臓器移植法に詳しい医事法学者、斉藤信治さんの思い

2012年1月30日

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斉藤信治(さいとう・しんじ)
中央大学法学部卒。現在、中央大学大学院法務研究科教授。

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第3号特集「医療と命の哲学:子どもの脳死臓器移植を考える」 [/caption]「斎藤信治さんは、中央大学(法科大学院)で刑法を教えている。人の生命に関わる刑法と医事法学に関心をもち、これまで安楽死、尊厳死、薬害エイズなどの問題に関わってきた。学生時代は、死刑囚の多くが劣 悪な環境で育ってきた事実から、犯罪は自由意志でなされるか否かという哲学的問題を考えた経験をもつ。素質や環境に人格が完全に決定されるという意見は少ない一方、自由意志で人格は形成されるという法学的見解が多 数派であり、この多数派の見解に基づいて死刑が半ば当然視されている状況に疑問をもっていたのだ。そんな斎藤さんは、脳死臓器移植法については、どのような思いを抱いているのだろうか。」哲楽第3号、pp.45より。

インタビュー抜粋

田中
改めまして田中です。今日は斉藤信治先生の研究室にお邪魔しております。斉藤先生よ
ろしくお願い致します。

斉藤
よろしくお願いします。

田中
斉藤先生は医事法学という領域の専門家でいらっしゃいますが、この領域に関心を持た
れるにようになったきっかけについて教えて頂けますか。

斉藤
医事法学にも確かに関心を持っているんですけれども、医事法学も刑法もどちらも人の
生命等非常に重要な問題に関わっておりますので、単純なんですけど、どうしても関心
が強くなったと。安楽死の問題だとか、尊厳死の問題であるとか、薬害エイズの問題で
すね。帝京大ルートでやるとか、ミドリ十字ルートでやるとか、厚生省ルートでやると
か、薬害エイズで悲惨な死を遂げた人たちに対する態度が十分だったのかというもんだ
いもありますし。熊本水俣病事件でも大勢の方が亡くなったり、子どもの時に耐性水俣
病にかかって、すごく悲惨な死を遂げた人もいるわけですけど、そういう人に対して、
適切な態度がとられたのか、そういうのもすごく関心がありますし。あと、田中さんの
雑誌は、哲学関係の雑誌だということなんですけど、その関係でいうと、犯罪というの
は自由意志でなされるのか、それとも犯罪者というのは素質と環境には基本的には決定
されて行動するのかという基本問題があるんですね。そんなことを議論しても仕方がな
いみたいなところもあるんですが、やっぱり私も刑法を始めるときには、そんなことで
色々悩んだりしてですね。

死刑の問題にもやっぱり関わってくるじゃないかと思うんですね。つまり犯罪者という
のは、基本的には素質や環境で規定されているとしたら、そういう人に死刑なんか簡単
に言い渡して良いんだろうかと。まあ少なくとも死刑囚の関わった刑事裁判の記録なん
かを見ますと、素質や環境が劣悪だという人が多いですね。

そういう人には極力働きかけて、改悛させて、改悛したら死刑を免れさせるとか、あっ
てしかるべきじゃないかなとか。色々考えました。それでいずれにしても生命に関わる
こと私の気持ちを惹き付けています。

田中
その自由意志か自由意志でないかということに関しては、一定の見解が法学者の先生方
の中でも得られているんでしょうか。

斉藤
すごく見解がわかれていますね。素質と環境で完全に決定されているという意見は比較
的少ないですけれど、自由意志があるんだ、自分の人格は自分で形成することができる
んだということを強調する先生もいますね。割とそういうのを強調するのが普通の考え
方かもしれませんね。実際は調べれば調べるほど、素質や環境に決定されている場合が
多いので、基本的には、そういうふうに見る方がいいんじゃないかと思うんですね。隅
々まで規定されているとは必ずしも思わないんですけど。そういうわけですから、人格
形成責任があるのに、良い人格を形成しなかったから、死刑で当然だというふうには、
ちょっとならないんじゃないかと思いますね。

田中
法学者のなかでもそういう意見がわかれるところであるにも関わらず、法律としては一定
の型が存在しているということが、脳死の問題についても同じことがいえると思うんで
すけど。

斉藤
脳死の問題もそうですね。見解がすごくわかれてますよね。

田中
わかれてはいますが、現行の改正後の臓器移植法というひとつの型がすでにできてはいる
わけなんですけど。改正前と改正後で少し性質も変わってきていると思うんですけど、
そこまでひとつの法律を制定するまでに、法学者の先生方の間ではどういう議論がなさ
れんるですか。

 

インタビューをまとめた記事は哲楽第3号でお読み頂けます。
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