子どもは大人の社会を小さくしたものをそのまま生きるべき

2012年9月18日

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河野哲也(こうの・てつや)
1995年慶応大学より博士(哲学)を授与。現在、立教大学文学部教育学科教授。『道徳を問いなおす リベラリズムと教育のゆくえ (ちくま新書) 』など著書多数。

大学生の頃の河野さんは、より実践的な問題として、心身問題や現象学を通して、 身体と言葉の関連について研究テーマを設定し、フランスの哲学者であるメルロ=ポンティのテキストを読み込んだ。博士論文を提出した1995年は、地下鉄サリン事件が起こった年でもあり、学生時代は宗教の勧誘活動も活発だったという。文献学的な哲学に留まることなく、「使える哲学」をずっと意識してきた。(高校生からの哲学雑誌『哲楽』第4号p.5より)

インタビュー抜粋

田中:はい、あらためまして田中です。本日は立教大学教授の河野哲也先生の研究室に
おじゃましております。河野先生、今日はよろしくお願いいたします。

河野:よろしくお願いします。

田中:子どもの哲学教育ということでお話を今日お伺いに参っているなんですけれども、
子どもの哲学教育に関わられるようになったきっかけについて教えていただけますか。

河野:子どもの哲学という、P4Cと呼ばれる、Philosophy for Childrenと言われている、
一つ、子どもに対話型の教育を教えるということに直接関わるようになったのはそんな
に長い前ではないですね。この2、3年だと思います。ただ、子どもに関する教育に携わっ
てきたのは、多分20数年前から、特別支援教育という形で、子どもに教育をどういうふ
うにしたらいいかという問題には長く関わっていました。それからもう一つ、もう6年ぐ
らい前になると思うんですけれど、フランスの子どもの哲学で有名なオスカー・ブルニ
フィエという人から、日本の道徳教育について一つ、報告書というか論文を書いてくれ
と言われました。それが彼が主催しているインターネット雑誌、アゴラというインター
ネット雑誌に載せてもらったんですね。それがユネスコの、子どもの哲学教育か何か(
ユネスコ『哲学:自由の学校、哲学を教えること、哲学刷ることを学ぶこと』という冊
子)で取りあげられたそうです。何か日本の子どもの哲学教育はこうなっているってい
うようなことで、私の論文が引用されているんですね。あとで言われて初めて気がつい
たんですけれども。いずれにせよオスカーからそういう、道徳教育はどういうふうになっ
ているのか、とかですね、対話型の実際の子どもの教育はどうなっているんだろうか、
というふうに、何かの形でそういうふうにまとめてくれって言われたのがきっかけなの
で、そういう意味では5、6年前から子どもに何かの形で対話型の教育をしたらいいんじゃ
ないか、っていうのは随分長く関わってきましたね。ですからどちらかと言うと、哲学
と言うよりも対話型で、議論とかディスカッションとかディベートという形で教育を行っ
ていくということに関する興味は長かったと思います。

田中:その論文はどういう内容を書かれたんですか。引用された論文というのは。

河野:ああ、引用…。それはレポートみたいな感じですね。哲学教育についてどういう
ふうな状況かを教えてくれっていわれたんです。で、対話型の形が行われているかって
いわれたんです。で、私の答えは、哲学という固有の教育は高校までないと。もちろん
初等、中等の話ですよ。ないと。ただ倫理とか道徳教育の中で哲学は教えられてはいる
だろう。で、小学校と中等の場合は道徳という時間があると。高校では倫理というのが
あると。それはどんな形で、教科書はどんなふうになっていて、そんなような特徴を述
べたあと、ディスカッション型が徐々に導入されつつあると。道徳教育においても倫理
においても。ただそういうのは国語とかの中で最初に導入された方向が道徳教育とか倫
理教育の中にも導入されつつある、みたいな結論ですね。そんなようなことをもう5、6
年前に書いたんですね。

田中:それに対する海外からの反応はどのような形だったんですか。

河野:まあそこで紹介したのはかなり平均値的なものではなくて、先端的な教育方法だっ
たので、ああこんなものもあるのかってオスカーにはある意味では感心させたと思いま
すね。ただ、じゃあ一般にそれがみんなやっているかと言うとそれは全然、今でもそん
なことないと思います。まだマイノリティだと思います。

田中:特殊教育の現場から、子どもの哲学ないしは道徳教育に移られたと言うか、関心
を両方にお持ちになったきっかけはどのようなあたりだったんですか。

 

インタビューをまとめた記事は哲楽第4号でお読み頂けます。
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