現代版「ヒポクラテスの誓い」で医師の鎧を脱ごう

2011年9月1日

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尾藤 誠司(びとう・せいじ)
1965年、愛知県生まれ。岐阜大学医学部卒業後、国立長崎中央病院、国立東京第二病院(現・東京医療センター)、国立佐渡療養所に勤務。95〜97年にUCLAに留学し、臨床疫学を学ばれ、現在、東京医療センター教育研修部臨床研修科医長・臨床疫学研究室長。

(2011年9月1日収録)
東京医療センターの尾藤誠司先生にお話を伺いました。尾藤先生は、「『もはやヒポクラテスではいられない』21世紀 新医師宣言プロジェクト」の代表として、現代の求められる医師像を全く新しい方法で編纂しておられます。

その方法とはなんと、twitterでブレーンストーミング、7人の医師と4人の顧問による選定会議をustreamで公開、facebookでレビューして総選挙するというもの。日本医師会が定める倫理綱領とは全く違う方法によって、どんな医師像が浮かび上がってきたのか、ぜひお聴き下さい。また、総選挙にもぜひご参加下さい。

質問事項

  1. 医学生と「ヒポクラテスの誓い」について(1:00)
  2. 「もはヒポ」を始められたきっかけについて(03:42)
  3. facebook、twitter、usteramなどのソーシャルメディアを駆使したオープンな議論について(06:57)
  4. 選定する人の職種や選定基準について(15:12)
  5. 帰納的に宣言文を作るときの様々な価値観によるカテゴリー分けについて(20:28)
  6. 哲学・倫理分野の研究者との対話で得られたこと(24:45)
  7. 「脳死の子どもの臓器移植」という特定の問題に関わる宣言文について(26:24)
  8. 一連の医療行為が終った後の反省の機会について(33:56)
  9. facebookでの総選挙のお知らせ、メッセージ(36:38)

リンク

『もはやヒポクラテスではいられない』21世紀 新医師宣言プロジェクト公式ホームページ

facebookもはヒポ・ファンページ

書き起こしテキスト

田中:はい、改めまして田中です。本日は東京医療センターというところにお邪魔しており
ます。本日お話をお伺いするのは尾藤誠司先生という方です。どうぞよろしくお願い
致します。

尾藤:よろしくお願いします。

田中:尾藤先生のご経歴を簡単にご説明させて頂きたいんですが、岐阜大学医学部をご卒業
後、国立長崎中央病院、国立東京第二病院、国立佐渡療養所での勤務をされ、その後
UCLAに留学され、臨床疫学を学ばれました。現在は東京医療センター教育研修部臨床
研修科医長及び、臨床疫学研究室長というご経歴でございます。尾藤先生に今日お伺
いするお話というのが、「もはヒポ」というプロジェクトについてなのですが、この
プロジェクトの正式名称が「『もはやヒポクラテスではいられない』21世紀新医師宣
言プロジェクト」ということでして、医学部の学生さんに馴染みがある「ヒポクラテ
スの誓い」というのがあり、それを現代の日本版にアレンジしようとようという試み
です。まず最初に問題になっている「ヒポクラテスの誓い」について教えて頂きたい
のですが、日本の医学部の学生さんはこの「ヒポクラテスの誓い」に出会うんでしょ
うか。

尾藤:私も大学の人間ではないので、実は良く知らないんですけど、実は私が学生だった頃
はですね、こういう「医師とは」とか、「医師の基本態度」とか「責任感」とか、そ
ういうような授業はほとんどなかったんですね。ほとんどは細胞がどうなっていると
か、こういう薬がどうなっているかとかそういうようなことしか習った記憶がないん
ですが、一方で、今の学生さんというのは、カリキュラムの中に、「プロフェッショ
ナル教育」といいまして、「態度」だとか、「医療専門職がもつべき姿勢」とか、「
倫理コード」、このようなものを学ばなければならないというのが大学の卒然カリキュ
ラムの中にしっかり謳われておりますので、そういう意味で私の頃とは違いまして、
「医師とは」とか「医師の義務」とか「倫理規範」とか、こういうことは学ぶ機会が
あるようです。その中で恐らく最近の「ヘルシンキ宣言」とか「リスボン宣言」とか、
「リスボン宣言」というのは患者の権利に対する一つの規範なんですが、こういうよ
うなものとともに、医師がもつべき態度として、「ヒポクラテスの誓い」だとか、こ
ういう様なものを学ぶ機会があるとは聞いています。

田中:ありがとうございます。このヒポクラテスという人なんですが、紀元前460年頃に生ま
れた古代ギリシャの医師で、「医学の父」ですとか、「疫学の祖」というふうに言わ
れているということでして、「ヒポクラテスの誓い」というのは世界中でも医学部の
学生さんが学ばれていて、非常に有名なものであるんですが、今進められている「も
はヒポ」を始められたきっかけについて教えて頂けますか?

