環境と倫理学と: 「自然と人間の関係性に立ち現れてくる主体性」

鬼頭 秀一(きとう・しゅういち)

2011.07.25

(2011年5月12日収録)

東京大学柏の葉キャンパスに研究室を構え、環境倫理学を教えておられる鬼頭秀一先生にお話を伺ってきました。環境倫理・環境哲学緊急集会のお話や、アフリカでの日本の若手環境倫理学者の活躍など盛りだくさんです。

  1. 薬学の研究から科学史の研究に移ったときの気持ち(0:31)
  2. 科学史から環境倫理学の研究を始めた経緯(3:42)
  3. 初めてフィールドに出たときのこと(8:43)
  4. 若手の環境倫理学者がフィールドをもつことについて(10:21)
  5. 社会学と倫理学の違いについて(16:00)
  6. 環境倫理・環境哲学緊急集会での試みについて(17:17)
  7. 集会後の自己評価について(19:55)
  8. 倫理学者・哲学者は実世界でどのように力を発揮できるのか(22:05)
  9. 奄美のクロウサギの自然の権利訴訟にみる、日本的な考え方とは(27:34)
  10. 西洋と東洋の考え方とアフリカ問題(35:43)

田中

改めまして田中です。今日は環境倫理学がご専門の鬼頭秀一先生の研究室にお邪魔して

おります。鬼頭先生今日はよろしくお願します。まず、鬼頭先生のご経歴についてお伺

いしたいのですが、東京大学の修士課程まで薬学を勉強されてから、科学史の研究室に

移られた鬼頭先生なのですが、この科学史や哲学の関連の研究に移られた時のお気持ち

をお聞かせ下さい。

鬼頭

なかなか、言い始めるときりがないんですけれども、元々は私は科学の時代、鉄腕アト

ムの時代なので、やっぱり科学者になりたいということでずっときたわけです。ただ中

学の時から公害の問題が社会的に色々出てきて、ずっと自分の将来も悩みながら。大学

に入ってからちょうど1970年で、東大の入試の後の年なんですが、水俣病の患者さん達

が、チッ素の交渉で正式に認められたということで、御の旗を掲げて。そういうなかで、

僕自身自然保護に前から関心があったので、サークルをやったり、宇井純さんの本を読

んだり、実際に宇井純さんの公害原論を工学部に毎回聞きに行ったりしてですね。自分

が科学者としてやっていきたいというのと、社会的に公害とか色んな問題があるなかで、

どうやって自分を位置づけて行ければ良いのかというのがずっと分からなくて。分から

ないまま、ずるずるとそのまま薬学の大学院まで行ってしまったと。できれば社会的な

ことも考えながらもともと好きだった分子生物学をやりたかったので、癌ウィルスの分

子生物学みたいなことをやってたんですけれども。とにかく競争が激しいところだとい

うのもあるんですけれど、めまぐるしく色んなことが動く分野で、とても落ち着いて社

会的なことを考えて一緒にやるということができなくて。能力があれば両方、二足のわ

らじでてきたと思うんですけれども、とても自分は両方やる能力はないなと思ったんで、

すごく悩んで。それで薬学の大学院に行きながら、科学哲学の、ちょうどその時は村上

陽一郎さんの講義を薬学の大学院生としてとりにいって、そこで相談して。「来ない方

がいいよ、来ても職ないよ、来たってうちは博士ださないからね」とか言われて(笑)。

「薬学でちゃんとドクター取った方がいいよ」と言われつつも、そこで思いきって博士

の途中で中退して、そのまま修士課程から入り直したという感じなんですね。確かに苦

労はしましたけれども。両方できないとか、科学ということとか、公害とか、環境とか

いうことを考えて、社会的なこととか、科学哲学とか科学史とかを具体的に始めたとい

うことです。

田中

環境倫理学のほうに専門を決められたというのはいつぐらいからだったんですか?

