとまったものはないんです。それほど日本の染織というのは、

それから日本の室町とか安土桃山、江戸時代とすばらしい発展をしているわけです。そ

ういう伝統的な日本の染織というものを一挙に現在崩してしまっているというか、明治

以降洋服になってしまって、化学繊維、化学染料、すべてそういうものになってしまっ

て、あっという間に滅びの道をたどった。それが非常に嘆かわしいのですが、でも、段

々にまたそういうことを見直して研究する人もあるし、また作家としてそういうものを

やってきて、伝統工芸とかそういう会でやってきている人も段々出てきているんですよ。

ですけれど大きな趨勢というか、そういう流れにはついていけない。特にこういう時代

になってね、大災害が起こったりすれば、不自由な着物を着てっていうのはできません

よね。ですからそれをどうやって次の世代に私たちが受け継いでいくかというのはもの

すごく重大な問題でね。今私たちはぎりぎりのところですね。本当にぎりぎりのところ。

それを私は洋子とか洋子と一緒に仕事をする若い人たちに伝えて、あの人たちも新しい

局面を切り拓こうとしているんです。それが少しずつ形になって、去年辺りから芽生え

てきているんです。

田中

正倉院の頃なんかは、皆さんどうやって継承されていたんでしょうか。染織の技という

のは、親から子へですとか、師匠から弟子へとか。

志村

やっぱり権力者じゃないんですか、その時代は。宮廷とかそういうところで、染め士と

か織り士とかいう人がいて、そういうところで上流はやっているし。もう一番、平民と

いうか庶民はね、それこそ着れば良い。着て寒さをしのぐとか、そんなに特別なものを

着ていなくて。段々時代が経つにつれて、江戸なんかはものすごいそういう意味では贅

沢極めた町民がでてきますよね。だから時代と共に階級がなくなってきたんだと思いま

すね。

田中

ふくみ先生が染織を始められたのが33歳くらいということで、ちょうど私と同じぐらい

の頃で嬉しいのですが、それから40歳になられたときに『一色一生』という本を出版さ

れて、この本は翌年に大佛次郎賞という朝日新聞社主催の文学賞を受賞されました。こ

の文筆活動というのは先生の染織活動にどういう影響を与えているんでしょうか。

志村

その前にちょっと大事なことをお話ししたいけどいいですか。もともと私が染織をやっ

ていたというのは、優雅でやっていたわけでもないんですが、ただ、私の母が柳宗悦先

生の民芸運動に不思議なご縁で参加していまして。それは今から7、80もっと前です

ね。90年ぐらい前かな。大正の終わり頃、デモクラシーで白樺派が出てきて、日本に

新しい文化が出てきたときに、柳宗悦という方が、民衆の芸術、民芸ですね。それは高

価な工芸に勝る、非常に深い美を讃えている。これは仏教に深く帰依している芸術であ

ると、いきなり民芸ってものをバーンとなさったんです。それはすごい眼力というか、

柳先生の哲学ですね。それは何かというと、美を追求して美は生まれない。美を追求し

ないところに美が生まれる、というね、学説なんですけど、本当なんですよ。現代の人

間って、自分の意識でもって、色々美しいものを作ろうとしているけど、昔の人はそん

なことしない。美しいものは美しいもので自然にやっていると、こういうお湯のみでも

できてくる。別に美学を習ったわけでもなんでもない人が、そういうものを散々やった

人よりも相当上のものを作るのは一体なんだろうかと。本来持っている人間の本性の美

的なもの、そういうものを民衆は持っていて、それが生活のためにたまたまこういうも

のを作ってなったっていうのが、民芸の根本で。

実はこれは、法然上人や親鸞さんの仏教に通じている南無阿弥陀仏の世界なんですよ。

非常に深い世界なんです。それを先生が染織に当てはめたんですよ。それが私の根本で

すね。なんでこの仕事を始めたかというと、母がそういうものを受け継いで、民芸教団

というのが初めて日本に作られて、それが昭和の初めなんですけど。そのときにたまた

ま、私の母も普通の主婦で、医者の家内でして、全然そういうこともなかったんですけ