尾藤:はい。かしこまりました。実はですね、「ヒポクラテスの誓い」を意識してどうこう
という訳ではございませんで、「ヒポクラテスの誓い」の内容も「もはヒポ」という
キーワードを立ち上げてから改めて読んだくらいなんですね(笑)。ではなぜ「もは
やヒポクラテスではいられない」というものを考えついたのかというと、「ヒポクラ
テスの誓い」云々というよりは、クラッシックな医師像、我々が学生だった頃、若い
医師だった頃、「こういうものが医師たるべき存在だ」というモデルがあったわけで
す。こういうモデルをどこで我々が刷り込まれるかというのは、中々難しいんですけ
れど、色んなところで刷り込まれるんですね。その色んなところで刷り込まれていく
医師の像というのが、現代の医療とか、患者ー医療者関係では、一部機能しないとこ
ろがあって、もちろん立派なところもあるんですけれども。一部、患者の利益になる
良い医療という意味では、足枷になっている部分もあるんじゃないか。その足枷になっ
ていることというのが、昨今いわれている医療の中での具合が悪いことの原因となっ
ているんじゃないか、というのが、私の中の仮説としてありまして、それを割とアバ
ンギャルドに(笑)、エキセントリックに表現したのが「もはやヒポクラテスではい
られない」という言葉。すなわち、クラッシックなこういう医師が素晴らしいという
モデルに対しての、ひとつの楔を入れたいという意図が、この言葉の中にちょっと、
アジテーション気味に込められていると考えて頂ければと思っております。

田中:なるほど、ありがとうございます。大変このプロジェクト自体も興味深いのですが、
この進める手段ですとか過程も大変興味深いなと思って勉強させて頂いていたんです
が、医師の現代版あるべき姿というのを、facebookとかtwitterとか最新のソーシャル
メディアを使って、募集されておられます。この中で何か新しい発見というのはござ
いましたでしょうか。

尾藤:ありがとうございます。その発見の前に、なぜこのようにすべてのプロセスをできる
だけ透明化して進めていこうと思いついているのかということについて、「もはやヒ
ポクラテス」ではいられないというコンセプトと大きくリンクしています。すなわち、
先ほど私が言っていたクラッシックなタイプな医療者というのは、実に厳かな存在と
いうかですね、私はよく「王国の騎士」という、鎧に身をまとった騎士あるいは、武
士ではないかと形容しているんですが。それはどういうことかというと、弱い民を守
るために自分は強くなければならない、敵と戦うために鎧で武装して、決して傷つい
てはいけないし、迷ってもいけない。常に強い存在であり、頼られるだけの存在とい
うモデルですね。より分かりやすくいうと、昔のウルトラマンとか仮面ライダーとか
いう感じですね。困った時に颯爽と現れて敢然と悪に立ち向かい助けてくれる、そう
いう存在を、ずっと私は医師に対して思い描いています。ただ、それだとどうしても
色んなものを秘密にしていかないといけないですよね。例えば弱みを見せてはいけな
いので、弱みを秘密にしなければいけないし、疲れていることも見せちゃいけないで
すよね。仮面ライダーは、「今日オレ疲れちゃったんで、ちょっと休んでいい?」と
はなかなか言えないわけですよ。いろんなものを取得していかないといけない、そし
て強がっていかないといけない部分がどうしても出てきます。そこが医療者がどんど
ん疲弊していってしまったり、逆に患者のいうことに耳を貸さず、自分が正しいと思
うことをどんどん進めていってしまう、ということがあります。