鬼頭

それはまだ先の話ですよ(笑)。科学史とか科学社会学とかずっとやってて、特に分子

生物学とかやってたんでそういうことをやって、何かそこから見えてくるかなと思った

んですが、これも私が非常に不器用でですね、学問の枠の中で何かかんがえなきゃいき

ないとずっと考えていて、そういう中で自分が何かしなきゃというのがなかなか見えな

い。私はそのとき山口大学の方にいましたが、大体30の後半に差し掛かったところで、

ちょっと思いきって、とりあえず今までの学問の枠組みとかを考えるのをやめようと、

とにかくやりたいことをやってみようということで。ちょど当時、アメリカの環境倫理

学が日本に入ってくるというか、アメリカで環境倫理学がすごく話題になってきて、特

に地球環境問題ですね。非常に私はアメリカの環境倫理学に違和感を感じたんですね。

そのまま日本に入ってくるとこれはヤバいと。80年代の終わりから90年代にかけて

ですよね。地球環境問題というのは89年から始まるんですけれども、ちょうど地球環境

問題という枠組みの中で倫理的な問題というので、今まで蓄積があったアメリカの環境

倫理学が一種のグローバルスタンダードとして地球環境問題という枠組みのなかで流通

し始めたわけです。現実には古典的なナッシュが作ったような倫理の進化とか、権利の

扇型の有名な絵があるんですけれども、そういうのを国際会議で研究者が言うと、フロ

アの方から「そんなことが問題じゃないんだ。貧困の方が問題なんだ。」というような

野次が飛ぶ、そういう時代だったと思います。

ですから、地球環境問題というとこで倫理的問題が言われるんだけれども、それは先進

国の問題じゃないか、途上国はもっと貧困の問題とかあるじゃないかと。そういうこと

が地球環境問題のなかでクリアに問題が出てきて。そもそもそうするとアメリカの環境

倫理学がグローバルスタンダードとして入ってきたときに、本当にそれでいいのかと。

そのときにたまたま、科研費の重点領域で「文明と環境」という日文研が主導となって

やった大型プロジェクトがあるんですが、そこで私がたった一人で、「環境倫理学の科

学史的検討」という環境倫理学を歴史的に検討して批判していくというのを立てて。何

か採用されちゃったので、思い切り自分のやりたい放題始めたというか。一人の研究代

表者なので、色んな研究プロジェクトがありまして、森林間のこととか東南アジアのこ

ととか、私一人で行って、「私こういう研究班の研究代表者です」って、代表者って言っ

ても私しかいないんですけれども、一緒にやりましょうって言って。東南アジアの研究

の人たちと一緒に熊野に旅行に行って一緒にフィールドに出たりとかそんなことをやり

ながら、ちょうどこないだの集会の元になった環境倫理研究会というのがあるんですが、

そのときに始めたのがこの研究会というのを始めたんです。

当時、環境倫理学で有名なのは加藤尚武さんの『環境倫理学へのすすめ』があり、実は

その前に森岡さんが『生命学への招待』という環境倫理学のことをかなり書かれていて、

それはアメリカの環境倫理を紹介したようなところで、森岡さんのところに、「批判し

たいのでちょっと研究会に来てください」と言ったら、森岡さんは「あれはもう今自分

では正しいと全然思っていないので二人で批判しながら考えましょう」と(笑)。私が

批判しようと思ったらどういうわけか二人で環境倫理学研究会を始めた。当時私は、山

口から青森に移ったところで。彼が日文研で助手でいて、京都と青森から東京で研究会

をやると。若い人は東京にいるので東京にやるのが良いだろうと。私はいつも東京には

いないで時々地方から出てきて東京でやるというのをやってたんです。

田中

そのときおいくつくらいでいらしたんですか?

