「哲学カフェ」の参加体験記事を報道で目にすることも多くなってきた。もともとはフランスのパリにある喫茶店で始まり、市井の人々の間で哲学的な問いを巡って対話が繰り広げられた。日本では、2000年に大阪大学臨床哲学研究室の主催で寺院で開催されたのを皮切りに、現在は20以上の都道府県で哲学カフェが続けられている。
開催場所は、寺院や喫茶店だけではない。今では中高の学校などでも、哲学者が教員として働きながら、街中の哲学カフェで話題になるような「人生」や「生きる意味」、はたまた「宇宙」や「真理」に関する問題を巡って哲学対話が実践されている。本書「ゼロからはじめる哲学対話」は、そんな哲学対話をこれから始めてみたいと考えている人のためにまとめられたガイドブッグである。執筆者一覧に名を連ねているのは14人の実践家たち。現代の日本にこれほど多くの哲学対話の実践家が存在していることは、古代ギリシアで活躍したソクラテスがそうであったように、哲学書を書くだけが哲学の実践ではないことに気づかせてくれる。
本書は、純粋に哲学的な問題に関心がある読者にとっても、哲学対話の雰囲気を味わうことができる一冊になっている。後半「知っておきたい哲学のテーマの概説」では、人生や政治、倫理や宇宙などの問題が解説されているので、現代までに何がどう論じられてきたのかを通読することができる。ここから読者自身の関心に重なるところを読み終えたら、少し戻って「参加しているときの困りごと」に目を通すと、哲学対話の場に出かけてみるためのイメージトレーニングができそうだ。「うまく話せない」ときや、「話の流れが難しくてついていけない」ときにどうしたら良いか、確認できる。
哲学対話の場は、生徒会や会社、PTAなどでの会議とは異なり、合意形成やこれからやるべきことを迅速にまとめることが対話の目的ではない。本書の定義によれば「人が生きるなかで出会うさまざまな問いを、人々と言葉を交わしながら、ゆっくり、じっくり考えることによって、自己と世界の見方を深く豊かにしていくこと」に主眼があるという。例えば、「生きる意味」といった大きなテーマで考える際には、年長者である自分の担任や上司がその答えを一意に決めることができない。このため、哲学対話では、一筋縄では答えが見出せない問題を老若男女様々な視点から吟味する対話の過程が大事になる。
また、哲学対話の場は学問としての哲学を極めることが目的ではない。だからこそ、他の参加者による様々な切実で刺激的な問いに出会うこともできる。例えば本書には、福祉施設での問いの例として「カリスマが他の人にはない感性をもっていることと、自分たちの幻聴や幻覚は何が違うのか」が挙げられている。この刺激的な問いを巡って、実際にこの後どんな対話が繰り広げられたのか、興味をそそられる。
本書は問いと他者に開かれている。哲学対話のイメージトレーニングをするもよし、オンラインで開催されている哲学カフェに飛び込んでみるもよし。普段とは違う、「ゆっくり・じっくり」考える時間を過ごせるはずだ。