その1:サンデル教授のJUSTICE講義に出席

2010年11月22日

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小林 正弥(こばやし・まさや)
千葉大学法経学部法学科教授。東京大学法学部卒業。東京大学法学部助手、千葉大学法経学部助手・助教授を経て、2003年から現職。NHK「ハーバード白熱教室」の解説者。
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哲学ラジオが小林教授とともにお送りするハーバード・レポート、まずは、その1として、サンデル教授のJusticeの講義に関するレポートをお届けします。

    • Q1 Justice講義について(2:52)
    • Q2 学生たちの議論についての印象(10:50)
    • Q3 Justice講義のティーチング・アシスタントの印象について(14:57)
    • Q4 Justice講義のティーチング・アシスタントのシステムについて(18:40)
    • Q5 日本のティーチング・アシスタントとの違い(24:08)
    • Q6 院生にとってのティーチング・アシスタント・システム(28:01)

<関連情報>

the Sanders Theater

書き起こしテキスト

(田中)
哲学の生態に迫るウェブマガジン『フィロソフィー・ズー』哲学ラジオコーナを担当し
ます、田中紗織です。

みなさん、今日私はどこに来ていると思われますでしょうか? 結構寒い所なのですが、
かなり興奮しております。アメリカ、ボストンにあります、ハーバード大学にきており
ます。ハーバード大学は、1636年に設置されたアメリカで最も古い大学です。『正義論』
で有名なジョン・ロールズもかつてこの大学で教鞭をとっており、日本に対する原爆投
下の不正について訴えました。日本の哲学専攻の学生も、ロールズ以降サンデル教授ま
でにつづく正義論から、たいへん多くを学んでおり、私自身もかつてその一人でした。
この場所から哲学ラジオのレポートができることを非常に嬉しく思います。今回は、哲
学ラジオの特別企画として、ハーバード大学の様子を中心にお伝えしていきます。千葉
大学で政治哲学の教鞭をとられております小林正弥教授に同行させて頂きまして、あの、
マイケル・サンデル教授のJusticeの講義にも出席いたします。他にもさまざまな角度か
ら白熱教室が生まれた背景を取材いたします。さらに、ハーバード大学に現在日本人留
学生として在籍中の小林亮介さんのインタビューもお届けいたします。また、番外編と
しましては、最後に、MITマサチューセッツ工科大学から、チョムスキー・レポートもお
届けしたいと思います。

では、哲学ラジオが小林教授とともにお送りするハーバード・レポート、どうぞごゆっ
くりお聴き下さい。まずは、サンデル教授のJusticeに関するレポートをお送りします。
それではさっそくいってみましょう。

はい。改めまして、哲学ラジオの田中です。今日は、ハーバード大学に、小林正弥教授
に同行させていただきました。最初に、サンデル教授によるJusticeという、あの有名な、
学部生向けの講義に出席させていただきました。最初のJusticeが始まったのが朝11:00、
院生たちのゼミが終わったのが夜の7:00。本当に分刻みのスケジュールで、大学のお仕
事や取材をつぎつぎとこなされている様子を間近で拝見することができました。その様
子を今日はお伝えしたいと思います。

最初に、学部生講義Justiceについて、小林先生にお話いただきたいと思います。よろし
くお願いします。

(小林)
はい、よろしくお願いします。NHKの『白熱教室』でご覧になったひとが多いのではない
かと思いますけれど、Justiceの講義の場所というのはサンダーズ・シアターという有名
な場所です。外からみるとちょうど教会ですね。立派な教会のような感じ。東大の安田
講堂にも近いですけれど、そのなかです。朝の11:00から1時間ですかね。入れ替わりの
ところはすごく激しく学生さんたちが出入りをするという感じです。われわれはちょう
どその1階の真ん中あたりで聞いていたわけです。