ど、何かそういう美的なものには強い憧れをもっていて、柳先生がたまたま色んな民芸

品を探しに来られるときに、ご一緒して。色んな京都の天神さんとか弘法さんとかああ

いうところで素晴らしいものを見つけて。誰もそれは知らないんですよ。はっきり言っ

たらね、一番貧乏人の、こういう言葉を言ってはあれですけど、おしっこ布団といいま

すよね、昔。それくらい庶民の貧しい人たちのお布団ですよ。それを柳先生が見たとき

に非常に美しい織物だった。その天神さんでね、うちの母も一緒に行ったんですって。

これを下さいって言ったら、もう売っているおばさんがびっくりしてね。急いでその表

側を剥いで捨てて、綿だけをもってきたわけ。「これはいらないんだ、あっちだ」「え?」

っていうわけでね。それくらい表のきれっていうのはボロボロで庶民の臭いおしっこが

染み付いた布だったっていうようなものが、今や名物布ですよ。

じゃあなぜそんなものがそれほど素晴らしい美しさをもってたのだろうか、不思議でしょ

う。わかります?それは今、私がやっている仕事とまったく一緒なんです。自然のもの

ですよ。自然のもので自然の植物で染めて綿を手で紡いで織った、それが最高のものな

んです。ところが庶民は知らないから、お金がないから、自然のもので綿を取って紡い

で、側にある木で染めて手織りで織った。ところがそれが一番美しい。それを発見した

のが柳宗悦という大変な方だったということですよね。そこから私の仕事は始っている

んです。柳先生の『工芸の道』という素晴らしい著書があるんですけど、それを私は聖

書のごとく大事にして読んできまして、その道を外れたことは無いと思っているんです。

なぜ工芸というのが理にかなっているか、それこそ哲学ですよ、これは。それと人間の

大自然に帰依する気持ちこれが根本なんです。こういうものは美しいに決まってるんで

す。だから美しいものを作ろうと思うのではなくて、ひたすらそういうものに帰依する

と美しいものができてくるというのが柳先生のお考え。それを私たちは染織の世界に。

そんな理想的にはいかないですよ。もちろん生活もしなければらないし、色々あります

けれど、最後はそれですね。そういう気持ちをもって仕事をしてきたんですけど、様々

な思いがけない発見とか疑問とか出てくるんですよ。親からとか師匠から教えられたも

のではなくて、自分でやっているわけでしょう。自分で全部草木取ってきて染めている

わけですから、そのなかで自ずと思いがけないことが起こってくるわけ。

そのときにじゃあこれは何なんだろうか、どうしてこうなったんだろうか、という疑問

を胸に持っているときに、たまたま大岡信さんという方がうちに見えて。ここで着物を

お見せしたんですよ。私が「これは桜で染めたんです」とお話したら、「ああ、桜の花

ですか、あのピンク色のね」とおっしゃったけど、「違います、これは幹です。枝です。

花では染まりません。」と言ったら「ええ、どうしてですか」って言うんでお話しした

のが、春に咲くために、幹の中に栄養を蓄えていた樹液で、それが春になると花に行く

んだけど、私はそれを木を切って頂いてしまった。それが炊き出したときに自ずと美し

い桜色になったんですよ。不思議なことですよね。花で染めてピンクがでるのは分かり

ますけど、ゴツゴツした枝で染めてピンクが出るなんて不思議なことだなと、それが私

の中でひとつの疑問の門口ですね。私は不思議の国のアリスだと思っているんですけど、

その時にそういう世界を垣間みた。一体これはなんだろうと。そうすると、命の根源の

樹液ですね。これが春を待って咲こうとしている、蓄えている。それを無惨にも人間が

切り倒して、炊いて、私が頂いた。

桜が咲いてしまった後の枝を切っても出ないんです、その色は。でも普通の人が見た時

におんなじピンクじゃないかっておっしゃるんですよ。だけども、私はここは匂いだっ

ていないっていうんです。生命が匂いたたないって。だから100人が染めて99人がなんで

同じピンクなのに志村さんだけそんなこと言うのって、随分言われましたよ。あなた少

し偏見があるんじゃないって言われたんです。そのくらいバッと何気なく無意識に見た

