実は私哲学徒でした:沖縄の哲楽家、紀々さんに聴く

2012年9月29日

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紀々(きき)
1975年、沖縄県生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科東洋哲学専修。卒業後、電子オルガン奏者、ライフコーチを経て、現在は音楽的要素を取り入れた独自のスタイルで、組織・生活の現場に哲楽習慣を広める講演・研修を行う。

本誌の創刊以来、ずっと気になっていた一人の女性がいた。本誌『哲楽』と同じく、 「楽しい」という漢字を当てた、哲楽家という肩書きをもつ紀々さん、その人だ。生まれ故郷の沖縄を中心に、企業や介護現場などで講演や研修活動を行う紀々さんから、東京でトークライブを開くとのニュースが届き、この夏、勇んでかけつけた。(『哲楽』第4号、p.55より)

インタビュー抜粋

田中:改めまして田中です。今日はちょっと驚かれるかもしれないんですけれど、「哲楽家」 という肩書きをおもちの、紀々さんにお話を伺います。紀々さんは、沖縄県那覇市出身で、早稲田大学第一文学部哲学科東洋哲学専修、というところを卒業なさって、卒業後に、電子オルガン奏者になられました。その後、ライフコーチというご職業の資格を取得されまして、ライフコーチの仕事を続けてこられました。最近2012年になってから、 「哲楽家」という肩書きで活動を続けておられます。まず紀々さんのご経歴を今簡単にご紹介したんですけれど、もう少し詳しく、大学に入られる前のことをお伺いしたいと思います。この「東洋哲学」という学問を高校生の紀々さんが選択されたきっかけについてお伺いしてもよろしいでしょうか。

紀々:うちの大学は入る前に学部だけが決まっていて、哲学科というのは実は入ってから決めるしくみになっていたんですね。なので文学部という形で入って、大学に入ってから、 哲学という存在を知りました。オリエンテーションをいくつか受けたなかで、最初は心理学にいこうと思って受けたオリエンテーションの後に、たまたま東洋哲学のオリエン テーションも聞いておこうと、聞いたものにビビビときまして、心理学ではなくてこっちを選んじゃった、というそんな感じです。

田中:早稲田大学には西洋哲学もあったんですか?

紀々:はい。西洋哲学と東洋哲学両方ありました。

田中:でも西洋哲学ではなく東洋哲学にビビビときちゃったというのは、どういうところだったんですか。

紀々:まずは自分のルーツがここにあるな、と感じたんですね。特に私は沖縄の出身なので、 東洋哲学のなかでも中国思想に関心をもっていて、沖縄は食べ物でも踊りなどの芸能でも色んな分野で中国の影響を受けているので、中国思想の話を聞いたときに、とってもしっくりきたんです。それで自分のルーツを知りたいなという関心としてあったので、 「東哲(とうてつ)」でした。

田中:その選択をされるときに色んな方にご相談されたと思いますが、回りの方からの反応はどうでしたか?

 

インタビューをまとめた記事は哲楽第4号でお読み頂けます。

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