鬼頭

それはもう、40になってからですよね。青森に赴任したのが40になってからですの

で。私は今でこそ現場が大事だとフィールドに出て行ってるんですけど、なかなか頭でっ

かちで、その歳までフィールドに行けなかったんです。ずっと本の中で生きてた人なん

です。でもさっき言った東南アジア研の人たちと、ちょどそのとき鶴見良行さんも一緒

にいらしてずっと回ってて、旅行行ったりしてたんですけれども。青森に行ったときに、

社会学の人も人類学の人もいたんで、一緒にりんご農家の調査しましょうって言って、

それで調査に加わって。だいたいこうやって調査をするのかと、40の手習いですなん

ですけど、それである程度感触をもって。当時白神山地の問題で、白神山地が世界遺産

になって、今まで入ってきた登山の人もまたぎの人も中核部には入らないという決定を

したので。それをどういうふうに考えたらいいんだろうというので。白神に関わってい

るような地域に行って、聞き取り調査をしたり、現場で色々考えたり。ですから私にとっ

てフィールドで本格的な環境倫理的なテーマをあつかったのは白神なんです。

田中

先生の書かれた『環境倫理学』という本の中で、「環境倫理学的な理念の問題を現場か

ら追求しようとしている比較的若手の環境倫理学の研究者に執筆してもらった」という

文面があり、今のフィールドに出られたのは40歳のときというお話とも関連してくると

思うんですけれど、フィールドを持った若手とそうでない人の間では何か変化があって

そういうことを書かれたのか、あるいは「時代の要請が若い人にはフィールドを持つべ

き」というふうになっているのか、あるいは環境倫理学自体が進化して、現場にこそ問

題の本質があるということになっているのか、どういうことでそういうことを書かれた

のかお気持ちをお聞かせ頂けますか。

鬼頭

現場を持ちながら現場の声を聴きながら現場の声から倫理や理念的なものを立ち上げる

ということをやるべきだろうと。これはある意味ではアメリカの環境倫理学に対するア

ンチテーゼみたいな問題で。もともと哲学とか倫理とかそういう教育を受けていない人

間がそ環境倫理を名乗るのは…。もともと環境倫理ってことを言っていなくて、どちら

かというとそれを批判するということを言っていたんですけど、世の中なかなかそうい

うのを許してくれなくて。「批判をするならお前、何かちゃんと言え」っていって、違

うこと言わなきゃいけないことになって、言っているうちに色んな人から「お前は環境

倫理学者」と言われるようになって、環境倫理学ももっているんですけど。私みたいな

のはある意味で例外的で。例外的なんだけれども、「自然保護を問い直す」ということ

を書いて最初はひねくれた人しか読んでくれなかったんだけども、段々時代が変わって

きて色んな人が読んでくれるようになって、やっぱり若い人たちの環境に対する感覚っ

て、すいぶん流れが変わってきたなと思うんですけれど。

いままでやっぱり、環境倫理というと、当然のことながら哲学・倫理の枠の中で環境と

いう問題を扱うことだったわけだけど、

私のように、現場からやるというのでも良いのではないかと。もっと言えば例えば環境

社会学とか、東南アジア研究とかアフリカ研究とかの地域研究みたいなものから倫理的

なものを議論するという形でもいいのではないかと。むしろそういうのを積極的に環境

倫理の議論の中に入れるのが重要なんじゃないか。私も今のところで大学院生をそうい

う風に指導していますし、若い人たちも地域研究で飽き足らずに、もう少し倫理的な枠

組みの中で考えるべきだという人たちが増えてきたんです。増えてきたんで、そういう

人たちにもちゃんと今回書いて頂いた方が、今の環境倫理学の新しい息吹みたいなもの

が伝えられるかということで。

哲学もいま社会の中でどういう役割をするかということを考えたときに、環境とか色ん

な問題があったときに、何か役割をするというのは非常に重要だと思うんですね。今ま

で哲学の枠組みを超えて応用倫理という形にしても現実の問題にアプローチするのはな

かなか難しい部分もありますよね。

皆さん結構工夫してやられていると思うんですよ。そういうときに、現場の問題から倫

理を立ち上げて行くってこともあっても良いと思うし、そういう研究が一緒にできてくっ

ていう形でいいんじゃないかと。私も棲み分けというか両方の可能性があってもっと恊

