ギリシャ哲学とskypeで考える、一人称の技術のあり方

2011年3月15日

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田坂 さつき(たさか・さつき)
東京都立大学大学院修了。立正大学准教授。古代ギリシャ哲学、特にプラトンの知識論が専門。

(2011/3/3収録)電子書籍の流通が拡大してきた昨今ですが、今日は、古代ギリシャ時代から受け継がれてきた羊皮紙に刻まれた書物について、田坂さつき先生にお話を伺いました。田坂先生は、工学部の学生さん達と、ギリシャ哲学の対話法を学びながら、技術のあるべき姿を考える取り組みをなさっています。古代ギリシャの対話とはどういうものなのか、日本に翻訳された頃のお話や、田坂先生が学生さん達に伝えたい思いについて、質問リストを手がかりにお聞き下さい。(2011/3/2収録)

  • Q.1.ネオソクラティクダイアログという手法を取り入れられるようになった経緯について(1:26)
  • Q.2.2000年以上のギリシャの哲学対話を授業で用いる意義について(04:11)
  • Q.3.一番古い書物は、何年くらい前のもの?(07:23)
  • Q.4.日本語で読めるようになったのはいつごろ?(08:31)
  • Q.5.工学部の学生さんたちとの「福祉ものづり」について(11:25)
  • Q.6.技術のあり方とプラトンの知恵との関係について(14:40)
  • Q.7.ギリシャ哲学を使った技術者倫理教育を広めるための工夫(17:24)
  • Q.8.女性研究者の強みとは?(19:50)

<リンク>
東洋経済オンライン:立正大学 『社会に開かれた学びが「モラリスト×エキスパート」を育む。』

書き起こしテキスト

(田中)
はい。改めまして田中です。今日は田坂さつき先生の研究室にお邪魔しております。
今日はお忙しいところすみません。よろしくおねがいいたします。

(田坂)
こんにちは田坂です。どうぞよろしくお願いします。

(田中)
今日はですね、ネオソクラティクダイアログというワークショップにお邪魔させて頂
いたんですけれども、日本語でいうと、新しいソクラテス的対話ということでよろし
いんでしょうか。対話のワークショップに参加させて頂いたんですが、このワークショッ
プで今日やられていた実践を取り入れられるようになった経緯についてお話頂けます
でしょうか。

(田坂)
おととし、日本倫理学会で、臨床哲学研究室を開かれて活動されている中岡先生とシ
ンポジウムでご一緒したんですね。そこで、先生が、「ネオソクラティクダイアログ」
とおっしゃって。私は2000年前のソクラテスの対話編を読んでいたので、ネオ(新し
い)がつかない、そういった研究をしてたので、まずそこでそういった研究をされて
いる方がいらっしゃるということを知って。それでまず中岡先生にこんなことやって
いますというお話をしたんですね。そしたら中岡先生が、私がやっている様々な実践
の中に一回ちょっとおいでいただけますか、と言ったら、ぜひとおっしゃって。ALS
という筋萎縮性側索硬化症という体の筋肉が徐々に麻痺していく難病患者さんのお宅
に、ご一緒に伺ったというのが出発点なんですね。この手法を導入したいと思ったの
は、そういう患者さんのお宅に伺ってお話を伺ったり、あとそういう難病の方とか、
障害のある方のための「福祉もの作り」という活動を2005年からしてたんですけれど
も、そういう活動をしている私たち学生たちと、もっとこう知り合いたい、対話を深
めたい、何を考えたか、何を感じたか、何が見えたかを確かめたい。そういう気持ち
があったんですけど、なかなかそれがうまくいかない。

そこで中岡先生とご一緒して、もしそういう形で対話が深められればと思って。そう
いう風に取り入れられないかなと私が考えているというところをご協力頂いて、今日
に至ったという、だいたいそういう経緯です。

(田中)
ありがとうございます。2000年以上前のギリシャという時代っていうと、日本の学生
さん達にとっては時間的にも距離的にも遠いイメージがあって、そういう遠い世界で
遠い昔に行われていたことを、今の日本で実践的な活動としてやっていくっていうこ
との意義について教えていただけないでしょうか。