今回の講義は、12回のシリーズのなかではだいたい11回ぐらいに相当すると思うのです。
カントに対するアリストテレスの立場が出てきて、今日のいわゆるリベラル—コミュニ
タリアン論争です。ロールズのようなカント的リベラルの立場。それと、今日は「ネオ・
アリストテレス的」という言葉を使っていましたけれども、コミュニタリアン。前回ま
での講義でその論争の中身をお話されたと思うんですが、簡単に要約をして二つの主体
間の対立について説明をされた。ひとつはvoluntaristというふうに言います。日本語で
「主意主義的」というふうに訳していますね。人間があることを自由意志によって選択
をするということを中心にする考え方です。これに対するネオ・アリストテリアンの考
え方は、「物語的な自己論(narrative account of self)」で、マッキンタイアの考え
方に基づく説明をしていました。これがサンデル自身が言うところの「負荷ありし自己
(encumbered self)」という考え方になるわけです。

おそらくここまで前回で話をしていて、今日、その二つの対立に基づいて、政治的ある
いは道徳的な責務についてどう考えるか。これも『白熱教室』で話していましたけど、
三つの種類の責務がある。一つ目は人間としての普遍的な道徳的義務ですね。二つ目が、
約束をする、あるいは契約をすることによって生じてくる自発的な責務(obligation)
ですね。この二つがvoluntaristの考え方に対応するということです。一つ目は、人間が
人間として持つ普遍的な義務ですから、普遍主義的です。二つ目のほうは契約をするこ
とによって生じるので、particularですね。特殊なもの、あるいはそのひとたちに限定
されているものという意味で、particularです。これに対して、物語論的な自己に対応
する考え方というのが、連帯とか構成員(membership)としてのobligation。これはあ
るコミュニティに属することから生じてくる。だから明示的な契約とか合意に基づくも
のではなくて、しかし特殊(particular)なobligationである。この三つについて説明
し、第一の考え方と第二の考え方では、ふつうの市民には政治的な義務、市民としての
obligationは存在しない。政治家などは自分で公職についているわけですからその責任
があるけれど、ふつうの市民は何かをしなければいけないということがない。それに対
して三つ目の考え方が、historyとか、あるいはrepublicですね。citizenという資格に
おける責務を持っている。だから人々がコミュニティに対して責任感を持つとか、忠誠
心を持つとか、公共的な責務を負うとか、そういうことを意味しているわけです。議論
としては、一つ目、二つ目だけで十分であるかどうかということを議論していこう。こ
れが日本の11回目の講義とだいたい対応する内容であったということです。

すこし目新しいと思ったのが、いまお話した主体間と責務の関係を明確に話をされてい
たということと、もうひとつはコミュニタリアン的と言われる立場について、「物語論
的な(narrative account)自己」とか「ネオ・アリストテレス的(neo Aristotelian)」
という言い方をしていたことです。マッキンタイアもアリストテレスも『白熱教室』に
は登場しているのですけれど、よりその関係を明確に定式化しているという印象を受け
ました。サンデル先生に、終わったあと「『ネオ・アリストテレス的』という言葉を使っ
ているところが新しかった」というふうに聞いたところ、確実にこういうふうに言葉遣
いをしたと決めたわけではなさそうですけれど、「そのほうがclarifyするのに役立つの
ではないか」というふうに言っていました。「どう思うか」と聞かれたので、私として
は「明晰にするためにはとても役立つのではないか。ただ逆に言うと、同じギリシアで
も、プラトンとかソクラテスについてはこういうのは出てこない。このへんとの関係は
どうなのかということも聞いてみたいなと思っているのですが、そちらのほうはどうな
のかという問題も生じてくるかもしれませんね」というふうに答えておきました。