働してできればいいなと。その後私も、倫理学や哲学史出身の方達と環境倫理研究会と

いうのをずっとやってきたんですけれど、まあまあそういうのが認められてきた。そう

なると若い人たちが哲学・倫理というものをそういうのの延長でやりたいって人もいる。

割合、そこからフィールドに出てみたいという人もいる。でも哲学・倫理の出身じゃな

いんだけれど、地域研究の出身でそういうところからやりたいという人もいる。そうい

うのを緩やかなたちで一緒にできる形が良いと思う。こないだの集会のなかでも、私は

社会学と倫理学の中間ですと、発言された方もおられて。調査をしているとなると社会

学なんだけれど、倫理の問題の枠組みでやると。やっぱり社会学と倫理の枠組みは最終

的には違うと思うんですね。

田中

そこの違いを聞いてみたいですね。

鬼頭

多分調査をするという時点では同じだと思うんですね。ただ、調査をしたものを既存の

社会の枠組みで捉えていくのが社会学者だと思うんですね。だからある意味では過去の

問題について分析していくのは社会学者は得意なんですね。ところがそれからじゃあ「

どうあるべきか」っていうのは、そこまで社会学がやるべきかというのは大きな議論の

分かれ目だと思うんですよね。禁欲して社会学としてそういう問題を捉えるということ

が、社会学のアカデミズムのなかではあると思うんですよね。でもそのとき調べたもの

から、具体的に今動いているものに関してどう考えるか、もっと先の展望みたいなもの

を提言する、そういうのは学問の役割としてあってもいいんじゃないかと。それはどっ

ちかというと社会学の枠を超えていて、これは倫理学の枠もどうなるのかわかりません

けれど、あえてやるとするとそれは倫理学とかそういうところがやってもいいじゃない

かと。

田中

この間の緊急集会も、やはりそういう問題意識で、現在進行形の問題に関して倫理学か

ら何が言えるかということで開かれたと理解していいのでしょうか。

鬼頭

あれは私がツイッターでつぶやいたことから始ったわけですけど、要は、ある人が「こ

ういう事態になって哲学・倫理学者は何も言わないのか」と言って。それは研究者の方

ではなくて哲学や倫理学に近いところにいる人で。それを見て僕は既存の哲学や倫理の

ところではでないだろうなと思ったけれど、何かやらなきゃいけないんじゃないかと思っ

ている研究者はいるんじゃないかと言ってて、そういう雰囲気があってそうだなと思っ

たんですよ。ここで何か言うっていうのも必要なことだなと思って。誰かやったら来ま

せんかみたいなつぶやきをしたら、結構反応があって。具体的に会場取ってやりましょ

うという感じでやったら、30人以上もの研究者が。環境倫理に関心がある研究者ってそ

んなに多くはないんですけど、いろんな媒体で、ツイッターやfacebookやwebであったり、

通常のメディアの宣伝はまったくしていないんですけど、そんなに集まっちゃったんで

す。もちろん環境倫理研究会というのは昔やってて今やっていないんですが、そういう

人たちがやっぱり来たいというし、若い人たちが今やっている人たちが来たいと。実際

開いてみたら東京の人はあまりいなくて、関西の人が大部分で、北海道から、佐賀から、

愛媛から来ると。みんなそんな遠くからわざわざ来るのって私の方がびっくりしました

けど。でもやっぱり、こういう時代に、哲学や倫理学が何か言わなきゃいけないんだ、

言うことに意味があるんじゃないか、ということを多くの研究者の方が思った。社会的

にも哲学や倫理学がそういう枠組みから言うということがなんとなく期待されている部

分があったんですね。

田中

集会が終わった後の自己評価としてはどうでしたでしょうか。

鬼頭

いや、なかなか難しいということですね(笑)。10人にも満たないくらいの研究者が

集まってそういう感じになるかなと最初は思ってたんですよ。そしたら、どんどん増え

て、30人くらいになって。でもみんな何か言いたいからくるんだから、これで特定な

人だけ言うんじゃなくて、全員に一言ずつ言ってもらうことに。それで最初はひとり1

0分で考えてたんだけど、一人10分じゃとても終んない。一人5分という感じになって。

会としてまとまりがあるのかと相当苦労して、なんとか取り回してやったという感じで。

客観的に見ると、多分色んな人が入れ替わり立ち代わり言ってて、いったい奴は何なん

だという部分も多分あったんじゃないかなと気もしますけど。今Ustreamでも録画が見ら

