哲楽創刊号から広告を出していただいている、ナカニシヤ出版さんより、最近出された本をご恵投いただいた。どれも哲学や教養をめぐる「今」を鋭く捉えた好著なので、一冊ずつご紹介したい。
この本は、2012年に京都大学で起きた「教養共通教育科目再編」の流れを受けて、「ゆとり世代」と揶揄される学生たちの手により、企画・編集された。ノーベル賞を受賞した益川敏英教授のインタビューや教員からの寄稿文に、学生たちの座談会の記録が続くという構成だ。この構成を一読して、何だか頼りないなあという印象を受けたのは事実だ。実際、物理学者の阪上雅昭教授の寄稿文にはこう書かれている。
「本書は国際高等教育院構想に反対する活動がきっかけとなり企画されたものである。“はじめに”でも書かれているが、その騒動の中で生じた“教養とは何か”、あるいは“教員は何を伝えたいのか”という問いを素直に私たちにぶつけた企画である。どんな形にせよ、私たちの活動に触発されて学生のみなさんが動いてくれたのは嬉しいことである。一方で、執筆された当初から“気に入らない”企画であったことも確かである。それは“先生に聞いてみよう”という本書の編集委員の態度に集約されている。何故、自分のあたまでこの問題を考えようとしないのだろうか」
この指摘はもっともだと思う。60年〜70年代に学生だった人々の目には、この本の企画趣旨が頼りなく映ることは想像に難くない。同じ時代であっても、例えば中国との自由貿易に反対して蜂起した台湾の学生たちから見たら、迫力に欠けるものがあるだろう。しかし、後半で、トロウの高等教育システムの三段階モデルを学生たちが議論している様子にはっとさせられた。彼らが生きているのは、進学率15%までのエリート型から、マス型を経て、50%を越えたユニバーサル・アクセス型の時代なのだ。頼りない印象の原因を彼ら自身の能力に帰すことはできない。
ユニバーサル・アクセス型の大学で学ぶ彼らが取った行動は、大学を封鎖するのでもなく、デモを起こして警察ともみ合うのでもなく、京都の老舗出版社から本を出したのだ。数千部単位で世に出たこの本は好評を博し、彼らは今でも各地で講演を開いて「教養とは何か」を参加者と一緒に考えている。彼らの姿勢は、しなやかで、したたかで、堅実ではないだろうか。「最近の大学生は…」とため息をもらす前に、ぜひ手に取っていただきたい。