医学と倫理学:「人間中心主義的生命中心主義」
藤井 可(ふじい・たか)
2011.07.31医師の資格を持ち、医師のアルバイトをしながら、つい最近、倫理学の論文で博士号を取得された異例の経歴の持ち主、藤井可さんにお話を伺いました。医療倫理学を志した藤井さんに与えられたテーマは「動物の倫理」。ここからどんな展開があったのか、ぜひお聴き下さい。
- 医師免許を取得後に倫理学の論文で博士号を取得した経歴について(0:34)
- 医師免許を取得する過程について(03:55)
- 医師として倫理学を勉強していたときの周囲の学生さんの反応について(4:51)
- 二つの領域のなかで疎外感を感じることは(5:56)
- 病腎移植について(07:14)
- 病腎移植の倫理的妥当性を指摘した背景について(09:04)
- 医学部の学生さんの反応について(11:15)
- 移植医療に携わる医師の教育について(12:36)
- 生命中心主義について(14:58)
- 原発の問題について生命中心主義からいえること(16:53)
- 学生さんに生命中心主義という立場をどの程度明かすか(18:25)
- 医師に対する倫理教育の課題(20:06)
- 後輩へのメッセージ(23:11)
田中
はい、改めまして田中です。今日はですね、環境倫理・環境哲学緊急集会というところ
でお会いした藤井可さんに、お話をお伺いしたいと思います。滞在先の浅草までおしか
けておりまして、いま浅草寺の銀杏の木のふもとに場所を見つけて場所を見つけてお話
をお伺いすることになるんですけれども。藤井さん今日はすみません、おしかけまして。
よろしくお願いいたします。
藤井
よろしくお願いします。
田中
まず、藤井さん経歴がすごくユニークなので、医学の医師免許を取得された後に、倫理
学の勉強をされて、倫理学の論文を書かれて、博士号を取得されたというご経歴につい
て少し簡単にご説明頂けないでしょうか。
藤井
はい。経歴を。医学部は佐賀医科大学医学部というところに行ったんですけれども、そ
ちらで5年生のときに、臨床実習をやっているさなかだったんですけれど、重筋力無力
症という特定疾患、難病指定されている病気だっていうことがわかって。体も確かにお
かしくなってきていたので、このままだと医者をバリバリするのは無理だなと思ってい
た頃に、自分が患者になった経験もあったし、患者さんとのふれあい、自分が医学生と
して見てきたことも重ね合わせて、医療倫理学っていうのは面白そうだなと思って。医
学部はとりあえず卒業するまでは頑張って、医師の免許は取って、それから熊本大学の
大学院に文学研究科というところがあったんですけれど、そこの高橋隆雄先生という方
が生命倫理学をやっているというのを聞いて、おしかけまして。良いよと言われたので
行きまして。修士から入って勉強し直しました。それで、修士では医療倫理をやるんだ
ろうと思っていたんですけど、先生が、「この子はこのままではだめになる」と心配さ
れたみたいで、「動物の倫理」というちょっと違うテーマを下さって。それを通して人
間の命についても考えられるし、広い枠組みで考える練習をした方が良いということだっ
たみたいで。当時はよくわからなくて丸め込まれたと思ったんですけど、それで修士ま
で行って、そのまま博士の、社会文化科学研究科という法学と文学が合体した科がある
んですけど、そこの博士課程では、動物の倫理を少し発展させて、人間の生命とそれ以
外の生命を等しく価値の中心として考える、「生命中心主義」という考え方があって。
仏教とかジャイナ教にもある考え方ですけど、ポール・テイラーさんという方がそうい
う考えを結構ラディカルに主張されていて。それをもうちょっと今の時代に適用した形
で、かつそれはもともと環境倫理の話しなんですけれども、生命倫理の問題にも適用で
きるような形で使えないかなと試行錯誤して。生命倫理と環境倫理をつなぐような論文
を書いてやっと卒業しました。
田中
ありがとうございます。お名刺を頂いたときにM.Dと書かれてあって、さらにPh.Dと書か
れてあったので、M.DとPh.Dが両方書かれてある倫理学者って非常に少ないのではないか
と思っておしかけてしまったんですけれども。M.Dというとメディカルドクターの略とい
うぐらいの知識しかないんですけれども、この取得にはどれくらいかかってどういう過