(田坂)
2000年を超えた前っていうと、書物は紙ではないんですね。羊皮紙という羊の皮に文
字を彫り込んで行く。とても大きなものなんですね。それを読むってどういうことかっ
ていうと、そういう大きなものを見る訳なんですけど、今のように印刷術もなければ
コピー術もない。ひとつしかないものを人が手で写していくという、そういう書物な
んですね。それが今残っているということが、私はそれがすごいことだと思うんです。
もしもそれを写す人が一人でもいなかったら、残らない訳ですよね。また戦争とか、
洪水とか火事とかで消失することは多々ある。戦争とか洪水があったときには、人は
それをいちはやく安全なところに避難させたっていうその証だと思うんですね。だか
ら永遠のベストセラーだと思うんです。今本屋さんに沢山本が並んでいますけど、今
のベストセラーが2000年後までベストセラーかっていうと、それは多分そういうこと
はない。それだけ沢山の人が今まで残していった、残す価値があると思ったから残っ
てきたわけですよね。それの中身はいったい何なんだろうと思って見たときに、時代
を超えて、国を超えて、人々がこれは残さなければいけないと思ったことが書かれて
ある。それに、触れてみたい。それが、対話で書かれてあるんですよね。対話のなか
で何かを探求していくそういうことが書いてある本なんですね。対話って、今私たち
も対話しますよね。対話の本を読むと、そのなかに自分も参加者として聞き手で座っ
ている感じがするんです。そうすると、2000年前の現場に自分が座っているような、
対話に参加しているような、そういう感じがするんですね。今の対話と、2000年前の
対話をつなぐのが、そういう古典、書物なんじゃないか。そういうふうに私は思って、
そういう研究をしているんですね。それが骨董ひにちにというか、昔はこういう対話
があったんだよで終らないように、今私たちが関心を持って対話したいこと、それと
古典の接点、一緒に議論できることを、古典、2000年前の書物を手がかりに、今、わ
たしたち、考えてみたい。そういう関心です。

(田中)
素朴な疑問なんですが、一番最古の書物というのは何年ぐらい前のものになるんでしょ
うか。

(田坂)
難しい質問なんですけど、書物という形では、羊皮紙という羊の皮に書いたものとい
うのは、私が読んでいるアンティカ時代なので、だいたい2400年ぐらい前のもの。そ
れを私たちは読んでいるんですけれども、その前には書物というのかわからないんで
すけど、古代ギリシャでは碑文、石に刻んだものですよね。またエジプトではパピル
スとかあるんですけど、私が研究している古代ギリシャは、ギリシャは湿気がありま
すので、パピルスは黴びてしまうので、それが羊皮紙という形になったっていうんで
すね。私が読んでいるアンティ化時代というのは、だいたいそれぐらいの時代なんで
すけど、碑文とか、パピルスとかになるともっともっと前になっていきますね。フェ
ニキア文字とかですね。

(田中)
それが日本に入ってきたのは、大体どれくらい前の。日本で翻訳されて、日本語で読
めるようになったのは大体どれくらい大体どれくらい前の話しなんでしょうか。

(田坂)
ギリシャ語が入ってきたのはいつなのか、というのは私はあまりそこらへんは調べた
ことがないんですが、ギリシャ語で書かれているもので有名なのは、新約聖書がコイ
ネーというギリシャ語なんですね。それはおそらくキリスト教がはいってきたのと同
時に入ってきたとは思われるんですが、ただ、ラテン語訳が入ってきたのが、ギリシャ
語までその人が読んでいるかっていうのは、来ている宣教師の教育水準にもよるわけ
なんですね。ただ、私がやっている古典というのは、ちょうど田中美知太郎先生とい
う先生がいらしたんですが、その京都大学を中心に、だいたい大正、昭和ぐらいの時
代に精力的に翻訳がなされて、ほとんどのものが全集版が翻訳されているというので、
戦後、ヨーロッパから来た人たちがびっくりされたということがあって。その時代っ
ていうのも、先ほどコピーもなければ出版もっていうふうに申し上げたんですが、戦
後だから紙がない時代。私の先生は、手でノートで写して、先生のお宅に集まって読
んだっていうそういう時代なんです。本もない、みんな写しながら読んだっていうの
で今の時代とずいぶん違うんです。そういう勉強会とかそういった研究を通して、翻
訳されていったんですね。だから戦後アリストテレスもプラトンも全集が出て、それ
がまた今度新しい版が出て、っていうように、ギリシャ研究っていうのは、日本では
非常に精力的に行われたんですね。それはちょうど研究者の層が厚かったっていうの
もあるんですけれど、多分なにか、日本人の心に何か響くものがあったんじゃないか。
特にプラトンは、会話体の対話なので、先ほど申し上げたように、入りやすいんです
ね。自分にも何か聞かれているような。答えが書いていないことが多いんです。対話
していって結局わからなくなったとか、そうしたときにじゃあどうしようって、自分
が巻き込まれていくような。そういうような対話編なので、魅力があったんじゃない
かと思います。