れますけど。見てる反応をみても、環境倫理学はどういうことをやっているのかそれな

りの関心を持って聞いておられるかたもいるということで。二回目があるかどうかまだ

考えてみたんですけど。とりあえずやってみたという点で、来た人が一言ずついうとい

うことで、来た人にとっては多分よかったかと。聞いてる人は、ひょっとしたら迷惑だっ

た部分もないわけではないけど。その辺の多様性と、そこから何か出発するということ

までを感じ取ってもらえればいいのかなということで。色々評価は難しいんですけど、

とりあえず合格点くらいどうでしょうかということで(笑)。

田中

その会の中でいくつか倫理学的な観点といいますか、倫理学・哲学者が得意とする課題

がいくつかあったと思います。世代間倫理の問題、確率の問題もありましたね。何%の

確率でこの土地にいると発がん率が何%なので、喫煙の確率と比べて私は逃げるべきか

ここに留まるべきかということを考えるとき、本当にがんになったらその人にとっては

100%ということになるという問題もあります。その土地から逃げるときに、地域に対す

る恩義とか、地域で共有されている徳みたいなものがあるときに、「お前だけ逃げるの

か」という批判があがってきたときに、自分の命だけのことを考えていいのかとか。本

当に倫理学として歴史的に考えられてきたことがこの局面で出ているということもある

ので、大いに力を発揮すべきと思うんですが、いかがですか。

鬼頭

大いに力を発揮すべきなんですけど。例えば、世代間倫理という未来世代対するの倫理

のことを考えるときに、未来世代と私たちの世代の関係性をどうとらえるか、なかなか

倫理学的にも難しい問題で。論理的に色んな議論をされてきたと思うんですけど。例え

ば具体的に言えば、(福島県に)飯館村がありますよね。あそこは原発立地から離れて

いるので、いわゆる原発交付金というのがもらえない。原発立地の交付金がもらえると

ころは色んな箱ものができていくなかで、飯館みたいな山間地で何も無い中でどうやっ

て生きていくか考えるときに、スローライフとかのキーワードで色んなレストランなど

が工夫しながら町づくりをしてきたんです。それが今回のSpeediでもわかるように、ほ

とんど飯館の方に直撃で高くでちゃったと。今回も私も仲間とちょっと行ってきたんで

すが、南相馬と比べても飯館の方が高くて、ガイガーカウンタの線量の値があがっちゃ

うようなところで。本来人間が生きていくといったときに、土地に根ざして農業をして

生きていく。本当にいいところなんですよ。里山で、新芽が芽吹いていて、桜とか色ん

な花が咲いていて、そういう中に本当に畜舎に牛がいて、そこで暮らしている人たちが

呆然としている。季節はめぐりめぐってまわってくるんだけど、じゃあいまここでどう

やって暮らしていくのかということが、根底から崩れているんですよね。実は未来世代

の倫理というときにそこの問題が重要だと思うんですよ。つまり将来世代の人たちがそ

こでどうやって暮らしていくか、倫理的な関係というどちらかというとテクニカルな問

題ではなくて、そこで生きていくことがどうなのかと。それが今見ていると、根底から

そういうものが見えるわけです。僕なんかが未来世代の倫理というのを色々議論してき

たけれども、まさにその問題を、もういちど再構成しなきゃいけないし、そこでどうやっ

て生きていくのか、そこで子ども達がどう育っていくかということに対してきちんと何

か言えるようなことをやっていかなきゃいけないと思いました。

田中

最後にお聞きしたいのですが、自然の権利という考えを提唱されていて、特に奄美大島

のクロウサギに権利を認めるということについて、本の中で書かれてありました。この

中で、アメリカ流の考えやフランス流の考えなど色んな考えが紹介されてありましたが、

先生が考えられる日本的な考えの特徴とはどういうところにあると思われますか。

鬼頭

そこはもう少し丁寧に言わなきゃいけないところがあって、当初は日本の特有のという

書き方をしていたと思うんですけど、ただやっぱり色々調べれば調べるほど、あまりそ

ういう風に特定するのもどうかなと思うんです。自然の権利というのはアメリカから出

発したんですね。日本は自然と今までうまくやってきたということを言われけれども、

日本人の自然観とか日本人が自然についてどう見ているのかというのは、実はよくわか