程を終えられたらそれがもらえるのかというのをちょっと教えていただけますか。
藤井
メディカルドクターの訳が医師で良いかちょっと定かではないんですけど、そういうつ
もりで使っていて、日本の場合だと医師免許を取るには医学部というところに行くんで
すけれども。6年間勉強と実習を重ねた上で卒業すると医学学士という学士号が与えら
れるんですけれど、卒業することによって国家試験の受験資格も得られるので、たいて
いの人は、卒業と同じ二月か三月に国家試験を受けて、医師免許を取って、M.Dという医
師ということになるので、最短で6年間ですね。
田中
ありがとうございます。倫理学の方の修士課程に移られたときには、医師免許を取得さ
れた後で、アルバイトとしてお医者さんのお仕事もパートタイムでされながら、倫理学
の研究も続けられたということなんですけれども、そういう環境にいる倫理学の学生さ
んって非常に少ないと思うんですけれど、回りからの反応はいかがだったんでしょうか。
藤井
最初ちょっと、色々言われるのが嫌で医師っていうことを隠していたんですけど、すぐ
にばれちゃって。回りの文学畑でずっと倫理学をやっている友達とか先生とかからは、
「食いっぱぐれなくて良いね」とか「藤井さんに養ってもらっちゃいなよ」とか言われ
つつも、でも「どっちの目線も持っているっていうのは、得難い武器だから例え医師と
して大成してなかったとしても、勉強したってことは活かせるからやってみなって」言っ
てくれる人もいたりして。そうだな、と信じてやっています。
田中
二つの医療の現場と倫理学の現場を持っていて、どちらも自分の本拠地じゃないという
ような疎外感というか、アウェイな感じというのは、お持ちになることはありますか。
藤井
とてもよくあって(笑)。最近はそれも慣れたというか使いわけというか。どっちも持
ちつつ、こっちではこちの比重をと少しはできるようになったんですが。やっぱり倫理
学の中にいると、「やっぱり理系だね」って見られたり、自分の中でも理系の考え方し
かできないのかなって反省する時もあれば、今医学部で教えているんですけど、医学部
のほうとか、お医者さんの中とか、医療現場に行くと、「文系の見方しかできないのね」
と言われたり「やっぱり文系だね」って言われたり。どこに行っても所在ないというか、
立ち位置が定まらないなという感じは良くあったんですけど。でも大分慣れてきて。そ
ういうのも含めて学際的に受け入れてくれる応用倫理学の分野もあるので、そういうと
ころに行くと、「ああ、こんなふらふらした自分でも大丈夫かな」と思えたりしますね。
田中
藤井さんの論文を読ませて頂いて、医師の自己決定に関する論文を読ませて頂いたんで
すけれども。その中で、二つの領域を持っている藤井さんらしい観点がすごく出ていた
んじゃないかなという点があったので、そのお話をお伺いしたいんですが。宇和島徳州
会病院というところで、今も働いていらっしゃる方なんですかね、万波医師という方が、
「病腎移植」ということをなさっていて。その倫理的な行為の分析をこの論文で扱われ
ていたんですが、この「病腎移植」というのがどういうものなのか、聞かせていただけ
ますか。
藤井
病気をされているちっちゃな腫瘍とか、何らかの不具合があって病気の腎臓をとった後
に、それを他の、まさに死んじゃいそうとか末期であるような腎不全の患者さんに取り
あえずそれを移植する、病気の疾患の部分は取り除いて移植するというのが「病腎移植」
と言われているもので。「病腎移植」というと病気のまま移植するみたいな雰囲気があ
るから別の言い方をした方がいいんじゃないかということも言われているみたいなんで
すけれど。日本の学会の中ではやっちゃいけないと言われることが多くて、多分アメリ
カとかでは「修復腎移植」というのは、良いことというか、アリだねっていう雰囲気も
あったりするので、エビデンスがちょっとまだ弱いからどっちつかずという部分もある
と思うんですけど、患者さん同士の自己決定というか、提供する側も良いよって言って
いて、受ける側も良いよって言っている上で成り立っている状況みたいです。
田中
なるほど、この行為自体は、日本医師会であったりとか、その下にある様々な医学系の
学術団体ではやってはいけない行為だっていうふうに認められているというか、そう非
難されるべき行為になっていると思うんですが、藤井さんはこの論文の中で、功利主義