らわからないですよ。ピンクはピンクなんだから。ところがそこに生命が宿っているっ

てことは、それを想う気持ちがなければわからない。そこが何とも言えない、その人そ

の人がもっているものなんですかね。化学染料でも構わないじゃないかって、化学染料

が安くて堅牢でね。何も桜炊いたりなんかそんな無駄なことする必要ないじゃないかっ

ていう考えと、絶対ここにこそ宿るんだっていう考えと、はっきり別れているんです。

それで始ったことですね、私の仕事は。それで大岡さんがびっくりしてね。「ああそう

ですか、幹の中に蓄えている色が出たからこれなんですか。人間の思想も心も蓄えてい

てある時期がきたときにパアッと出てくる。言葉の力。これとあなたのやっている桜の

色とは同じですね」とおっしゃったんです。

それを文章に書いて、中学二年生の国語の教科書に出たんですよ。それでさあっと全国

で教科書が出ても、素通りして、ああそうかという教師もいれば、これは何だろう、不

思議だなと思う教師もいれば、色んな先生方がいるわけでしょう。その中で何人かは不

思議だなと、こんな桜の枝でね、人間との言葉と植物の命が合体しているって不思議な

ことだなと思う教師もいて。お手紙を下さって。学校で教えたら生徒がすごい反応して。

桜を染めてみたい。僕はハンカチ持って何持ってくるって、皆で桜を切って染めたけど、

全然出ませんでしたって。どうしたらいいでしょうって。生徒さんたちも、もう何しろ

ふくみさん来てくださいって。中学生からふくみさん来てください、来てくださいって

いうお手紙が来たんです。それで私は喜んで行ったんです。群馬県の山の中なんですけ

ど、雪が降って3月で寒い時でしたけど。その時に一緒に森に行って桜を切って、理科

教室でね、染めたんですよ。そしたら黄色がでちゃったんですよ。もうどうしようもな

いですよね。生徒さんたちも「ええっ」というわけで。私が全く嘘ついたみたいになっ

ちゃって。もうにっちもさっちもいかなくて「藤原の桜は黄色でしたね」と。事実です

からね、そう言ったら、「勉強すれば本当のことはわかるんですね」と子どもが言った

んですから。素晴らしい反応が返ってきたんですよ。私なんか本当になにも知らないく

せにね、桜を切ればピンクが出るって、とんでもない。ここは黄色でしたね。ひとつ私

も目が開けたというか、鱗が落ちたというかね。そういう体験もして、自然というのは

大変なものなんだ、人間の浅はかな知恵で決められるものではないっていうことはわかっ

たんです。

そういうことを大岡さんとお話ししてたら、志村さん、何か書いてみたらどうですかっ

て言われて。「いや、私は書く人間ではなくて、実際やっている人間ですから、書けな

いですよ」と言ったら、「いやそうじゃない」と。「物を創っている人間が感じたこと

を書くっていうのはものすごく大事なことなんだ」と。日本は特にね、職人なんだから

物なんか書かないっていうのが多いですよ。西陣でもないですよ。文献がほとんどない。

西陣の人たちは、技術は自分の心に持っていて自分の墓場まで持って行くんだって言い

ましたよ。だからそういうものは無いんですね。ところがそうではないヨーロッパの中

世の職人さんで、こつこつと書いている人もいるから、書いてみなさいと言われて。あ

あ、私は沢山疑問があったから、その時に。今の花の話もそうだし、緑の話もそうだし、

いっぱい疑問があるから、書き出したら止まらないんです私。で、書いたんです『一色

一生』。

田中

表現していく、文章にしていくということが染織の方の活動にも影響を与えたりしたの

でしょうか。

志村

もちろんです。そのひとつの確信というか、裏付けですからね。本当のことしか書けま

せんから。そこから初めて浮かんでくる次なる段階というものがありますよね。そうす

るとそれを追求したくなってくるんですよ。一体なぜ緑が出ないのか。これがもう大問

題で私には。不思議で不思議で。目の前で藍を染めていても緑が瞬時に消えて行く。こ

れは一体なんだろうか。大変な秘密があるに違いないけど、もちろん日本には何の文献

