芙蓉の花と存在の一義性

2016年2月2日

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山内志朗(やまうち・しろう)
1957年山形県生まれ。88年東京大学大学院博士課程単位取得。新潟大学人文学部教授を経て、2007年より慶應義塾大学文学部教授。専門の中世哲学・倫理学のほか、中世哲学の視点からみる現代思想・現代社会論・コミュニケーション論・身体論・修験道・サブカルチャー・ミイラ・占い・アロマセラピーなども研究分野。最新書として、2015年10月、慶応大学出版会より『小さな倫理学入門』を上梓。




(インタビュー◎2015年10月5日 慶応義塾大学にて Music: Korehiko Kazama

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山内志朗さんは、慶應義塾大学で哲学を教えている。生まれは山形県。奈良時代に始まったとされる山岳宗教に修験道があるが、その行者である山伏たちが修行した山々のふもとに育った。山中で厳しい修行を行う山伏は明治期に廃業を余儀なくされ、今では体験修行しかできないものの、山内さんの3代前の祖先までは山伏だったため、幼い頃からスピリチュアルなものに関心があったという。

Photo: Saori Tanaka

Photo: Saori Tanaka

催眠術や心理学にも関心を寄せていた山内少年は、中学時代に深夜のラジオ番組を通してキリスト教に触れる機会を得る。番組が提供していた通信講座で初めて聖書を手にして以来、ニーチェやキルケゴール、フロイト、さらにはカントまで書物の山々を渡り歩いた。そうして、東京大学文学部哲学科に進学することになる。

安保闘争時代、山内さんが東大に入学した76年はまだ学生運動も活発で、同級生たちはフーコーのブルジョア気質を皮肉り、哲学思想について熱弁をふるっていた。一方で、山形で聖書と近代哲学を行き来してきた山内青年は、ハイデガーの代表作の『存在と時間』を一字一句書き取りながら独学を開始する。当時すでに時代の寵児であった廣松渉の講義で、ようやくその哲学を理解することができたという。

さらにその後、恩師の坂部恵を通してライプニッツに出会い、その「謎めいた」魅力に取り憑かれ、ドイツ語からラテン語・ギリシャ語の古典語学習に時間を費やした。山内さんが35歳で出版した中世哲学の入門書『普遍論争』が文庫化されたときに、坂部はこんな解説を寄せている。

トマス・クーンやフーコーなどのパラダイム・思考図式の転換を説く断続史観を紹介し論ずるひとは多くても、そうした方法を哲学史・思想史に実地にまで応用する仕事は、わが国ではきわめてすくない。山内氏の仕事がそうした稀の事例のひとつであることをここで控えめな著者に代わって言い添えておくのも無駄ではないだろう。( 『普遍論争—近代の潮流としての』平凡社・2008年:p.321より)

一読しただけでは、師が教え子の本に寄せた文章とはわかない。まるで昔からの同志が捧げたような解説を携え、山内さんのデビュー作は文庫化された。

新潟大学での勤務を経て、2007年に山内さんは約20年ぶりに再び東京に戻ってきた。山内さんが働く慶應の三田キャンパスは、東京の真ん中にあるとは思えないほど、穏やかな空気が流れていて、インタビュー当日には、ふわりとした可憐な花びらが印象的な桃色の花が咲いていた。

撮影のためにこの花の前に立って頂くと、花の名が「芙蓉」であること、さだまさしがかつてこの花を歌詞にして歌っていたこと、「ふよう」という言葉の響きが花の印象に合っていることを、鼻歌まじりに語りながら、山内さんは笑っていた。実際には、女子校の校長先生でもあり、新しい倫理学の本が出版されたばかりで、笑えないほど忙しいはずなのに。

中世の哲学者スコトゥスが扱っていた「存在の一義性」という問題を「思い込み」で読み解こうと、山内さんは一人でまたもこの険しい迷宮に入り込んでいた。その思い込みとは、「小さいものの存在意義、個体性を重視するはずだと。それと神様との結びつきを考える一義性のはず」というものだった。