講義としては、そのあと、具体的な実例を挙げて学生たちの意見を聞くというふうになっ
ていったわけです。親が自分の子どもに対してほかの子どもとは違う特別な責任を負う。
逆に、子どもが自分の親に対して特別な責任、責務を負う。そういう事例とか、フラン
スのレジスタンスのパイロットが自分の故郷を爆撃することを命令されけど拒否した例
とか。あるいはエチオピアの飢餓のときにイスラエル政府がエチオピアのユダヤ人たち
を救出することにした。それはイスラエルの立場、ユダヤ人の立場からすれば望ましい
ことだけれど、逆にほかのひとたちはどうなのかという問題も生じる。ですからこういっ
た集団としてコミュニティとしての責務の問題は、愛国心(patriot)の問題とも結びつ
いて考えられていて、よく言えば集団としての責務だけれども、悪く言えば集合的な利
己主義ではないかという批判もある。たとえばアメリカとメキシコの国境のそばに住ん
でいるひとで、アメリカ側に住んでいるひとはアメリカ人といてのさまざまな待遇を受
けられるけれど、メキシコ側のほうはまったくそういう対応を受けられない。はたして
こういうことがよいのかどうなのか、というような事例ですね。

もうひとつここで面白かったのは、マイケル・ウォルツァーの名前をはっきりと挙げて、
マイケル・ウォルツァーが移民の制限をするその道徳的な正当化をしていて、これは移
民制限としては最も優れた制限だろうと。ふつうは、移民を受け入れてしまうとアメリ
カのひとたちの生活水準が経済的に低くなってしまうというようなことが危惧されるわ
けですけれど、それに対してmembershipという観点から道徳的な正当化をした。それが
ウォルツァーの最も優れた移民制限正当化論なんだけれど、しかしそれはさきほど言っ
たような集合的な利己主義であるという批判もありうるわけなので、この問題をどのよ
うに考えるかということを言っていた。

ほかにアメリカの議員の、「過去のアメリカの奴隷制度の悪いことについて責任を負う
必要はいま自分たちはない」。あるいは、オーストラリアのハワード元首相ですかね。
「過去のオーストラリアのやったアボリジニーなどに対する悪事について、いま生きる
ひとたちが責任を負う必要はないんだ、自分は負わないんだ」。こういう例を挙げて、
有名なビリー・バルジャンの例に移るという形でこの問題について問う。それが後半の
対話型講義の内容であったと思います。

(田中)
はい、ありがとうございました。サンデル先生の講義自体は、NHK『白熱教室』ですでに
放送された内容と多分に重なる内容があったところなんですが、学生さんたちの議論は、
またぜんぜん違う新しい論点がつぎつぎと出されていました。先生も、学生さんたちの
議論をお聞きになって、何か印象に残ったところがございましたでしょうか。

(小林)
はい。その点は授業後にもサンデル教授にうかがったことなんですけれども、「本が出
たあとなので、その意味で、すでに学生が本を読んでいるとか、あるいはビデオを見て
いるということで、すこし授業をやりにくくなるということはないのか」というふうに
うかがったんですね。この講義のリーディングの参考文献、義務に本を挙げていないそ
うですけれど、しかし実際に見ることはできる状況だと。「それがすこし心配でないわ
けではないけれど、実際にやってみたところ、それほど大きな問題は生じていない」と
いうふうに答えられていたんですね。

私が見た印象も実際その通りでした。この対話型講義の場合は教授が一方的に話される
というものではなくて、それを受けて学生どうしの議論をするというところにポイント
がある。その議論は、もちろん『白熱教室』のあのときとも違うし、毎年変わっていく
わけですね。ですから、学生の議論を教授が応答して明確にする、あるいは学生どうし
で話させるということなので、その年その年の個性がやはり現れてくる。その意味で、
大きな問題は生じていないということになると思われます。