もないし、誰も学者も言っていない。わからない。自分一人で悩んで。それから花の色

が出ない。桜の花を染めてピンクは出ない、グレーしか出ないんです。そういうことを

考えていくと、花は地上界に出たものですよ。もし霊界というなら霊界でもいいのです

が、不可視の見えない世界にあるものが地上界に出たとたんにその色はそこでおしまい

です。だけど花になる前に枝で蓄えていた桜の樹液は色が出る。だけど花になったもの

は皆さんにお見せしたからもうおしまい。これがひとつの理念、哲学ですよね。これが

わかってきた。じゃあ緑は何なのか。これがわからないんです。なぜ緑の葉っぱを染め

て色が出ないのか、全部グレーです。これが不思議で不思議で。

その時に私の友達に話したら、京大のゲーテの学者の方にお話してみたらどうですか、

多分あの方なら解決してくれると思いますよと言われて、高橋義人先生というゲーテの

研究家にお会いしまして、『自然と象徴』というゲーテの色彩論を見せてくださって、

初めてバアっと拓けたんです。それは本当に感動でしたね。日本人は感性で分かってい

る。万葉集でも古今集でも何でも。感性の素晴らしい歌ですよね。でもその意味内容な

んてほとんどないですよね、歌には。ところがヨーロッパの学者とか哲学者たちは、み

んな意味をどんどん追求していく、理論に理論を重ねていく傾向じゃないですか。東洋

人、特に日本人はそれはしないで、自分の感性だけを磨いていく。この全く相反する世

界に、私はこっち側にいた人間が、それが突如ゲーテの色彩論を読んで、バアっと拓け

たんです。自然界という奥深い世界を知ることができたんです。

田中

そこで緑の謎は解けたんですか?

志村

もちろんですよ。だから今お話ししたように、緑というのは植物からこの地上に出現し

てしまった。でしょう?この地上に出ちゃっているじゃないですか。そして植物は私た

ちに酸素を命を与えてくれているじゃないですか。そういう大きなお役目を既にこの地

上でやってくれているんです。だから出ないんですよ。すごいでしょう?すごいことで

すよこれは。お役目はもう向こうにいっているんですよ。じゃあなぜ私が緑を出してい

ると思います?植物から出ないと言いながら緑をどんどん私は作っています。

田中

色を重ねているんでしょうか?

志村

光と闇です。生と死です。ゲーテが言っているんですよ、一番深い闇と、一番輝く光と

結合によって緑が表れる。これが第三の色なんです。生命誕生なんです。これもすごい

ことじゃないですか。はっきりゲーテが言っているんです。それで色彩環というのを作っ

たんです。あのニュートンは、色彩環じゃないんです。直線なんですね。紫外線と赤外

線で。ニュートンは色彩環というのを作ったんです。一番下が緑でそれで段々段々こち

ら側は黄色から橙になってきて上の方で赤になる。こちら側は紫からきて赤になる。両

方ともが赤になるんです。緑と赤は真っ正面で対立しているんです。それはなぜかとい

うと、実は緑は赤、赤は緑なんです。皆さんあなたたちもそうですけど、真っ赤なもの

を暫く見てバッと目を開けたら緑が見えます。経験したことあります?紫をじっとみて

バッと目を開けたら黄色が見えます。補色関係なんです。人間の体の中にそれはちゃん

とわかっているんです。だから色彩の原理というのはそこにあるんです。ものすごく深

い哲学がここにあるわけですね。

田中

今ゲーテのことが出たので、本の中で引用されているところをご紹介したいと思います。

「宇宙をその最も大きく拡張した姿や、もはやそれ以上分割し得ないほど小さい姿にお

いて観察してみると、全体の根底のなかで神は自然の中で、自然は神の中で永劫の過去

から永劫の未来へと活動しているものだという考えを我々は退けることはできない。直

観し観察し熟考することによって我々は宇宙の秘密に近づくことができる」というゲー

テの言葉を『母なる色』という本の中で引用されておられます。この「神は自然の中で、

自然は神の中で」という入れ子のような構造というのが、すごく新しい考えだなあと思っ

て勉強になったんですが、何かこの考えというのは染織家としてのご活動に影響を与え

たんですか?