例えばウルトラマンは、スペシウム光線が出て怪獣を倒すじゃないですか。そのなか
で戦っているときにドーンって尻餅ついてビルとかグシャっと潰れているですよね。
「そこでビル潰したろうお前、ウルトラマン」とか言うですね、もちろんビル潰して
いるですけど、ウルトラマンとしては、地球人守ってやっているのにそんなこという
なよということがあるわけです。ただ、そこでビル潰れて住むことができなくなった
人が確実にいるわけで、そこの部分に今まで配慮なく、「患者のために良いことやっ
てんだからブツブツ言うな」みたいなことをやっていたのが、ウルトラマン的医療だっ
たんですが。それでやっぱり不幸な目にあっている患者というのは、いっぱいいる訳
ですよね。で、そしてそこの部分を無視するわけにはいかなくなってきているわけで
す。医療が持っている邪悪な部分とか、そういうものも含めてですね、ちゃんと平場
に出して、議論していかないと我々はいけないだろうと。そういう意味で、鎧を少し
でも脱いでいくとうのが、「もはヒポ」の基本コンセプトなんですね。この基本コン
セプトを進める上で、やっぱり密室性があってはいけないだろうと。あとは独善性で
すね。やっぱり専門職が何か崇高な理念で密室で案を出して決めていくと、たいがい
ろくなものにならないんですよ(笑)。そういう前提に立って、とにかく最初のブレー
ンストーミングの段階から、まず募集と。募集してそれを選定、統合、レビューして、
そして色んな関係者で交じあわせて、そして皆で一緒に練っていこうというコンセプ
トをとにかく強調したい。そういうところで、今回twitterを使ってブレーンストーミ
ングしたり、持ち寄った案の会議もustreamで公開して、絞った案というのを”ワール
ド・カフェ”という場で、色んな人たちが集まって揉んでいったり。こういうことを徹
底させたというのはそういう意図があります。

田中:今はどういう段階にあるんでしょうか。

尾藤:今はですね、最終の宣言文を作る最終段階なんですけれども。今の時点で、16項目に
絞ったんですね。最初220項目ぐらいあったんですね。それを色んな段階を経て、最終
的に16項目になり、今一つ増やして17項目にしているんですが、この17項目について
は、「てにをは」を含めた文言について、今実はfacebookの「もはヒポ・ファンペー
ジ」というのがありまして、それも公開していまして、そこでずっとやってるんです
ね。最終的に17項目の一宣言80字以内という形で着地させ、そして来週になるんです
が、9月の8日から今度はそれをfacebook上で総選挙を(笑)。facebookだと「いいね」
というのを出すと、それで一票入るんですね。「いいね」は一回しか押せないですか
ら。「もはヒポ・ファンページ」というのがfacebook上にあって、ファンページで「
いいね」を押してもらっている人たちに投票権があるんですが、その人たちに対して、
その17項目で総選挙で選んでもらって、最終的に10から13項目に絞ってそれを確定し
たいと考えています。もちろん総選挙というのは、AKB48のパクリでございます。パク
リは大事ですね。

田中:アイデアの出元まで教えて頂いて、本当に興味深いお話だったと思うんですが、この
選定する作業が非常に難しそうだと想像しているんですが、選定する人の職種であっ
たり、選定基準がもしあれば、教えて頂けますか。

尾藤:そうですね、まずは、最終的な宣言というのは医師宣言なので、「ヒポクラテスの誓
い」というのも、ヒポクラテスが勝手に言っている話なんですよ、一人でですね。逆
にいうとあんまりコンセンサスというものを考えすぎると、よくわからなくなってく
るわけですよ。やっぱりその個人の宣言というもので。個人というのは、医療職や医
師を背負っている個人なんですが、その個人が自らの患者さんへのケアの場面で、色
々誘惑に負けたり、揺らいだり、もしくは逆に鈍感になったりするときに、「ちょっ
と待てよ、オレはちょっとおかしいんじゃないか、まずいんじゃないのか」と立ち戻
るための座標ですね。こういうものが多分重要だと思うんですね。それは多分あんま
りコンセンサスでやっていくと、そういう座標になるというよりは、良い子の道徳規
範集みたいなものになっちゃう気がするわけです。良い子の道徳規範集になっちゃう
と、現場での心の葛藤だとか、そういうものに対して使えない。逆にむしろ考えない、
これが正しいんだという方向になっていくと、残念なので。やはり「個人が医療専門
職としてやっていくうえで立ち戻る座標にしたい」これがまず重要な宣言を選定する
基準だと考えています。