実際、今日聞いた印象も、やはりそのような印象を受けています。今日学生さんたちが
話されていた論点というのは、『白熱教室』そのものでわれわれがテレビで見た論点と
は若干違っている新しいものが出ていたわけですね。さきほどちょっと言われた責任感、
義務というのは「感情の問題なのであって、道徳的な責務とは違うのではないか」と言っ
た学生もいますし、別の学生は自分の育ての親と実際の親で違った場合にはどうなるの
かという事例を出して、その学生のほうは「より責務を感じるのは育ての親のほうだ」
というふうに言っていたわけです。サンデル教授はしかし、「そういう考え方は三つの
どれに当たるんだ」ということも言っていて(笑)。文脈としては三つ目の責務の話だっ
たと思うけれど、学生のほうは明確に答えられないで、つぎの話に移っていくというよ
うな場面も見られましたよね。たしかに、感情と義務の問題というのはこれは取り上げ
ていくべき価値のある問題ですし、それからその集団との関係でも、親との関係でもど
ちらを優先して考えるかというものもまた重要な問題だと思いますので、これもそれぞ
れ新しいひとつの論点を提起している。今日私たちが見たなかで印象に残ったのはその
へんだと思います。それぞれの学生が、ひとりひとり面白い議論を出していましたので、
サンデル教授もそれに対して相手の言うことをより明確に議論になるような整理もされ
たりしていた。これは本当に、毎年バリエーション変わっていきますし、見所としては
尽きないかなと。

あと実際に臨場感があるなかで見てあらためて思ったのは、まあサンデル教授が質問を
出しますよね。「これについてどう思うのか」「反対のひとはどうなのか」。手が挙がっ
てくるわけですけど、手が挙がっていきなり指すんじゃなくて、しばらくみんなが考え
て相当多くの手が挙がるのを待ってから指したり。それから、学生の発言に対してサン
デル教授の応答というのが、ある程度時間をかけてやっているという印象でしたね。私
が千葉大でやっているのはもうちょっとなんか挙げたらすぐパッとあてたりというよう
な感じなので(笑)、「もうすこし間合いをとってやったほうがよいのかなぁ」と私自
身も感じたりして。このへんですね。より深く、対話型講義のダイナミック、実際のあ
り方というものを理解することができたかなぁと思っています。

(田中)
はい、ありがとうございました。私たちも実際に、生でJusticeの講義を見ることができ
て。対話によってサンデル先生ご自身の研究も深められる。また生徒たちも毎年毎年変
わってはいくのですが、対話によって哲学的な叡智を受け継いでいくことができている。
そういう生の現場に立ち会うことができて、非常に貴重な機会を頂けたと思っておりま
す。

『白熱教室』でも放送されているこの講義の内容なんですが、実はこの講義、一時間く
らいで終わる、日本の講義と比べれば短い講義なんです。その講義を実現するために、
講義とは別の時間に、大学院生たちが学部の学生さんたちに向けて、論文指導・レポー
ト指導であったり、対話の少人数のグループになって議論・ディスカッションをするた
めの指導をしていたりするわけです。Justiceの講義が終わった直後に、このティーチン
グ・アシスタントの大学院生たちのミーティングにも参加させていただくことができま
した。こちらの様子について、印象を小林先生におうかがいしたいと思います。

(小林)
はい。ちょうどお昼の時間に、一時間くらいでしたかね。非常に印象的なミーティング
でした。こちらは、サンデル教授はもちろん若干お話をされますけれど、基本的にはティー
チング・アシスタントに相当するひとたちのなかで中心になるひとたちがいて、そのひ
とたちが話を進めていくという形態のディスカッションでしたね。普段は実際の講義の
中身について、ティーチング・フェローたちがより深く理解できるような議論をするそ
うです。ただ今日は学期末が近づいているということもあって、基本的に採点の方針、
あるいは採点の仕方についてのディスカッションでした。中心になる学生さんが資料を
みんなに配っていて、この資料のなかで「こういう点に着目して採点をする」というこ
とについて、詳しく議論をしていったわけですね。