(田中)
ありがとうございます。100年弱ぐらいの期間で2000年ぐらいの知の蓄積が翻訳され
ていったというのが、その当時の人たちのモチベーションの高さというか、魅力の強
さというものを感じさせられるエピソードだと思います。
そうしたギリシャ時代のお話を、今、田坂先生は、生命倫理への現場ということで、
「福祉もの作り」という試みをなさっておられますけれども、その試みについてちょっ
とお聞かせ頂けないでしょうか。

(田坂)
あの、ソクラテスは、「誰も死を知っているものはいない」っていうんですね。「死」っ
ていうのは、いやわかっている、という風に思うんですけども、でも「死を知ってい
る」というのは、自分の死、一人称の死っていう。生命倫理の現場というのは、病に
生きる人とか、尊厳死とか安楽死とかを考える人、臓器移植を考える人、という必ず
死っていうのをどっかで考えながら考えますよね。それが一人称の死であるときに、
本当に「私」の問題になると思うんです。ただ、今の生命倫理の問題っていうのは、
ちょっと注意しないと三人称。例えば、「そういう人がいて、呼吸器をつけるのは良
いかしら」とか、「こういう人がいて臓器移植をするときに世の中で認める?」って
いうときに、三人称なんですよね。それをどうやったら一人称で考えていけるかって
いうときに、ソクラテスが、自分が死刑判決を受けて国外逃亡もせずに、毒杯を飲む
んだけれども、そういうのを一人称の問題として、自分の問題として語りながら、弟
子達に死後の魂が存在するかしないかとか、死刑判決を受けるべきか、国外逃亡する
べきかということを議論するんですよね。ソクラテスの本当の一人称の生の選択に対
して、弟子達あるいは裁判の席で、どういうふうに考えるかっていう。すごく臨床哲
学的な問題に私は見えて。ちょうど裁判員制度とかそういう問題もありますでしょう。
そういうところでどうやってコンセンサス(合意)をつくっていくのかっていう。そ
れを自分の身でソクラテスは体現している。それを読んでいく中で、私たちは一人称
というところから、考えるということを学んで、なおかつソクラテスが自分と対話し
ている「あなた」二人称の人。三人称の誰かそういう人がいてね、ということではな
くて、そういう二人称の立場でその問題を考えていく中で、いつか自分が一人称のと
きにどう考えるかとか、自分のパートナーとか、親とか、子どもとか、ということを
考えられるんじゃないかなと思う。それを対話という形の哲学書、対話編というのが、
私にとってはすごく入りやすかったですし、また一緒に実践している学生達も多分入
りやすいんだろうただ物をつくったり、そういう支援具を作ったり、そういうような
生命倫理の文献を読んだり、っていうことだけではなくて、やっぱりそういう対話を
核にして、生命倫理を考えていくというのが、最後は自分の問題として哲学できると
いうことなんじゃないかなと思うんですね。

(田中)
ありがとうございます。今日、ワークショップで田坂先生のご発表を拝見していたん
ですけれども、工学部の学生さんが、ALS筋萎縮性側索硬化症とうい難病の患者さん
と、スカイプというインターネットのチャットといいますか、映像通信を使って、対
話をしながら、マッサージ機器を作製して、どういうふうに改良していったら良いか
という試みを一年を通して製作されている様子を拝見していたんですけれども、その
ような物作りですとか、技術のあり方というものと、プラトンの残した知恵といいい
ますか、そういうものとの関係というのは、学生さんはどういうふうに感じられてい
ると思われますか。

(田坂)
今日のワークショップでもお話したんですが、プラトンの対話編の中で『国家編』と
いうのがあるんですが、そこで技術というのはどうあるべきかという話が書いてある
んですね。「技術ということを考えるときに、技術の恩恵にあずかる人のために技術
はある」。それは、技術の恩恵にあずからなければいけない人は、比較的社会では弱
い立場、病気だったり障害があったり。その人のために技術を駆使すべきなんだ、作
り手の利益、作る人が儲けるとか、そういう観点から技術を行使してはいけないと書
いてあるんですね。それは、今の私たちから見ると、社会はそうなっていないでしょ
う。やっぱり利益があがらないとね、効率が良くないから、だから特別な人になかな
か物が作れない。そういう現実があるけれど、プラトンはそうは言っていない。これ
は一体何なんだろうというような出発点から、入っていって、実際にそういう障害の
ある方のために何か物を作ってみるという経験を通して、ここでプラトンが言ってい
ることは何なんだろう、今の技術って何なんだろう、技術ってどうあるべきなんだろ
う、ということを実践とテキストの両方を通して、考えていきたい、そういうふうに
思っているんですね。2000年前だからこそ、今の私たちの社会の様々な制約から自由
に、技術って何かを語り得た部分もあると思う。でもかたや、そうじゃなくて、正義
なんて強い者の利益なんだよっていうことを2000年前に言っている人もいたわけなん
ですよね。そういう対話も通しながら、今の私たちを客観的に見ていく、そういうよ
うなツールになるんではないかというふうに私は思っています。