その意味で尾藤個人というのもひとつあったんですが、やっぱりそれだとどんどんず
れていくので(笑)。私プラス、私が信頼している医師の仲間ですね。全員で7人い
るんですが、なぜ7人にしたかというと、何となく7人ってカッコイイというそれだ
けなんですが。7人から始める宣言文というふうにしています。最終的に宣言ですか
ら、宣言する責任は医師にありますから、その7人が責任をとるわけですが、ただやっ
ぱり7人だけで考えていったり、選定していったりすると、必ず自分たちの都合の良い
方向にもっていこうとするので、4人の顧問として、人文系の人たちとか哲学系バック
グラウンドの人ですとか、市民の会をやっている人ですとか、看護職を代表する方を
顧問として協力して頂いて、その11人をコアのメンバーとして選定をしていくことを
やっています。あまりバランスが良すぎてもよくないと思っているんですね。「ヒポ
クラテスの誓い」ものになっているわけなんですが、逆にバランス悪いからこそ、リ
アルな自分が鈍感になっていこうとするところを「ちょっと待て」と、自分が事なか
れ主義になっていこうとするところを「ちょっと待て」っていうような規範になりう
ると思います。そういうことを最終的な着地点として選定をしていっているというこ
とになります。

もうひとつは、さっきもいった基本的なコンセプトとどれだけあうか。例えば「勉強
し続けます」みたいなのは当然だろうと。当たり前のことですよと。「腕磨き続けま
す」というのはそんなの当たり前ですよね。だから今の患者ー医療者間の状況、鎧を
着過ぎている状況、こういう鎧を脱いでいかなければならないとか、患者さんより自
分を守りたいと思った時に、「いやいや、それはおかしいんじゃないの」と。この現
状の中で今の医師が変わっていかないといけない、というものに、なるべくフォーカ
スを置いたような宣言にしたいというのが、今回の選定の基準になっている訳ですね。

田中:宣言というと、色々な学術団体で掲げられている倫理綱領というのがあって、医学系
ですと、日本医師会とか厚生省のコンセンサスでトップダウンでこれを守りなさいと
いうのがある状況だと思うんですけれど。今尾藤先生がお話し頂いた「もはヒポ」の
取り組みは、どちらかというとボトムアップで、帰納的に真っ白なところから集める
というところからなさっていて。そうすると色々な価値観からカテゴリー分けができ
るような気がして、延命治療とか、安楽死とか尊厳死という問題もありますし、生き
ることをどう考えるかとか、個人によって価値観が違うものに基づいた医師像という
のが出てくるように思います。何かカテゴリー分けで難しところはありましたか。

尾藤:うーん、そうですね。臨床においては倫理的な考察をしないといけない場面というの
は実にケースバイケースですので、例えば人工呼吸器をつけるかどうかというのは現
場の判断になるんですが、その現場の判断をするうえで、規範としてもっている自分
の態度ということになってきますので、今おっしゃられた現代医療だからこそ重要に
なってきている倫理的な課題というものに、対応しないといけない自分の中の態度と
いうのは大切にしました。カテゴリー分けということについては、220の項目をカテゴ
リーに分けていったときに、比較的うまく別れたんですね。しかも最初に私がお話し
した「着込んでいる鎧を脱ごうよ」とか「自分の正しさを疑おうよ」という部分をひ
とつのキーメッセージとしたカテゴリーというものに比較的別れたんです。その中で
16項目をうまく選定していくことが結果的にできたんですが、さっき16項目を一個だ
け増やして17項目にしたというのは、一つだけ抜け落ちていたなと思っていたのは、
「公共的な医療というサービスに対して、自分たちはどう折り合いをつけるか」とい
うことについてやっぱり宣言しなきゃいけないなと。16項目ざっと見たときにそれを
正面から謳っているものがなかったので、それを一個入れたんですね。

例えば「1万円上乗せするから早く診てよ」とか。ジェットコースターに乗るときに特
別枠があるじゃないですが。お金払うと早く乗れますみたいな。そういうものって資
本主義の中では普通にあるものですし、そこでペイのトレードオフがなされているわ
けですから、それを不正ということは普通はない訳ですけど。医療の場合は「100万円
払うから他の人より早く手術してよ」ということに対しては、自分たちはある程度毅
然とした対応をとるべきだと思っているんですね。こういうものに対するコンセプト
を16項目からひとつ加えて17項目にしたということがあります。