その議論の仕方と、それからその採点の基準の作り方などを見て、非常に感銘を受けた
んです。1,000人もの講義ですから、サンデル教授一人で採点することができなくなって、
それで相当大きな規模になってからこういうシステムを導入された。ただ今度は、採点
基準が一致しないと学生の評価がちゃんとできませんので、それをするためにこういう
ミーティングをする。そしてたとえば過去の模範解答などについて検討したりして、み
んなの意識を共通する状態にもっていって採点をする。採点をしたひとたちどうしでま
た意見を共有するようなディスカッションをする。A+、A, A-, B+, B, B-, C+, C, C-、
ですかね。非常に細かく採点の基準みたいなものを考えていく。これは例年練られていっ
てるらしくて、今年また新しいバージョンがあって、またそのつぎの年にバージョン・
アップする。そういう感じで引き継がれてきているようです。実際そこでアシスタント
やっているひとたちは基本的には大学院生なんですけれど、政治哲学の大学院生だけで
はない。関連する知識を持っている、しかも知識を持っているだけではなくて、実際に
教えるということに向いている学生を、毎年面接をして選ばれて、一週間に一度、こう
いうディスカッションをしているということでした。

(田中)
はい、ありがとうございました。実際に評価の段階としては7段階。非常に細かい段階が
あって、それぞれに「こういう基準で見ていったらいい」というような細かい評価基準
が作られていました。このような基準を、大学院生たちがつぎつぎに発言をしていって、
「ここはこうしたほうがいいんじゃないか」ですとか「たとえばノン・ネイティブ・ス
ピーカーの学生さんの論文を見るときにはどういうことに気をつけたらいいか」とか、
理系の学生さんの書き方と哲学で要求されるような論文の書き方というのはまた違うの
で「どういうふうな評価をつけたらいいのか」とか。実際に困った場面についてみんな
で解決方法を考えていくという、非常に実践知を養うようなミーティングであったと思
います。

理系の大学院生だと、何か分析手法を先輩から受け継いで、それを代々つないでいくっ
ていうのはよくあることなのですが、文系のしかも哲学の授業で大学院生たちが毎年そ
ういう知識やスキルをみんなでよりよいものにしていこうということで話しあって検証
していくというのは非常にめずらしいんじゃないかと思いました。これはハーバードの
独自のティーチング・アシスタントのシステムとして以前からあったものなのか、ある
いはサンデル先生が独自に開発されたそういうシステムなのか、どちらなのか。教えて
いただけますか。

(小林)
こういうティーチング・フェローを使うようなシステム自体は以前からあるのだろうと
想像しています。この対話型の講義自体もサンデル教授が始めてから工夫して発展をし
ていったものですし、20〜30年くらい前からスタートしているわけですよね。そしてこ
ういったティーチング・アシスタントを使ったシステムというのも、相当大きな規模に
なってから導入して発展させてきているということなので、これはやっぱりサンデル教
授のオリジナルというふうに思いますね。さきほどちょっと言いましたけど、7段階に分
けるその基準も、全体として7段階に分けているだけではなくて、さらに細分化をしてい
る。

ペーパーの質・クオリティ、ペーパーの構成・ストラクチャー。それからたとえば、哲
学的な概念をどのように適用しているかという基準ですね。そのまえに哲学的なコンセ
プト・概念をどのように定礎しているかという基準。さらに、反対の議論をどのように
使っているか。こういうふうに細分化して、それぞれ7段階の評価をする。

そのあと全体評価があるんでしょうけれど、そういう形で非常に内容も細かく見ている。
それも、学生の立場がたとえばリバタリアンとか多様な立場がありうるわけですから、
それぞれのどの立場に立っているかを明確にして、その立場を採用する規準をどのよう
に書いていて、その観点からどのように自分なりの議論を発展させていくかという、そ
ういう点を見ていっているというわけですね。ですからたとえば、リバタリアンとか、
コミュニタリアンとかの誰かの説をそのまま書いても評価は高くない。それからそのポ
ジションを明かすにしても、明かすその理由がはっきりしていないと高くない。ポジショ
ンが明らかになったとして、そのうえでどういう結論になっていくか。論理的な、ステッ
プ・バイ・ステップの一貫性・統一性がはっきりしている論文が高く評価をされる。さ
らに聞いたことがないオリジナルの議論が出ていれば高く評価されるというような形で、
非常に学生の知性をよく練る。それを見るような形で評価をしている。