らないじゃないかという。私は実は自然の権利という、どちらかというと欧米由来の概

念、自然ということもそうだし、権利ということもそうだし。でもそういうことを媒介

にして自分たちの自然に対する捉え方がそこで出てきたのかなと。だから私は、奄美の

クロウサギという象徴というのは、奄美のクロウサギ自体が権利を持っているとか、そ

れを守るべきだということではなくて、象徴的な意味としての奄美のクロウサギという

関係なのですが、いわば自然と色んな関係をもちながら、そこで色んな暮らしをもちな

がら、そこで自然と融合したような生活を送っていくと。そういう中に自分たちのアイ

デンティティーも持っているし、そういう自然が失われることによって自分たちのアイ

デンティティーもなくなると。

だから実は奄美のクロウサギの裁判は、一般的には自然の権利保障と言われているんで

すけど、奄美の人たちは、「これは奄美の文化を守る戦いです」と最初から言ってたわ

けです。文化を守るってどういうことかというと、ある意味では奄美のクロウサギとい

う視点との関係のあり方をもっていると。あえていえば、アマミノクロウサギと人間と

の関係性がもつ権利なんですね。アマミノクロウサギの権利でもないし、人間の権利で

もなく、そこの関係性のあり方にある種の権利っていうのも変ですけど、それを主体と

して考えるということがでてきた。多分普通に日本人が考えていると出て来ないことな

んですが、逆にアマミノクロウサギの裁判というのが出てくることによって、なんとな

くそれがストンと落ちると。ですから、実際アマミノクロウサギの裁判が起こったとき

に、色々やっててもどうにもならんと。である古老の方が「こりゃ兎にでも裁判起こし

てもらわんといかんな」そしたら弁護士がやってきて、「実はアメリカにはこういう自

然の権利というのがあるんですよ」そしたらみんなが納得して。なるほど、こういうの

良いよねって。僕はこれは誤解だって言うんですよ。誤解っていうのは要するに、自然

の権利という形でみんなが納得したのは、アマミノクロウサギに権利があるということ

でみんな納得したわけではないんですね。兎にでもやっぱり裁判起こしてもらわないと

いかんとか、アマミノクロウサギの関係みたいなもので自分たちが戦っていかなきゃい

けないというときに、自然の権利といわれたときに、何となくみんなストンと落ちたと。

なかなか裁判といっても何のために戦っているのかわからなくなるんですね。法律の枠

のなかでやるわけですから。自然の権利の訴訟って、見ていると面白くて。「私はアマ

ミノクロウサギの代弁者です」みたいな感じで、滔々とみんな語るんですよ。生き生き

と(笑)。

あれもなんか非常に面白くて。今まで裁判の場は、自然の大事さみたいなものを直接訴

える場ではなかったんですよね。ところがそういう場にしたというのが面白いという感

じがしているんですけど。その思想的なひとつの根拠というのが多分そういうことで。

それをある意味では日本特有といえるかもしれないけれども、よくよく考えるとアメリ

カでもそういうの考えられますよね。ですからどこまでこれが日本特有なのかというの

はなかなかいえない。ただアメリカとかフランスとかだと、それを権利という形できち

んと理論構成して考えるので。実際には森の木に精霊みたいなのがいてそれなりの祭事

みたいのをやると。でもそれはどうかんがえてもキリスト教の一神教からはズレている

わけですけど、そういうことが行われているわけですし。イギリスだってずいぶんフェ

アリー(妖精)がいっぱいいるわけですよね。ですから、それを理論的に考える場合は

権利みたいな近代的なものを考えるんですが、そうではないような神聖みたいなものを

もっていて。そういうものをまた呼び起こすことがありますよね。それを本当に、東洋

とか日本特有なものなのか、ある意味ではもっと世界的に普遍的なものなのかはそんな

に簡単ではなくて。あまりそこで日本特有なものとして他と区切ってしまうのもあまり

良くないかもしれないと。もう少し外に開いていく、ある意味では普遍的なものとして

捉えていく。人間と自然との関係性をそういう形で捉えるというのはあり得るわけです

よね。ですから、フランスといっても例えばオギュスタン・ベルグさんの風土論なんか

は今私が言っているものと非常にある意味では近いわけです。彼自身は日本に長くいて、

日本語も流暢に話されるし、日本語の感覚みたいなところから、和辻から批判的に構成