田中:途中経過のものを拝見させて頂いたんですが、きっと哲学・倫理学の分野の方が見て
も、琴線に触れるものがあるなと思いながら拝見していたんですが、チームの中に顧
問の方で哲学・倫理の分野の方が入られているということですが、そういう方との対
話の中で得られたことってありますか。

尾藤:そうですね。名前出していいのかな(笑)?ホームページに出ているので、多分大丈
夫だと思うんですが。熊本大学の職業倫理をやっている田中さんに入って頂いている
んです。やはり職業倫理という基本となるバックグラウンドについて、丁寧に解説し
てくれるので、私なんかほとんど感性で言ってますからね。「こういうの大事なんじゃ
ないの?」というと、「それはこういうバックグラウンドがあって、歴史があって、
こういう状況になっているので、それ大事だと思うよ」と言って頂けると、「ありが
とうございます!」っていう感じですよね。我々の魂の叫びにある程度バックグラウ
ンドをしっかり与えてくれて、修正すべきところもそういうものに基づいて言って頂
けるというのも大変ありがたいと感じています。

田中:田中朋弘先生にはついこの前この取材に応じて頂いて、聞いて頂いている方には両方
のお声を聴いて頂けることになると思います。哲学・倫理学との対話も踏まえて17項
目になっているということで。ありがとうございます。今、私たちの哲学雑誌のなか
でテーマとして考えている問題が、「子どもの脳死臓器移植」で、それを中心に取材
をさせて頂いているんですが、こういう特定のテーマについて宣言というのは何か盛
り込まれているでしょうか。

尾藤:小児に限ったことではないんですが、じゃ、具体的に宣言文を紹介しながらでよろし
いでしょうか。

田中:はい、おねがいします。

尾藤:例えば8番目の宣言文の候補になっているものですね。「私は患者さんの健康の維持や
回復、症状の緩和を支援するとともに、患者さんの命が終っていく過程にも積極的に
関わります」という宣言文。これはですね、病院という文脈に入ってしまうと、「死
は回避しなくてはいけない」とか「死は悪いものだ」という空気にどんどん我々医療
者は、患者さんを引っ張って行ってしまうんですね。ご家族の方とか。そういうのに
対する戒めのつもりで書いています。

他にはこういう文ですね。「私は私が行う医療行為が常に患者さんを害しうることを
忘れません。もし不幸にして患者さんに重い副作用が生じた場合には、患者さん本人
や家族の悲しみに対し誠実に向き合い続けます」。これはですね、我々が患者のため
にと思ってやっている色んな医療介入というものが、常に害になる。これは結果的に
かもしれないけれど、確率論としての害、例えば副作用としての害というのもありま
すし、医療者の価値観からみるとこれは益であろうとものが、患者の利益に関してい
うと、実は害になるということもあり得るんだという戒めとして書いたものでありま
す。

その他にもですね、例えば「私はどんな状況にあっても患者さんが希望をもつことを
最大限尊重します」。これはですね、例えば終末期医療というものに対して、多分患
者さんのなかには色んな希望というものがあるはずなんですね。色んな光というもの
が。それをやっぱり我々はその希望というものをひとつの物差しにどうしても持って
行く傾向がある。そこに対する戒めです。この後段には「医療だけでは患者さんの問
題を解決できないような場合にも患者さんの相談者であり続けます」というのを添え
ています。こんなような感じで今、17項目(笑)。

田中:今、Facebookの画面を拝見しながらお話頂いているところでした。終末期医療ですと
か、患者さんや患者さんを見守っているご家族にどういうふうに医師が向き合えるか
というところだったと思うんですが、「臓器移植」に限ってどういう医師像が求めら
れていると思われますか?

尾藤:臓器移植か。これは難しいですね。これは非常にふわっとした言い方で申し訳ないん
ですが、実はその「臓器移植」というものを行うときに、どの当事者のどの利益とど
の当事者のどの不利益が生まれるかということに対して、少なくとも医療者はちゃん
と感受性を持たなければならないということかなと思います。移植賛成派という人が
いるし、移植反対派という人もいるわけですよね。賛成派かと反対派というところに
立ってしまうと、じゃあ、この状況で、この人に、このタイミングで、今亡くなった
人の心臓なり何なりを移植するということに対して、どんな悲しみとどんな希望が発
生するのかということに、心を閉ざしてしまうと思うんです。賛成、反対だけだと。
そこに対する感受性というものを我々は常に持っている必要があるという、ちょっと
ふわっとしたことなんですけれども。

