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藤井可(ふじい・たか)さんは佐賀大学医学部で生命倫理学を教えている。医師の資格を持ち、医師のアルバイトをしながら、つい最近、哲学の論文で博士号を取得された異例の経歴の持ち主である。
藤井さんは、佐賀大学医学部5年目のときに、重症筋無力症という難病に罹っていることがわかった。あと一年の過程を終えれば、医師国家試験の受験資格が得られるという矢先の出来事だった。藤井さんは医学部を辞めることを考えた。
藤井さんが学んだ佐賀大学医学部は、男女比が半々という日本でも珍しい大学だった。女友達は、目に涙を浮かべて、お願いだから私たちのために辞めないでくれ、と懇願したという。そこから一年の休学期間を経て、病気は快方に向かい、投薬を続けながら、だましだまし実習を終えた。みごと医師国家試験に合格した藤井さんは、次にやりたいことを決めていた。患者と医師の両方の立場からの思いをひっさげ、哲学科がある大学に移り、医療倫理学を学びたいと思ったのだ。生まれ故郷に戻って、熊本大学大学院文学研究科の高橋隆雄教授の研究室の門をたたいた。
高橋教授が、医師になりたての藤井さんに与えたテーマは、「動物の倫理」。藤井さんは愕然とした。考えたかったのは、患者と医師の間の倫理問題 だったのに、まんまと丸め込まれてしまった。しかし、もう引き返せない。やるしかない。保健所で子どもの予防接種や、内科診療のアルバイトをしながら、学費を稼ぎ、論文を書いた。同期の学生達は、塾講師のアルバイトの倍以上稼ぐ藤井さんに嫌みを言ったりもした。倫理学を学ぶ学生として、研究会に出ても、どうせ医者なんでしょ、と冷ややかな視線を浴びせられたりもした。師匠の高橋教授は、医師として大成しなくても、まあ何とかなるだろうから頑張りなさいと励ましてくれた。
藤井さんが時折疎外感を感じながらも辿り着いたのは、生命中心主義というポール・テイラーの考えだった。環境問題の倫理的ジレンマを解決する考え方だったが、藤井さんはこれを生命倫理にも応用したいと考えた。そして、「人間中心主義的生命中心主義」という立場を確立して、博士論文を書いた。そのとき、師の与えた最初のテーマの意味がわかったという。
「環境や医療の問題を解決するとき、動植物を含んだ生命中心という原則を掲げても、決めるのは人間だから、人間中心主義的という言葉を加えようと。イルカが人間とコミュニケーションできるようになったら一緒に考えたいと思う。」藤井さんはそう言って笑った。
藤井さんの書いた医師の自己決定についての論文の話を切り出すと、「あ、それはエッセイであって論文じゃないと酷評されたんですよ」と苦笑い。しかし、内容はとても意欲的なのである。医学的には認められていない病腎移植の問題を、功利主義的観点からは評価できるとしているのだ。藤井さんに「医師免許を持っている人がこんなこと書いても剥奪されたりしないですか?」と聞くと、「最悪、医学部の方針に合わないからと言って辞めさせられることはあるかもしれ ないけれど、そうなったらコンタクト診療でもして倫理学の本を書きます。」何とも力強いご返答。
昨春から、藤井さんは母校の医学部で教え始めた。元気に教壇に経つ毎日だが、睡眠中時々無呼吸になることもある。翌朝、目が覚めないことがあるかもしれないと考えることもある。「結局先生はどう考えとるん?」授業で学生に聞かれたら、極端なバイアスがかかることを心配しながらも、素直に自分の考えを話すそうだ。 「先生はこう考えとるけど、君らは自分で考えなさいね、って言うようにしています。」
山のある地域に住む人は、道に迷わない。阿蘇山の麓で育った藤井さんも例外ではなかった。インタビュー当日の良く晴れた空の下、私たちはまっすぐ、浅草橋から浅草寺に向かい、境内でちょうどいい腰掛けを見つけた。銀杏の木の下をぐるりと囲む石の腰掛けには、散歩途中のご老人達が座っていた。収録機材をオンにすると、確認用のイヤフォンから、風の音や、子どもが遊び回る足音が聞こえた。藤井さんの声はその場に涼やかに溶け込んだ。
「次回は阿蘇でお会いしましょうね。」別れ際に私たちが交わしたのは、こんな約束だった。
文・写真/田中さをり
藤井可さんの記事を含む「特集:自然と暮らしの哲学」は哲楽2号でお読み頂けます。
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