的な観点で一考の価値があるんじゃないかという好意的な例として出されているという
のが、非常に新鮮だなと思いまして。医師の資格を持ちながら、医学的には医師の集団
の中ではダメな行為を、倫理学的には善いこともあるんだっていうふうに分析されたそ
のお気持ちというか、背景をお聞かせいただけますか。
藤井
まず情念の部分ではそれで患者さんが助かるならいいんじゃないかっていうふうに最初
から思っていて、エビデンスはこれから確立されていく段階だと思うので、医学的にま
ずいと言われている根拠もまだ薄いと思うので、そこもこれから了解を得る地点みたい
な形でしょうけど。集団の中で積み重ねていけば、自己決定に基づいて患者さんの命が
救えて、みんな割とハッピーだと。しかも脳死の移植のほうが私は懐疑的な部分がある
んですけど、そっちにどんどん移行していくのを食い止めるというか、別の手だてもあ
るんだよという選択肢を示せることにもなるんじゃないかとも思いましたし。あと倫理
学者は医学にすごく精通している人も多分中にはいるでしょうけれど、そうじゃない方
も多くて、そういう方は医師会がダメって言っているのにはそれなりの根拠があって、
体に良くないとか証明されているからダメって言っているんだろうから、病腎移植はダ
メって言っているひとも中にはいらっしゃったので、あながちそうじゃないということ
を文系の立場から言うことで、倫理学者にも届くかなとか。そういうつもりで書いてみ
ました。
田中
今、佐賀大学の医学部で、医学部の学生さん達に生命倫理を教えていらっしゃって、こ
の問題も扱っておられるということなんですけれど、学生さん達の反応はどんな感じで
すか。
藤井
大きい集団の講義なんで、ハハハ寝ている人もいたりするんですけど、でも中には、一
学年に何人かはレスポンスしてくれるひとがいて、病腎移植にピンポイントに答えてく
れた子は今のところあんまりいなかったんですが、ただ、「色んな考え方があるってい
うのがわかった」とか、「法律と倫理は違うんだ」とか、「答えがあるのが今までの高
校までの勉強だったけどそうじゃないかもしれない、まだ過渡期だったり、ひょっとし
たら倫理学的観点で考える問題はずっと過渡期で答えがないのかもしれない、というこ
とがわかった」とか言ってくれる人が時々いるので。あまり病腎移植とか医学的には言っ
て欲しくないことかもしれないけど、色んな考えを示すということでは言っている意義
があるのかな、とは思います。
田中
脳死の話が出たので、最近、話題になったこととしては、子どもの脳死で、子どもの臓
器を病気の大人の体に移植するということがありましたけれども。そういうときに、あ
あお医者さんどうやって説得したんだろうって傍で見ていてすごくかんじたところで。
すごく医師の責任というか、説明責任だったり、合意形成だったりとか、親の立場をど
う考えるかとか、すごく色んな問題を考慮しないと結局移植っていうふうにはつながら
ないんじゃないかと感じたので。そういう告知だったり、移植のコーディネートだった
りというところで、お医者さんのもつ責任の大きさというか、それに対する医学部のな
かで教育ができているのかということをちょっとお聞きしたいんですけれども。
藤井
移植医療に関わる人がどういうふうに、っていうのは実はあまり詳しくないんですけれ
ども、ただ感覚としては移植をしようと思って、一連の流れに関わるつもりがあるお医
者さんというのが、脳死の移植か何なりにやっぱり肯定的で、やるぜ!どんどんやるぜ!
と思っている人が割と多い(笑)。そうじゃないとやってられないだと思うんですけど、
そうだとおもうので、そこに至るまで別の考え方があるとかいうのは割と切り捨てられ
ているというか、自分で気づきもしないで信じていっちゃった人が多いんじゃないか、
違ったら申し訳ないんですけど、そうかなという。移植医療をじゃんじゃんやるために
は、そういう人を育てないとダメなのかもしれないけど、そういう移植を志すかもしれ
ない人にも、そうじゃない考え方もあるということをあらかじめ伝えて、その中で選択
してもらうという手順には今のところなっていないような気がするので。それがワンクッ
ションあったら、選択肢の提示の仕方も変わったり、移植もあるかもしれないけど、そ
うじゃないのもあるとか、移植に至る前にどうにかしようよという気持ちで、移植医療
もするけどねっていうお医者さんがいたら、まだいいのかな、というふうに思います。
