日本に生命倫理学を導入した哲学者、加藤尚武さんの思い

2011年9月20日

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加藤 尚武(かとう・ひさたけ)
1968年東京大学大学院博士過程単位取得退学後、東京大学で助手を務めた後、山形大学、東北大学、千葉大学、京都大学で教鞭をとり、各地に生命倫理学の研究室を立ち上げる。現在、京都大学、鳥取大学名誉教授。

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「加藤尚武さんは、東京大学でヘーゲル研究者を志していた1950年代に、DNAの構造式が発見されてから20年後に遺伝子組み換えの可能性が示唆された時期を見逃すことはできなかった。人類史がこの時期を境に前後に分かれるぐらいの決定的な出来事だと感じたのだ。「生命が操作段階に入ったことをによる文化的影響を見通すこと」。これがその後の加藤さんにとっての哲学的課題となった。千葉大学で教鞭をとりながら、一般人向けに開いた倫理学の総合講座は、”bioethics”が「生命倫理学」として日本に紹介された最初の本格的な講義になった。2000年にその功績が讃えられて紫綬褒章を受賞する。大学を退職した今も、加藤さんは精力的な研究活動を続けている。」哲楽第3号p.12より。

インタビュー抜粋

田中 改めまして田中です。本日は東京大学本郷キャンパスにて、加藤尚武先生においで頂いております。加藤先生よろしくお願い致します。まず加藤先生についてご紹介させて頂きたいのですが、1937年に東京都にお生まれになられて、1968年東京大学単位取得退学後、東京大学で助手を務められた後、山形大学、東北大学、千葉大学、京都大学で教鞭を取られ、各地に生命倫理学の研究室を立ち上げられました。現在は京都大学、鳥取大学の名誉教授でいらっしゃいます。まず最初にお伺いしたいのですが、加藤先生が生命倫理学に関心をお持ちになるに至った経緯について、お話いただけないでしょうか。

加藤 生命倫理学という言葉を知る前に、私が、生命について新しい出来事だなと感じたのは、アシュロマ会議。アシュロマ会議というのは、1970年代にコーエンというひとを中心として、遺伝子操作の可能性が見えてきた時に、遺伝子操作の安全性について、科学者がカリフォルニア州のアシュロマというところに何度か集まって議論したという出来事なんですね。

アシュロマ会議についての報告書がいくつか日本語で出版されました。DNAの構造式がわかったということも画期的な出来事なんですが、例えばDNAの構造式の発見が1953年で、コーエンによる遺伝子操作の発見が1970年だとすると、大体20年の間をおいて、遺伝子を組み替える可能性がわかったということですね。この二つの出来事は歴史の尺度でうと人類史がその前と後とに別れるというくらいの、大きな出来事ではないかと思いました。例えば生命についてはアリストテレスという人が画期的なことを言っているんですけれども、それは確かに素晴らしい遺伝学の原理でもあるということを確認していますが、しかし、生命についての人間の見方、生命の中の構造式を読み取ってそれを組み替えるという段階に入るということは、これは今までの、哲学、宗教、倫理、社会制度すべてを全く新しいものに作り替える可能性をもっているくらいの大きな出来事であって、生命操作技術が安全であるとか危険であるとかそういう議論をしなければならないことはもちろん確かですが、生命が操作段階に入ったことによる文化的な影響の全体を見通すということが哲学の大きな課題であるのではないかと思いました。

直接のきっかけになったのは千葉大学で総合講座を開講しなければならないけれど、「一般人向けの総合講座のプログラムを考えてください」と言われたので、そこで一年間の計画でバイオエシックスの色々な話題を12回だったか24回だったか忘れたけれど、学生や一般の市民も含めて紹介するようなプログラムを作るようにしました。その時から文献を集めて、大体生命倫理学の全体像がわかるような文献紹介をしようと考えた です。ただ、生命が操作段階に入ったということの文化的な影響の全体をつかまえておく課題と、生命倫理学を紹介するという課題にはズレがあるんですね。生命倫理学というのは、勉強していくうちに大体わかったんですけど、功利主義を中心とするジョン・シュチュアート・ミルの自由主義の倫理学および自由主義法学といわれているもの、それらの考えがまとめられて、臓器移植であるとか、人口妊娠中絶であるとか、医学のなかの新しい話題に対応する思想的システムを作り上げようとしている動きであると見えてきたんです。

 

インタビューをまとめた記事は哲楽第3号でお読み頂けます。
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