ですから対話型講義そのものもサンデル教授がひとりひとりの学生の発言に対して、そ
れを整理するような講義の仕方もされています。今度はそれをひとりひとりのチューター
に当たるひとたちが、もちろん採点しているだけではなくて、一種のゼミのようなもの
だと思うのですけどクラスをやっているわけですよね。30人ぐらいいる全体のチューター
が、今日は25人ですかね。出席してやっていました。そこで相当数のクラスをひとりひ
とり、あるいは二人でひとつのクラスを担当して、そこでまたディスカッションをした
りしているわけですよね。それを経て、あの大規模の講義で学生たちが発言をしている
わけだし、今度はそういったものを受けて彼らが書いてくるペーパーをいまのような観
点から採点をするということになっている。これはある意味では、日本で考えるところ
の講義とゼミが両方とも複合しているようなもので、非常に学生の知性を深く練るとい
う効果を持つ講義だと思います。「さすがハーバードの学生だ」と思ってわれわれ『白
熱教室』を見ていたわけですけど、ハーバードの学生の知性が高いだけではなくて、教
育においても、そのように独創的な優れたシステムもあって、それでより高い発言が出
ている。これはまた教えているチューターの側から見れば、ティーチングをする、教え
る経験にもなるだろうと思いますので、いろいろな意味で非常に強力なものである。逆
に言うと、そういうことをするためにサンデル教授はやはり教育に時間を割いている。
そういう意味での熱意も非常に深いなということも感じました。

(田中)
はい、ありがとうございました。院生さんたちの議論を聞かせていただきまして、非常
に印象的だったのが、みなさん自発的に会議をマネージメントされていて、会議の進行
にあまりサンデル先生は口を挟まない。そういうような印象がありました。ときどき進
行を進めている学生さんが、「プロフェッサー・サンデル、ここはどう思いますか」と
いうことで質問を投げかけたりはしていたのですが、サンデル先生ご自身はちょっとコ
メントを述べるということにとどめられていて、結論とか議論の中身はほとんどティー
チング・アシスタントの学生さんたちに任せられているというような印象を受けました。
ですので会議そのものは、非常になんと言うか、企業の会議のような。そのままふつう
の社会人が何か責任をもって会議を進めているという印象を受けました。こういった会
議のあり方を今日間近で見させていただいたわけなんですが、日本のティーチング・ア
シスタントの違いですとか、日本が参考にできるような点というのは、小林先生がご覧
になったところで何かあったら教えていただけますか。

(小林)
そうですね。日本でもともとティーチング・アシスタントのような制度が十分に発達を
していない。それでも昔はまったくなかったものが、しばらく前から制度としては導入
をされて、若干のお金もつくようにはなっている。決して十分ではないわけですけれど
も、そのベースの上で考えてみても、日本のTAの場合、基本的には教授が講義をする資
料を作るとか、補助的な業務に回っているわけです。今回のは、むろん補助ではあるけ
れど、それ以上に採点にも関わる。それでまたふだんのディスカッションのリード役に
もなるということで、非常に責任の重い立場でもあると思うんですね。

ですからあの場にいて思うんですけれど、とくに中心になるひとたちは非常に強い責任
感、熱意を持って、こういう材料も作って、みんなで議論をしているというふうに思い
ました。それはやはりそれだけの能力がないとできないことだとも思いますけれど、逆
にそういう場を与えて彼らの能力を引き出しているという面もあるだろうというふうに
も思うんですね。ですから彼らにとってのこのJusticeのコースのこういう役割を果たし
ていることは、相当大きな責務になって、努力を傾注しているのではないか。だからサ
ンデル教授も、そういうひとたちを集めるために毎年面接をしている。政治哲学の専門
の院生だけでそんなに多いわけではないので、ほかの分野の院生たちもそこには入って
いる。基本的にはドクターのような感じですけどね。中心のひとたちはもっと高いポジ
ションなのかもしれないですけれど、そういうような感じで中心のひとたちがほかのひ
とたちに問いかけていく。ほかのひとたちがいろいろ意見を言うという感じで会議が進
められていたわけですね。