田中
なるほど、その辺のお医者さんになってからの割り切り方って非常に難しい問題で、今
まで回りがそうだったから、自然と特に考えないで信念形成がされていたっていうお医
者さんが結構多いんじゃないかっていうことをお話を伺っていて思ったんですけれども。
藤井さんの立場としては、生命中心主義という考えを採用されて、倫理学的にもその立
場から論文を書かれているんですけれども、この生命中心主義という考え方についてわ
かりやすく教えていただけますか。
藤井
生命を中心に据えるという文字通りなんですけれども、もともとこれは環境倫理学の方
から出てきた考えなのでもともとも意味としては、生命じゃないものも含めた、人間は
さておき、動物とか植物とか自然に備わるものたちというか、存在の生命を中心に据え
て、すべての価値基準を組み直そうという考え方で。そこまでラディカルに考えなくて
も、仏教のなかでも、「あまねくいっさい素性には魂がある」とか言われてきているの
で、そこにはコミットするものがあると思うんですけど。もともと環境倫理学の文脈で
出てきた、「人間以外の生命にどういう道徳的配慮をすべきか」とか、「人間以外の生
命の生きる目的」をどう尊重するかという話しだったんですけど、それを人間にも目を
向けて、人間の命も含めた上で扱ったらどうかなというのが、私の主張です。
田中
その主張として採用されている生命中心主義からみて、色んな事例を扱うとどうなるか
というところをちょっとお聞きしたいと思うんですけれども。例えば今回、環境倫理・
環境哲学緊急集会のなかで話題になっていたのが原発の問題だったんですけれども、原
発を存続すべきかとか、経済を維持していくのか、縮小していくのか、結局どうしてい
くのかというのが、色々複雑な問題がからんできている、そんな問題を扱っている集会
だったんですけれども、藤井のこの生命中心主義という考えから原発の問題を解決する
とすれば、どういうことが言えるんでしょうか。
藤井
作ってしまった物はどうしようもないというところもあるんですけれど、そもそも、と
いうところからいくと、命を脅かすリスクが必ずのあるような原発は作っちゃまずいけ
ない、という立場です。そうすると今ある原発も停止して欲しいと思いますし、それは
人間の生命もですけれど、植物とか動物の生命にも決してプラスではないという意味で
も、医者としてもあれは良くないと思うし、一般市民としても、他の動物に対しても良
くないという立場から、「いけない」と。
田中
色んな事例を生命中心主義的に考えると、自ずと結果が絞られて、採用すべきものも絞
られてくるというというお考えだと思うんですが、そういう考え方を学生さんに教えら
れるときに、倫理学の中では生命中心主義だけではないと思うんですけど、色んな立場
を紹介しながら自分はこの立場だというのを仰った上で、教育研究されているんですか?
藤井
それは言っちゃうと学生に色がついちゃうかなと思って控えてたりしてたんですけど、
「結局先生はどうおもっとるん?」と聞かれることが多かったので(笑)。なのでそう
かと思って。「私は医者だから人間の生命も考えたいし、そうじゃない生命も考えたい
と思っているからこの立場を取っているよ、でもみんなは自分で考えな」という形では
説明して。ところどころ文脈の中で、自分の問題意識と一致することがが授業の中で出
てきたら、「ちなみに自分の立場では公思うけどね」と少し匂わすことはやったりはし
てしまうんですけれど。ただ学問として伝授するよりは、何考えてるのかなとか、どう
いう事例があるのかなとか、自分の主観が少し入ってもそれが喜ばれる、伝わるような
気がするので、加減をしつつ、入れた方がいいのかな~と思ってやっています。
田中
なるほど。文学部の学生だと、わりと先生がどう考えているかとか、他の先生はどうい
う立場とか、バリエーションを見ながら、自分はどれを採用するということがやりやす
い環境にある方がいると思うんですけれど。文献読む量も多く取れるというところがあっ
て。お医者さんだと、バリエーションを獲得するところもそうですけど、自分がどれを
採用するかていうところも、時間的にも非常に専門分野の勉強が大変なところだと思う
ので、その辺の課題って大きいんじゃないかと思うので、医師に対する倫理教育ってす
ごく課題も多いんじゃないかと思いますが、その辺はどのようにお考えですか?