(田中)
技術者倫理の教育を工学部で拝見することはあるんですけれども、事例の研究とかそ
ういうお話が多くて、プラトンの『国家編』を読んでいる技術者倫理の授業というの
はなかなかないんじゃないかと思うんですけれども、
そういう授業のプログラムがどんどん増えていくと、工学の学生さん達が哲学書に触
れる機会がそこから始ったりですとか、プラトンのいっている技術の在り方を学ぶこ
とで、根本的に物事を考えることができるっていうようなことを拝見していて思った
んですけれども。そのような教材の共有ですとか、田坂先生の試みをもっと広めて欲
しいなと思ったんですけれども、その辺についてどうお考えでしょうか。

(田坂)
今でも工学部でも私は教えているんですけれども、逆に工学の先生っていうのは、高
い技術っていうのは現場のニーズに応えること、その一点であるっていうことは体験
でも実践でも確信されていることなんですよね。当たり前だと思っていることなんで
すよね。ただそれがあまりにも当たり前で意識されていないっていうところがあって。
それを言葉にして語っていくっていうのが私たちの仕事でもあると思うんですね。そ
うは思っているけれども実際そうではないことをしてしまって、例えば、建築物の中
の構造できちんとしたものが作られていなかったり、ジェットコースターが壊れて整
備不良だったりすると、そういう時に、技術者倫理というのがおそらく問われると思
うんですよね。そういうのに立ち返るときに、やっぱり哲学の言葉っていうのは、す
ごく私はひとつのよすがになるものだと。それを私は工学部の学生さんには、一般教
養の授業なんですけれども、哲学科の学生さんと同じように、テキストを使って講義
しますね。そうすると工学の学生さんもすごく面白いって言ってくれることもありま
すし、対話もします。そういう分野を超えた交わりっていうのがすごく大事なんじゃ
ないかなと思います。私自身も工学の先生達から沢山教えていただくことがありまし
た。

(田中)
なるほど。ありがとうございます。最後にお聞きしたいんですが、この哲学ラジオ始っ
て以来の女性研究者へのインタビューということで。はい。女性研究者が感じられて
いる困難ですとか、あるいは、こういうところが強みになるんだよっていうところが
ありましたら教えていただけないでしょうか。

(田坂)
一般論として、子育てをしながら研究をしていくっていうのは、色んな時間的、体力
的な制約があるのは事実だと思うんですね。仕事していく上で、色々やりにくかった
り、産休を取るようなご迷惑をかけたりということもあるんだとと思うんですね。で
も私は子どもを産む経験というのはすごい大事な経験だと思うんですね。男性にはで
きないのが気の毒。子どもを育てていく経験っていうのも、何も話せない子が、ひと
つひとつ言葉を発しながら世界を認識していくプロセスっていうのは非常にこれは驚
くべきプロセスなんですね。だからそういう命とか、成長とか、私も母を看取りまし
たけれども、死とか、そういう何か自分の体で感じられるっていうのは、すごくあり
がたいことだと思うんですよね。だから先ほど一人称とか二人称とか言ったんですけ
ど、子どもが生まれるっていうことも、男性にとっては、人が産んでこの子がきたっ
ていう、自分の体で感じてないですよね。そういう私とつながっている子どもってい
う、一人称、二人称で感じられる視点っていうのは、私はすごく大事にしたいと思う
んですよね。でも女性だから男性だからっていうのではなくて、そういう視点も共有
して、一緒に子育てをし、一緒に家事をし、っていうのをやってこれたおかげで今も
続いているんですけれども、そういうチャンスっていうのは、女性だけでなくて、男
性にとってもプラスになるんじゃないかな、と私は思います。

(田中)
ありがとうございました。今日は本当にお話をお伺いしていて、工学の学生さんにとっ
ても、また、女性の研究者をめざしている学生さんにとっても、哲学以外の分野の学
生さんに希望を持って頂けるようなお話だったと思います。先生今日はお忙しいとこ
ろありがとうございました。

(田坂)
どうもありがとうございました。