しながら理論をやっておられますけれども。でも、フランス人であるオギュスタン・ベ

ルグさんもそういうものもあるわけですから。むしろそういうものを普遍的なものとし

て逆に捉え返していくということもあり得ると思いますけれど。

田中

なるほど。今日本語で日本の事例を聞いて、腑に落ちたところがあって。権利というも

のを言葉で考えるのか、何か自然の象徴物を皆で共有できるものとして、偶像というか

絵で共有していくという形で、戦っていく、地域を守っていくというところでは、確か

に西洋と東洋では違いがあるのかもな、という印象を受けたのですが。

鬼頭

ただ厳密に言えばね。今回の例の環境倫理学でも、アフリカ研究とかやっている若い人

達がいるわけですよね。見ていて僕がすごく面白いなと思うのは、アフリカ研究で野生

生物の研究をやっている若手の研究者が沢山います。例えばハンティングの問題をどう

いう風に捉えるのかとか、例えば野生生物の保護を地域でどう捉えるのかというふうに

考えるとですね、やっぱり欧米の人たちはワールド・ライフ・マネジメントみたいな基

本で皆捉えていたと思うんですよ。ところが今の日本の若い研究者、大学院生レベルの

人たちが行って、例えばそこで地元の人たちのハンティングの文化をどう捉えるのかと

いうのを見たりとか。あるいはチンパンジーの保護で、ある精霊の森みたいなのがある

と、「ああ、鎮守の森みたいだな」と思って、「鎮守の森」みたいな概念でそういうも

のを捉え返すとか。ということは、今までやっぱり欧米の人がいくら来てもそういう見

方でして考えて解決しようとしてなかったわけですね。そういうことによって、確かに

野生生物管理とか野生生物の保護とものは入ってきて、いろんなサンクチュアリが作ら

れたりはしているけれども、本当に地域にとって意味のある野生生物の管理っていうと

なかなか難しい所だったんですね。

ところが今日本人の若い人たちがそういう所に行って、今の鎮守の森の話しもそうだし、

ハンティングの文化的な意味みたいなのも、欧米の方よりは、もっと日本人としてのほ

うがよくわかる。よくわかるから逆に現地の悩みもわかると。そのなかで一体何ができ

るかということを言う。ということを考えると、今の若い人たちがアフリカに行ってそ

ういう研究をやるというのは、今まで欧米の人たちができなかったある種の領域がある

とすれば、それはある意味で日本人の感性というか、しかも非常に若い大学院生レベル

の方が、今まで欧米の方が見て来なかったものを見ながらやっている。それを見ると非

常に僕は面白いと思いますし、そういうところから野生生物管理というのをもう一度問

い直すというのをやったほうがいいんじゃないかと。私の所でね、アフリカ研究者が最

近多いんですよ。最近ねPDでね、学術振興会のポスドクなんですけど、去年も安田君と

いうひとが来てるんですが、今年も野生生物やっている人が私のところに来て。彼らは

アフリカ研究という地域研究の枠内でやってきたんですが、もう少し野生生物の問題を

考えると、倫理的な問題とかそういうところでやりたいと。だからわざわざ環境倫理を

やっている私のところに特別研究員としてきて、一緒に研究やりましょうという感じに

なっているんですね。非常に面白い動きになっていると思います。

田中

本当ですね。若い人の感性がアフリカで生きているというのが非常に新鮮なニュースだ

と思うんですが。この辺だと、流山おおたかの森という駅があって、「おおたか」とい

う鷹の一種の鳥が、一種森を守るための象徴ということを住民が共有しているというこ

とがあるので、この地域でも、今放射線量が高くて土壌汚染が進んで森を倒さなくては

ならないとなったときに、「おおたか」どうなるんだろうという動きがもしかしたらあ

るかもしれないので、そうなったら鬼頭先生の出番かなということを今、聞いていて思

いました(笑)

鬼頭

ははは(笑)。重要な話題ですよね、それは。

田中

今日は先生のゼミの学生さんもフロアで聞いて頂いているなかで、どうもありがとうご

ざいました。

鬼頭

ありがとうございました。

写真

鬼頭 秀一(きとう・しゅういち)
1951年生まれ。東京大学大学院理学系研究科(科学史・科学基礎論)博士課程単位取得退学。現在、東京大学新領域創成科学研究科教授。現場でのフィールドワークを踏まえて環境にかかわる理念に関する研究を行っている。