藤井
倫理教育をやりだしたのが、多分ここ20年とかだとおもんですけど、それまでは現場
に出たあとに「死を見て育て」というところが多かったらしいんですけれども。やっと
一応どこの大学でも医学生に対する倫理教育というのをやろうということにはなっては
いるんだけど、それもばらばらで。私の勤めているところでは、やってはいるけれど、
一年生の一番最初の授業で「医療人間学」という名前で組んであって、その時期に医療
に関する倫理っていうのをやっても、みんな患者さんとしての経験しかない人がほとん
どなので、みんなピンとこない。本当はもっと段階を追って何回もやるのことが必要だ
と思いますし。あと、大学側の考えも色々だと思うんですけど、「医療倫理」という学
がつかないのがもともとあって、そのルールを教えて欲しいと言われることがあって、
時間がないから法律とかは確かに揺るがないものとして教えるべきなんでしょうけど、
学問としてはそうじゃない、批判的に反省的に見ながら自分で何回も考えるということ
をやらないと、恐ろしいことになると思うので、倫理学として色々なことがあるという
ことを伝えたいんですけど、ただそれが求められることと噛み合ないことがあったり、
学生さんがそういうのがあるんだというのを分かってくれるのに時間がかかったりとい
うのがあるので、難しいです。でもやっぱり何回もしつこく繰り返してやるべきでしょ
うし、卒業した後もやるべきなんだろうと思います。今の学生さんはそういう授業があ
るからまだ幸せなんですけど、本当はある程度年をとったお医者さんにもうなっちゃっ
た人たちこそがまずいと言われる対象だったりするので、そこの再教育はきっとやって
おられる先生もいらっしゃると思うんですけど、どっちも合わせてやらないといけない
んだろうなと思います。
田中
なるほど。すごく藤井さんのご経歴ならではのお考えをお聞きできた気がしまして。最
初に疎外感ということ、二つの領域をお持ちになってどちらにもベースがない感じがす
るということをお聞きしたんですけれど、むしろそれを武器に、藤井さんにしかできな
いことが色々あるんじゃないかなということを感じていました。例えば外国の例ですと、
ヴント、心理学を始めたヴントもドイツ人で、医師の資格をもちながら、専門は生理学
だったと記憶していますがその博士論文を書いて、哲学の方に移られたかたもいますし、
日本の例だと、長崎の出島でオランダ語、ポルトガル語の通訳をしながら、医師として
開業しながら、さらに西洋の哲学とか天文学の翻訳をしながら生計を立てていた人もい
ますので。今の大学だとちょっと難しいシステムになっているのかもしれないんですけ
ど、藤井さんのようなキャリアパスが他の人にも選択できるようになって欲しいなと思っ
ていまして、そこでもし迷っている人がいたら言葉をかけて頂きたいなと思いますが、
メッセージをお願いできますか。
藤井
あまりスタンダードな形じゃないかもしれないですけど、医師と倫理学という形じゃな
かったとしても、何か学際的にやりたいと思っている人は、とりあえず何とかなるので、
興味がいっぱいあるということは、ないことよりもとても良いことだとおもうので、あ
るだけやってみて、そのなかから選択しながら融合していって、そのなかからオリジナ
ルなものを、隙間産業ともいえますけど(笑)。それが見つけられたら、変な話しです
けど必ず何か道があるというか、食いっぱぐれはないというか(笑)。きっとそこがぴっ
たり合わさるところがあるとおもいますし。私の場合は、多才で色んなことができてそ
うなったというよりは、そこの道しかないところを探っていったらこうなったっという
のもあるとおもうので、医学生にこれからなろうと思っている方とか、看護士さんを目
指すとか、わりと臨床という将来像がはっきりした道に進まれる方もなかにはおられる
と思うんですけど、それが途中で病気したとか事情があって、ゆらいだときに、それで
全部が終るわけじゃなくて、それ以外のことと組み合わせて何とか生きているひともい
るし、きっとあなたも生きていけるということを、あまり良い例じゃないかもしれない
んですけど、こういうこともあるんだなっていうことを知って頂けたら。一個がだめだ
からもうだめだってわけじゃなくて、生きていれば必ず生き続けるべきだし、必ず生き
ていけるということを知ってて欲しいということを、若い方々には切に思います。
田中 27:57
あまりそういう力強い言葉を先生から言われたことがない人が多いんじゃないかと思う
ので、特別な経歴かもしれないけど、選択し得る経歴だということを教えていただけた
気がします。今日は押し掛けましてすみません。今度できれば阿蘇のほうにも押し掛け
たいと思うので、熊本大学の文学研究科、社会文化科学研究科というこの二つは実質的
に同じところで哲学を研究をされている研究室があるということなので、そちらの方に
もぜひ遊びにいかせてください。
藤井
はい。うちの指導教官もきっと喜ぶと思いますので、来てください。
田中
今日はどうもありがとうございました。
藤井
ありがとうございました。楽しかったです。

1979年生まれ。佐賀大学医学部卒業後、医師として働きながら熊本大学大学院社会文化科学研究科を修了。学士(医学)、修士(文学)、博士(学術)。現在佐賀大学特任講師として、医療倫理学、生命倫理学を教えている。
