「あいだ」と〈私〉をつなぐ西田幾多郎の「場所」

2014年8月29日

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木村敏(きむら・びん)
1931年旧朝鮮生まれ。旧制岐阜県斐太中学校、第三高等学校を経て、京都大学医学部卒業。1964年京都大学にて医学博士。2008年に河合文化教育研究所所長。2003年『木村敏著作集第7巻・臨床哲学論文集』で和辻哲郎文化賞を受賞。

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インタビュー抜粋

田中:木村敏先生は朝鮮でお生まれになられて、お医者様のお父様の赴任地だったということなんですが、5歳まで京都で過ごされて、そのあと岐阜県高山市でお過ごしになられ、中学生までは岐阜においでになられた…。

木村:中学生、高山のね。

田中:はい、高山の斐太中学校を卒業されて、その中学校3年生の時に終戦を迎えられた。そのあと、旧制三高ですね、現在の京都大学理学部を経て、京都大学医学部に入学されました。精神医学の勉強をされてお医者様としてもその後、ご活躍されていらっしゃいました。たくさんの本をお書きになられていて、その他に哲学的な探求もなされているんですけれども、今日、私どもも編集しております『哲楽』という雑誌で「永井哲学の道のりと広がり」というテーマで編集を進めているのですが、そのあたりの重なりと木村先生のこれまでの人生をお伺いしていきたいと思います。最初の質問なんですけれども、「間(ま)」というテーマに関心をお持ちになったのは…。

木村:「ま」とおっしゃると…。もちろん「ま」でもあるんだけれども、私は「あいだ」という読みで言ってみれば言っているわけでしてね、やっぱり「あいだ」と「ま」というのは同じだと言えば同じだけど、漢字にすれば一緒になるんだけど、やっぱりね、「あう」という日本語と、「あいだ」というのと、重なりみたいなもの、それが気になるものだから、「あいだ」と言っているんですよね。だから私、「ま」と言いますと、音楽の方では「ま」という言葉がよく使われるけど。ちょっと違う。

田中:失礼しました、最初から、基本的なところを教えて頂いて。

木村:うーん、どう違うかわからないですけどね。例えば武満徹さんっていうのは私親しかったんですけれども、「ま」のことをしきりに言ってらっしゃる。非常に意見一致したんですけどね。まあ「ま」と言うと「間が抜ける」とか、音楽の場合だと、「ま」と言うとある音が鳴って、それからしばらく時間がたって次の音が鳴って、その二つの間の音のことをよく言いますよね、「ま」と。しかし武満さんは「間(ま)というのはそういうもんじゃない。間というのは一音の中にすでに間があるんだ」という考えを出しておられる。これは私、大賛成なんですね。私もそう思う、音楽をやっていて。どうやって言ったらいいのか(笑)。大変難しいので、そんなに簡単に順序立ててというか、わかりやすく説明はできないんだけれども、「あいだ」というものも、「あいだ」というと何かと何かの「あいだ」ということになって最低二つのものが必要に思えるんだけれども、その二つのものが「あう」場所は一つなんで、そういう点で「ま」と「あいだ」というのは近いといえば近いなあ(笑)。
田中:(笑)ありがとうございます。そうしましたらこれ以降は「あいだ」という風に呼ばせて頂きたいと思います。「あいだ」というテーマに関心をお持ちになったのが音楽からだったということなんですが。

木村:ええ…、はい。

田中:音楽との出会いが中学生の時ですか?

木村:です…かねぇ。出会いというほどのことはなく、全然何も音楽なんてやっていなかった。ただ、私の父親が高山の日赤、赤十字病院の院長をしていたんですがね、その副院長さんというのがもちろんおられて、やはり京都から赴任して来られた方なんだけど、その方のお嬢さんに、小学校の同級生でピアノがとても上手な方がおられたんですよ。それで「ああ、いいなあ」と思って、「弾けるようになったらいいのになあ」と思っていた時期が、これは中学、小学校の頃かなあ、中学というよりは。うーん。まあ、その頃から音楽が好きだったことは好きだったんでしょうね。しかし、特にはやってなかったな。ただ、私の家に昔の足踏みオルガン、母親がよく、多少音楽が好きだったのかな、たぶん。母親が嫁入り道具に持ってきた足踏みオルガンが、それをしきりに音を出していたから、というんでしょうね。ただ全く音を出さなかったわけではないんだけども。いいかげんなもんで。京都へ、三高ですね、旧制三高へ来た時に、どうしてか音楽部というクラブに入ったんですよ。好きだったということなのかな。教わり始めたのはその時が最初だなあ。きちんとピアノの先生について教わったの。あれいくつだ、えっと…。

田中:先生の『形なきものの形』というエッセイ集によると16才頃かと。

木村:もう結構大きくなっているわけです。だから音楽をやっている子どものように3歳、4歳からやっているわけじゃないので、当然指は動かないし、しかし必死になってピアノの練習をいたしましたね。それで結構上手になったんですよ。

インタビューは「哲楽」第6号と「哲学者に会いにゆこう」でお読み頂けます。

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