志村

根源じゃないですか(笑)。これがなかったら。だから私たちは自分がやっていること

ではあるけど、既に神の領域の中で、大きな宇宙の中でたまたまやらせて頂いているだ

けで、自分がやっているわけではないんですよ。例えば今染織をやっていましたけど、

全く新しい色が出たんですよ、今もびっくりしているんですけど。計らい知れないもの。

計り知ることができないものを神が用意しているんです。人間の心がそれに向かった時

にぱっと。だから隠された秘密、自然は秘密を解き明かしてくれるっていいますけど、

実は秘密も何もないんです。人間がそれを見た時にそれを発見すれば秘密が解き明かさ

たっていうことなんですよね。そういうことは毎日のように私たちは体験しています。

田中

ご経験が50年以上あられても新しい色に出会うのですね。

志村

昨日ね、ゲンノショウコという植物を採ってきたんです。それからハーブも。もういっ

ぱい生えているものですから。もうすごくきれいな色が出てきてね、もうびっくりして

いるんですけど。それがやっぱり今まで私が体験したことのないような色が今出てきた。

まだまだ無限に出てくるんじゃないですか。

田中

毎日が実験のような発見があるということですね。

志村

そうですね。そういうことですね。こんなに長くやっていてもそうですね。

田中

志村先生の着物を拝見したことがあるんですが、いつも懐かしい印象というか、どこか

で見た色を見ているという気持ちにさせられることが多くて、さっきの入れ子の話しの

ように、着物自体は容れ物ではあるんですけれども、すでにそこに自然が宿っているよ

うな、自分がかつて見たものがそこにあるという不思議な体験をすることが多くて。

志村

ずっと体験なさっていたことがたまたまここに形として、色として出ているということ

でしょうね。

田中

そういう作品を生み出すには、どういう工夫をなさっているんですか。

志村

工夫なんか全然していないですよ。工夫というものではないと思いますよね。デザイン

とかなんとか言いますけど、もっと以前のものかな。もちろんデザインもする、現代風

にいえば散々そういうことしているわけですけど。でも、理にかなってこなければ美し

くないですね。そこに理念が通ってなければ絶対美しいとはいわない。技術の方が勝っ

てきたら物は面白くない。ところが今はほとんど技術ですよね。9割9分までが技術で

すよね。もちろん技術は大事ですよ。技術がなければ織物ができないのはわかっている

んですけど、それに上回る何か託しているという気持ちで織っていますね。

田中

若い人にその技を教えるというか、継承してお伝えするときに気をつけておられること

はありますか?

志村

うちのはね、ものすごく単純っていうかね。つい先月来た人がもう一反着物を織りまし

たよ。何も技術も知らない、織物のおの字もしらない。私はいつもそうなんです。入っ

てきた人にすぐ織ってもらう。でも単に織ってもらうんじゃないんですよ。完全に用意

しておくんですよ。洋子なり私が用意しておくんです。そこにはい、あなたここで織り

なさいって機の上に乗せて。技術は簡単なんですよ。織りなんて単純ですから。そこで

しばらく一時間ほどこうやって糸を扱っているうちにトントン織れてくる。色もそろっ

ているしデザインもそろってるからその通り素直に織っていくと織れちゃうんです。だ

から私はすべての人が芸術家だと思ってます。すべての人がもっているんです。ただ引

き出してあげることをしていないだけで。引き出す前に理屈というか色んなことをごちゃ

ごちゃと教えるわけですよ。そうするとそうじゃないといけないといっぱい入ってくる

でしょう。何にも入ってこないですよ、最初に乗った人は。どうしたらいいのかしら、

怖い怖いって言うわけですよ。大丈夫よって、絶対にできるからやってごらんなさい、っ

ていうとできちゃうんですよ。というのは材料があるから。別にそれを自分が工夫しな

くてもできちゃうわけです。そしたらこないだ入ってきた人が「先生、私無免許です。

無免許運転でいいんですか」っていうんです。「いいのよいいのよ、やってるうちにで

きるから」っていうと、「仮免許でした」って。その通りだわ(笑)。立派なものが織

れましたよ。

田中

最初に織ったものと10年後に織ったものって変わってくるんでしょうか。

志村

最初の方がすごいですよ。私は一番最初に織った着物が自分の人生の中で最高だと。秋

霞って着物。私の母が言ったんですよ。あんたこれ以上のものは一生できないよって。

それはもう本当にショックで。「ええ、私、これ以上のものできないの」って。「その

通り、できないよ」って言いました。

田中

おいくつの時の作品ですか?

