2014年6月23日、梅雨の晴れ間の月曜日、神奈川県葉山町にある茅山荘で坐禅会が開かれ、哲学者の永井均さんと一緒に伺った。 総武線快速で千葉方面から東京湾沿いにぐるりと西へ抜け、逗子駅に降り立つと、光が眩しく、人々の表情も明るい。「こりゃぁ空気の品がいいね」と永井さん。駅からタクシーで15分ほど住宅街を抜け、山道を上ると、茅葺き屋根の立派な門が見えてきた。門をくぐると、そこは竹林が広がる異次元空間。小川を渡り、鶯のさえずりを耳に小道を行くと、坐禅堂には既に30人近い参加者が集まっていた。
もとは別荘地だったこの場所を管理されているのは、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんで、永井さんとは朝日カルチャーセンターで出会い、お互いの講義を行き来する間柄だ。その一照さんは永井さんをすぐに見つけ、さぁどうぞと手招きして中へ呼び寄せた。「今日は人数が多いのでみなさんあまり熱気を発散しないように」と一照さん。地元からの参加者が多く、場はすぐに和やかな雰囲気に包まれた。座布団に腰を下ろし、合掌して一同で挨拶すると、体操セッションが始まった。
一照さんは、アメリカで18年にも渡り坐禅を指導されてきた。日常動作に「床に坐る動作」が存在しないアメリカ人に坐禅の姿勢を指導するため、坐禅の前には必ず体操で心身をほぐすセッションを入れるようにしていたという。ここ茅山荘での坐禅会でもその体操セッションは健在で、身体をイメージしやすくする小道具も数多く登場する。例えば、深くため息をつく動作の時に取り出されたのは、蛇腹のホース。はーっと深いため息をつく動作と、だらりと前に倒されたホースを手がかりに、自分の体のどこの力を抜けば良いのかが掴みやすくなるのだ。
小道具と一照さんの解説を頼りに体のこわばりに注意を向け、息を吐く動作で一気に力を抜いていく。ため息の体操が終わると、次は骨盤を前後に動かす体操へ。今度は骨盤の標本を手がかりに、座面の床と骨盤の接点を前後にずらして背骨を丸めたり伸ばしたり。床と骨の接点を確認すると、骨盤を床に円を描くように回していく。ヘソ、乳頭、顎と、起点を下からだんだん頭部に向けてずらしながら、その回転をゆっくり繰り返していく。「体を砂粒や液体が入った容れ物のように意識して」と一照さん。
そうして1時間の体操セッションが終わると、いよいよ坐禅へ。すっと沈黙に入る一照さんを、時々半目で確認すると、樹木のように床に根を下ろしているようだった。隣の永井さんを見ると、これまたしっかり背筋が伸び、根が生えている様子。なかなか重心が定まらず、落ち着かないこの体と格闘しているうちに、「はい、15分です」と一照さんの声が響いた。茅山荘では姿勢が定まらない時に後ろから警策で叩かれることはないのだが、もしあれば、確実にこの肩は何度も叩かれたと思う。次の30分のセッションに入る時、一照さんは「また新しい坐禅が始まります。もう二度と同じ坐禅はできないのです」とまた仏像のようにすぅっと静かに安坐した。
二つのセッションが終わると、座布団を移動させ、お茶とお菓子が配られ、新しい参加者が紹介された。永井さんは、一照さんの求めに応じて少しだけご自身の哲学の話をしたが、その声は大学で講義をする時と同じように伸びやかで、質問者にまっすぐ届けられた。坐禅と声には何か関係がありそうだ。一照さんの声もまた安定感がある。坐禅中の沈黙の時間に手がかりを与えてくれた一照さんの救いのその声は、お茶会で永井さんへ色々な質問が出されるのを絶妙に仕切った。皆の視線が一旦その声の方向に集まると、一照さんの冗談でどっと笑いが起きるのだ。すると一人一人の肩の緊張が抜けて、骨盤が後ろへ下がり、背骨がゆるやかに曲がるので、円形になったその場が一瞬大きく膨らむ。
ひょっとしたら一照さんの坐禅指導は、人を笑いやすくしてしまっているのかもしれない。肩に力が入った愛想笑いではなく、横隔膜の振動を感じるくらいの笑いへ。「なぜ、この私だけが特別な在り方をしているのかという問題が最大の謎なのです」そういう永井さんも声を出して笑っていた。
帰り際、「ここに来る人たちは明るい人たちだねぇ」と永井さん。「まぁここにいる時はみんな笑っているけど、家に帰ったらどうだか知らないよ」と一照さん。そうして一照さんの運転で駅まで向かう帰りの車中も笑い声は続いたのだった。
/文と写真・田中さをり
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