毎年それが引き継がれていて、なにかライティング・ガイドみたいなものがあるらしく
て、それが毎年毎年引き継がれつつ発展しているらしいですね。それが基本にあって、
この採点基準を今年はこういうふうに作ったというものらしいので、過去のそういう経
験が集積されているという面もあるだろうと思うんですね。

日本の状況のなかでこれをいきなりあのレベルで実現するというのは、相当困難とは思
います。けれども、私のところでは来年できる範囲でではあるけれど、ある程度同じよ
うな仕組みをやってみたいなというふうに思いました。それを本格的にやるためにはや
はり、そういうティーチング・フェローなどを可能にするような財政的な問題等も出て
くると思うので、ひとつそういう実例を実現をして、それを広げるためには何が必要か
という問題提起をしていきたいなと思います。

(田中)
はい、ありがとうございました。日本の院生たちにはまだまだそういう機会は少ないん
じゃないかと思うんですが、こういう院生の立場でも、教授のアシスタントをすること
で自分が研究者として独り立ちをするための必要なスキルですとか、あるいは研究によっ
て社会にどう還元していったらいいのかとか、今後の実践につながるようなことが学べ
る場であったということを今日は感じました。日本でも、ぜひ若手のひとにとってそう
いう知識は非常に必要なところが多いと思いますので、日本でも日本に合ったようなシ
ステムが今後作られてくるということを非常に強く望んだところでありました。

(小林)
いま話していて突然思い出したんですけど、マイケル・ジャクソンの『This is It』の
映画に、ジャクソンのところにいるダンサーたちが出てきますよね。それでもちろん選
抜もマイケル・ジャクソンがしていて、ダンサーたちを当然ながらいろいろ練習させる。
ダンサーたちも誇りを持ってやってますよね。全世界から集まって、マイケル・ジャク
ソンのコンサートを支えるんだと。サポート役ではあるけれども、ひとりひとりが非常
に情熱、使命感を持っているし、ひとりひとりの能力も非常に高い。かなりそれに近い
ものを私は感じていて、能力としてはもちろんハーバードのPh. D.クラスですから高い
わけですけれども、それをたまたまサンデル教授のところに来ている院生たちだけでやっ
ているわけではない。毎年選抜していると言ってましたから、面接をして、ハーバード
の院生のなかでこの講義に関心を持つひとたちが集まって、選抜をする。そして毎週サ
ンデル教授が普段は中身についての議論をするというから、それでトレーニングしてい
るわけですよね。それを受けて学生たちに対して、チューターたちが毎週一回指導をす
るという形で、彼ら自身としてもある意味で世界的にインパクトを持ってきているこの
Justiceの講義を支えているという責任感、情熱感みたいなものも生まれているだろうと
想像します。ちょうどまさにこれは集合的な仕事ですよね。コミュニタリアリズムにふ
さわしいようなcollectiveな。そういう努力が結晶して、この大講義になっている。そ
ういう印象を持ちました。ですから院生たちにとっても、この講義を支えているという
ことは誇りでもあるし、そのあとの彼らの研究や教育に大きな財産にもなっていくだろ
うと想像します。

(田中)
はい、ハーバードレポートその1として、ここまでサンデル教授のJusuticeの講義に関
するレポートをお届けしてきました。次回は、ビジネススクールとロースクールでのサ
ンデル教授の活動についてお届けします。引き続き、お付き合い下さい。では、また。