哲学オリンピックで知った、哲学の共有可能性

2012年9月28日

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梶谷真司(かじたに・しんじ)
1966年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修、博士(人間・環境学)。現象学、比較文化、医学史を専門とする。現在、東京大学大学院総合文化研究科准教授。

梶谷真司さんは、東京大学の駒場キャンパスで哲学と比較文化を教えてい る。前任校の帝京大学では、学生が就職活動用の自己 PR 文章をなかなか書けない実情に直面し、東大に移った後は、質問できない学生が多いことにショックを受ける。 文章を書けないことと質問ができないことの裏には、「自分の問い」がないことが要因としてあるのではないか、梶谷さんはそう感じたそうだ。(『哲楽』第4号、p.37)

インタビュー抜粋

田中:改めまして田中です。本日は東京大学大学院総合文化研究科の准教授でいらっ
しゃいます梶谷真司先生にインタビューさせて頂きます。梶谷先生、よろしくお願いし
ます。

梶谷:よろしくお願いします。

田中:今日はすごく貴重な機会におじゃまさせていただいたんですけれども、「高校生
のための哲学教育」ということで、そういう場におじゃまさせていただいたんですが、
先生が子どもの哲学教育に関わられるようになったきっかけっていうのはどういうもの
だったんでしょうか。

梶谷:長くしゃべると、もともとは私、東大に来る前に帝京大学というところにいまし
て、そこの学生にアカデミック・リテラシーというか、まあレポートの書き方とかです
よね、そういうのを教えるクラスっていうのがあるわけですけれども。僕としてもこの
子たちがレポートを書けるようにするっていうのが、やっぱり本当にこの子たちのため
になるのかな、というのは思うわけですよ。その一方で僕は自分のゼミの学生の就活の
書類の作成を手伝ったりしてたんですね。だけどその時も、彼らがエントリーシートな
り自己PRの文章を書いてきますよね。それを添削する時に、僕が作文してあげるのは簡
単なんですけど、それをやると彼らにふさわしくない文章を書くことになりますよね。
文章自体が上手に書けていたとしても、そんなものはすぐ化けの皮は剥がれるので、そ
ういうのは別にする気もなかったし。就活をする時に、それまでは学生を見ていると、
1つエントリーシートを書いたり自己PRを書くと、いろんな会社にそれを送るんですよね、
10社とか。それはおかしいでしょって。ある会社に入りたい動機は別の会社に入りたい
動機と同じはずなわけがないわけだから、そんな書類を送ったって向こうの人は分かる
し。そんなのは例えば、男女関係で言ったら、女なら誰でも付き合いたいって言ってい
るのと同じぐらい失礼な話で。だからちゃんとその会社がどういう会社で、自分がそこ
で何をしたいのかっていうのを考えなきゃ駄目だということで。だからとにかく「何で
その会社なの」「何でその仕事なの」「あんたがそこで何をできるの」っていうのをひ
たすら聞くわけですよね。彼らに何度も書き直させるわけですよ。ずっと書き直させて。
それまで多分、1回書いたらばーっといろんなところに送っていたのが、もう1つの会社
のを書くためだけに1週間ぐらいかかるんですよね。半泣きになるわけですけれど。だけ
どそれでもやるわけですよ。そうするとだけどやっぱり内定を取ってくるんですよね。
例えば日本で授業やっていると、あんまり質問って出ないんですよね。帝京で出ないの
は、彼らは質問してはいけないと思っているんですね。彼らはあまり学力がよくなかっ
たので、高くないので、多分中学、高校では質問すると迷惑な存在だったんだと思うん
ですね、僕は、もちろん1回しか経験はしていないんだけれども、学生が授業終わった後
にきて、「先生、授業中に質問ってしていいんですか」って聞いてきたんですよね。そ
れが僕は非常にショックで、彼らはしちゃいけないと多分思わされてきたし、多分学校
でそういう扱いを受けてきたんですよね。だから彼らは質問しない。質問も持たないで、
そういうきてると。

田中:先生が「今、質問ある人いますか」という問いかけに対しても答えない。

梶谷:答えないし、そもそも質問していいっていうことすら分からなかったっていう子
がいる、っていうことが非常にショックで。まあ質問なんか聞いても出てこない。する
子もいるんだけども。で、東大に来るじゃないですか。東大にきても質問はあんまり出
ないんですね。彼らはやっぱり、「分かりました。質問はもうありません」という状態
を理想だと思ってきているので、質問はしないんですね。質問すると、何かマヌケだと
思われるんじゃないかと思っているのかもしれないけれども、とにかく質問しない。質
問がない状態が、すべてが分かりましたっていう状態をいいと思っている。問いがない
んですよね。大丈夫です、ってすぐに言うんですよね。大丈夫なはずがないでしょうっ
て言うんだけども、大丈夫ですってすぐ言うので、何か結局、同じ日本の教育の裏表で、
問いを持たないことをよしとする、一方はできないからすると迷惑だ、一方はできる子
だからしないとすべてこれで、何でもいいと。受験の準備ができましたということで。
だけど結局同じようなものが根底にあって、そういう態度が出てきている。

田中:質問をしないっていうことと、文章が書けないっていうのも共通する何かがある
と思われますか。

 

インタビューをまとめた記事は哲楽第4号でお読み頂けます。
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