手話で因果論を解体する

2017年8月25日

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高山守(たかやま・まもる)
1948年東京都生まれ。東京大学大学院人文学研究科博士課程退学、博士(文学)。東京大学名誉教授。ドイツ近代哲学を専門とし、因果と自由の問題を考えてきた。同大学を定年退職後に手話講習会に通い始め、現在上級クラスに在籍中。

(インタビュー◎2016年11月11日 シルバード洋菓子店にて Music: Korehiko Kazama

高山守さんは、東京大学で哲学を教えていた。2013年に同大を定年退職した後、社会活動への関心もあり地元の手話講習会に通い始めた。

生まれは東京の江戸川区小岩。高校時代の倫理の授業では、教員に敵対心を抱かせるほど「物事の根本を掴まなければ気がすまない」性分だったというう。「なぜ生きるのか」の答えを求めるためキリスト教にも強い関心を持った高山青年は、商社マンになるという未来を思い描きつつも、哲学の道に舵を切る。東大の学部生当時全盛だったドイツ哲学の中でも、カントを精読するも、実存的な問いかけに対する満足のいく議論を見い出すことはできなかった。博士課程で後に40年近くかけて取り組むことになるヘーゲルに出会い、これだとのめり込んだ。

東京大学を定年するまでテーマにしていたのは、自由と因果をめぐる問題だ。世界には、「自然法則による因果性だけでなく、自由による因果性もある」のか、「自由は存在せず、すべてが自然法則によって起こる」のか。この二つの命題の対立は、『純粋理性批判』でカントが論じた第3アンチノミーとして知られるが、そこからヘーゲルを経て、高山さんは、因果論そのものを解体しながら人間の自由のあり方を記述する道を追い求めてきた。高山さんは、一貫して、原因と結果のつながりによって世界を因果的に了解することは間違っていると考えている。2010年と2013年に出された2冊の著作に因果の解体と自由のあり方の議論を収め、定年後は、しばらくアカデミックな哲学の世界からは遠ざかろうと考えて、ただの「ジジイ」として手話を習い始めた。ところが、過去とはしばらく別れるつもりだった手話の世界で、因果解体論を裏づける表現を見つけてしまった。「世界の因果的な了解は音声言語の認識の枠内にあり、そしてそれは間違っている。一方で自由な行為の一つ一つが自分という人間を形作る」。68歳になった今、高山さんは手話講習会の上級コースに通いながら、そう考えている。物理学者の中には、こうした問題領域がおよそ理解できず、論難に終始する人もいるが、高山さんの研究は進んでいる。

この冬、日本手話学会で「手話言語と因果表現」というテーマで発表する。手話言語を用いたアプローチ自体、哲学史上稀に見る試みで、これから踏み出される高山さんの第一歩は、月面に初めて降り立ったアームストロングのそれと重なる。何せ、音声言語の形式による認識の限界によって生み出された哲学上の大問題が、手話の力で瓦解するかもしれないからだ。

昨年度、国の研究費の不採用通知を受けた高山さんは、「大風呂敷を広げ過ぎて、支離滅裂な思い込みをしているだけかもしれない」と笑っている。音声言語話者である研究者たちが、その限界に目を向けて、高山さんの研究を見守ることができるのか。それが問題だ。

 

インタビューは「哲学者に会いにゆこう 2」でお読み頂けます。