志村

33ですよ。はじめてやったとき。それが今でも最高ですよ。

田中

それはどうしてだとお考えになりますか。

志村

あのね、それはね、ものすごくね私ハングリーだったんですよ。そのとき。離婚して、

経済的にも全く何もない。社会的に痛めつけられている状態ですよね。それでボロボロ

になって家に帰ってきて。子どもも二人、東京においてきて、いつ引き取れるかもわか

らない。そういうどん底ですね、考えてみたら。その中で生きなきゃならない。じゃあ

何をすればいいか、家政婦することができるかもしれない。事務員になることができる

かもしれない。色んなことができるなかで、私はなぜか織物を選んだんですよね。織物

を選んだってそれで生活できるわけではないし、技術も知らないし、うちは織物の家系

でもないのに、生きるか死ぬかの瀬戸際で、これしかない、織物しかないと思ったんで

す。それはもうはっきりしてるんです。夜寝ているでしょう、そしたら織物がばあっと

織ってもいないくせに出てくるんです。それでもう無我夢中で織ったんですよね。それ

が不思議なことに、柳先生が最初におっしゃった、民芸のくず糸ですよ。捨てる糸。そ

れを繋いで織ったのが秋霞。それを何の修行もしていない私が、伝統工芸に入ってたま

たま出品したら賞に入っちゃったんですよ。不思議でね。だからそういうものなんじゃ

ないですか。

田中

じゃあ未だにその賞を超えるものはできていない。

志村

できてない。はっきり、できてない。

田中

若い方も今から芸術を志すとか哲学を志す方もいらっしゃると思いますので、メッセー

ジを頂けますでしょうか。志村先生のご経験から、そういう若い人たちが何か自分の思

いを哲学なり芸術なりで表現していこうとおもったときに、まずどういうことをやって

いったらいいかということを教えて頂けないでしょうか。

志村

昔はみんな、哲学の研究をしている人は、私なんかの従兄弟なんかも、京大の哲学科に

入って勉強してた人がいますけれど。その人たちだって結局文学ですよね。文学を通し

ての哲学というか。もちろんカントの研究をして、京大で学徒出陣でね、行かなくちゃ

ならないって、本当に断腸の思いでカントの本を持って戦場に行って死んだんですけど

ね。その人の碑をね、つい5、6年前に初めて碑を建てたんですよ。京大の有名な先生の

お弟子さんだったんですけど。そういう哲学徒っていう人たちもいましたよ。戦争の時

に何とも痛ましい。学問がしたくてしたくて、有り余る才能をもって希望をもっていた

人たちが戦場に送られていったんですよね。その送られていく時に、私なんかに手紙を

くれて、「自分は国のために、もう再び返って来ないかもしれないけど、この哲学の道

だけは絶対に守ってくれる人があると、それを信じなければ、生きて行かれない」とい

う手紙をくれたんですよ。優秀な人がみんなそうやって死んでいったんですもんね。そ

れほど人間の根源に関わることだから生死を超えてでも守りたいと言ったんでしょうね。

言葉で何か励ましたり、言葉でこうですよ、ああですよって言えることじゃないですよ。

内面の深い深い所からの欲求がなかったら、哲学やりなさいとか、大事だからやりなさ

いって口だけですよ、それは。そんなもんじゃないと思う。もっともっとこれがなけれ

ば生きられない、ご飯食べないでもこれがなければ生きられないという切実なものだと

思いますよ。勉強したらわかるものではない、本読んだらわかるようなものではないで

すよ。私はそう思うんです。

田中

長いことたくさんお時間頂いて。希望を与える言葉だったと思うんですが。

志村

絶望を与えていると思う(笑)。絶対希望なんて与えられない。そんな簡単なものでは

ないですよ。生きるか死ぬかでみんなここまできているんですもの。じゃあ何を手放し、

何を大事にしてたかということでしょう。哲学なんてものはそんな架空なものではない

ですもの。

写真

志村 ふくみ(しむら・ふくみ)
1924年生まれ。初めての染織作品「秋霞」で、第五回日本伝統工芸展を受賞する。1983年『一色一生』で朝日新聞社主催の大佛次郎賞受賞。1990年、重要無形文化財「紬織」保持者(人間国宝)として認められる。現在も、精力的な制作活動を続けている。