田中:16項目の中でも「こういう医師像を求められている」ことを自覚すること、という、
両面を見ることという項目が見られたと思うんですが、そういうことと関係してくる
んでしょうか。

尾藤:そうだと思います。「鎧を脱いで、自分の正しさを疑う」と、自分が少し揺れなけれ
ばならないんですね。揺るぎない存在でいられないということだと思うんです。「も
はやヒポクラテスではいられない」というのはそういうことだと思うんですよね。揺
るぎない存在ではいられない。じゃあ揺るぎない存在でいられないのは悪いことなの
かというと、それこそが現代から未来の医療専門職の姿なのかなと思うんです。揺れ
るというのと、ブレるというのは違うと思うんです。右往左往されると専門職として
どうかと思うんですが、ただ、こちらにはこちらの「こうすべきだろう」というのが
ある上で、そこに患者が持つ悲しみや希望というものと、そういう専門職の価値観と
いうものを擦り合わせながら一緒に探して行く姿勢というのが、現代以降の医療にお
いて一番求められていると思っているので、そういう意味での両義性、揺るぎない存
在から脱皮すること、強いメッセージとして我々が出したいところであります。

田中:揺れることを許容すると、一連の医療行為が終った後に、それが正しかったのか
ということを反省するときに、スーパーバイス、指導してくださる先生とのコミュニ
ケーションも大事になってくると思うんですけれど、後で反省する機会というのはど
ういうところにあるんでしょうか。

尾藤:今すごい重要なことだと思うんですけれど、実は反省しなかったんですよね、医師は
(笑)。前を見続けていた。振り返り反省するというのが実に重要なコンセプト。そ
してその振り返り反省するときに誰がそのメンターになるかということが実に重要だっ
たんですが。宣言文の中にもあるんですけれど、個人の医師である私のメンターとい
うのは、必ずしも私より経験と知識が豊富な医師である必要はない。むしろ、そうい
う人間からは一部分からしか反省して得ることができないと思います。むしろその、
ナースや、技師さんなどのコメディカルスタッフ、そしてある意味後輩の研修医とか
ですね。何といっても患者さん自身やその家族からのフィードバック。「あなたがあ
のときこういうふうに言ってくれたので私はあそこで思いとどまることができた」、
逆に「あなたのあの一言で私は傷ついて思いとどまれなかった」とかですね。こうい
うのも含めてすべてが金言だと思うんですね。すべてが宝だと思うんです。こういう
反省していく態度、あらゆる関係者からのフィードバックというのが、自分が専門職
として今後やっていく上での偉大な師であるという態度が、実に重要なのもの、とい
うことも強くメッセージとして入れていきたいということなんですね。

田中:最後に、いまFacebookで募集をなさっているということで聞いて頂いている方にメッ
セージあれば教えて頂けますか。

尾藤:今後なんですけど、総選挙が9月の7日から19日くらいにかけてあるので、もしそれに
間に合うようなら、facebookの「もはヒポファンページ」に参加頂いて、ぜひ総選挙
に参加してください、ということと、最終的にできたものをどんどん拡散していきた
いと考えています。この7人から始めるこの宣言に、フォローしても良いなと思ってく
れる医師は、恐らくメジャーな存在ではない(笑)。マイナーな存在だと思うんです
けど、ただ、医師の10人に一人がこのコンセプトにフォローしてくれるようであれば、
やはり医療は変わるんじゃないかなと思っています。それと同時に、我々海賊のよう
な集団のよくわからない戯れ言に対して、フォロワーとともに承認してくれる人とい
うものを。「あなたたちの言っていることは何かうさんくさいけど、そこそこいいん
じゃないの」というようなことを感じ取って頂ける方は、承認のホームページを作っ
ていこうと思っているので、そこでぜひ承認して頂けると大変心強いです(笑)。よ
ろしくお願いします。今のホームページは、Googleで「医師宣言」と書いて頂けると、
最初の方にヒットしますので、大丈夫だと思います。よろしくお願いします。

田中:ありがとうございます。ホームページのほうが、www.ishisengen.netで、facebookの
ほうが、「もはヒポ・ファンページ」というところをチェック頂ければと思います。
尾藤先生今日はお忙しいところありがとうございました。

尾藤:ありがとうございました。