山内さんに見えている、神様とさえも結びつけられる「小さいもの」は、例えば芙蓉の花かもしれないし、その花びらを揺らす風かもしれない。恐らくいつでもどんなときでもその「小さいもの」を身近に感じていられるからこそ、中世の羊皮紙に刻まれた呪文のような言葉からも、それを大事に掘り起こすことができるのかもしれない。アラビア語・ラテン語・日本語の古語でも確かめられると、その「小さいもの」は山内さんの山形弁アクセントの穏やかな声で語られた。その声には、自分がどのような佇まいでこの世界に存在し続けたらよいのか、幼少期から考え続けてきた時間がそのまま響いていた。

 

    このインタビューは哲楽珈琲の提供でお届けします。コーヒーブレイクには、哲楽珈琲をどうぞ。

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インタビュー

ルーツは山伏

 

——ご専門の中世哲学のほか、中世哲学の視点から見る現代思想・現代社会論・コミュニケーション論・身体論……公開されている情報で、この辺りまでは分かるのですが、修験道・サブカルチャー・ミイラ・占い・アロマセラピーなども研究分野ということで、後半のお話もせひお伺いできればと思っています。まずどのような幼少期を過ごされて、最初の哲学的な疑問がどんなものだったのかというところからお聞かせいただけますか。

 

はい。最初に私がどういうところに生まれたのかをお話しした方が良いと思います。東北の山形県の真ん中に出羽三山というのがありまして、月山、湯殿山、羽黒山という三つの山から構成されているのですが、そこは修験道で有名な山なんですね。

 

その中で湯殿山というのがありまして、そこには即身仏、ミイラが有名でして。日本に20数体あるんですが、そのうちの過半数が湯殿山で修行された方です。さらにまた私の先祖が三代前まで湯殿山の先達、簡単に言うと山伏なんですが、それをやっておりまして。明治のときに廃仏毀釈によって廃業いたしまして。そういう歴史がありまして、子どもの頃からそういったものを研究したいなという気持ちはありました。

 

——後半のご専門は、中世哲学の流れでご関心をおもちになったのかと思ったのですが、むしろそこがルーツだったのですね。

 

そうですね、小学生のころにそういったお寺の近くに小学校がありまして、その住職達のお墓は誰もお参りしなかったんですが、そういうのを見て、昔は栄えていたのになぜ今こんなに廃れたのか、それを研究したいという気持ちをもちまして。見捨てられたものを見ると研究したくなるんです。中世哲学についても同じです。哲学に踏み込んで行くようになるのは、ちょっと遠回りしました。小学生の頃、催眠術に興味をもちまして、同級生にかけたりしていたんですが。それと同時に心理学に関心をもちまして、それで心理学を勉強しようと思いまして、最初に読んだのがフロイトだったんですね。『精神分析入門』とか読みまして。心理学に関心をもとうと思ったんですが、心理学をやるまえには哲学をやっておいた方がいいと。

 

——なるほど。

 

そんなことが心理学の本にありまして。浅野八郎さんの『心理学入門』でしたかね。哲学をやろうかなというので手に入れたのがキルケゴールとニーチェだったんですが。

 

——おいくつぐらいの時ですか?

 

中学2年生ですかね。

 

ラジオ通信講座でキリスト教を学ぶ

 

そういう哲学書を読むとキリスト教のことが前提になっているので、これはキリスト教を勉強しなきゃいけないと。ところが山の中ですから、クリスマスはあったのですが、クリスマス以外にはキリスト教と全然縁がないような生活だったので、仕方ないのでラジオで「世の光」とかいうキリスト教の番組があったので、それを聴き始めました。通信講座がありましたので、聖書の通信講座を受講しまして、本屋も近くになかったので、そこから聖書を買って読み始めました。

 

——お家の方は先祖代々、山伏をされていて、キリスト教とは関係がなかったと思うのですけれど、どちらかというと神道に近い?

 

もともとは仏教の真言宗と神道が混ざって修験道が成立していますので。全くキリスト教とは縁がなかったんですが。なぜか偶然なんでしょうね。キリスト教に関心をもって。

 

——お母様はびっくりされたんじゃないですか、どうなっちゃったんだって。

 

兄弟がいっぱいいますから。4人兄弟の末っ子ですから、一人ぐらい変わったのが いてもいいんじゃないかと、おおらかに見ておりましたね。

 

——最初のきっかけがラジオだったのですね。

 

はい。キリスト教の番組で通信講座を受けて、通信販売で聖書を買って、通信販売で哲学書を買ったというのも子どもの頃ですね。

 

本インタビューは哲楽最新号でお読み頂けます。保存版としてぜひお手元に。

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