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聞き手・翻訳:田中さをり
チョムスキー博士のオフィスには、グレーのカーリーヘアの小型犬がいる。秘書の女性が飼っている犬だ。彼のオフィスにはひっきりなしに来客があり、ドアが開かれる度に、その犬はオフィスとオープンスペースの間をくるくると駆け回る。私たちの前の客人達の一人は、黒い大きなカウボーイハットを被っておられた。待っている間、犬を撫でていたら、お腹を出して転がっていしまい、カウボーイハットの客人がお帰りになる道を塞いでしまった。犬ごと道の端に寄せて通り道を作ると、客人は帽子をすこし上げて微笑み、出て行かれた。その後、私たちはオフィスに招き入れられた。
世界的に著名な言語学者であり思想家でもあるチョムスキー博士から、30分という面会時間を頂いた。一日に世界中から何百通もの電子メールを受け取るチョムスキー博士から頂いた貴重な時間の、最後の5分だけ、インタビューをすることができた。チョムスキー博士の穏やかに時折ちいさく跳ねながら流れる小川のような声が収録器に記録された。それは、広く伝えなければならないメッセージだった。このような素晴らしい機会を与えてくださった一杉真城氏、ご同行頂いた小林正弥教授に深く感謝します。
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–チョムスキー博士、インタビューをお引き受けいただきありがとうございます。日本の若い学生達のために、ひとつ質問をさせて頂きたいと思います。個人的な経験ですが、私は2003から2005年にコネチカットにある大学で研究員として滞在しておりました。この時ちょうどイラク戦争のまっただ中でしたが、学生達の間での議論以外に、学部内で大きなデモが起こることはありませんでした。ご存知の通り、この大学の言語学部は、チョムスキー教授のお考えを支持していて、生成文法論を促進しようとしていました。しかし、この時、強烈な反戦的な感情に接することはありませんでした。そこで、チョムスキー博士にお聞きしたいのですが、政治的危機にある局面で、我々が持って生まれた合理的な能力を活用して、合理的判断を下すことはいかに可能なのでしょうか。
これまで封印されてきたような特別な秘密はないのです。私たちは、過去の行動について本当はどうすべきだったのか考えるとき、実際にできる範囲でしか考えることはできません。国家権力に抗って起こった戦争の場合、どんな場合でも極めて難しいのです。
国家というものは、恐れを生じさせ、人々をその恐れの傘の下にうずくませる力をもっています。イラク戦争の場合を見てみればそのことが明確に分かるはずです。数ヶ月の間に、戦争のプロパガンダはアメリカ中を脅えさせ、大多数の人に「イラクを占領しなければ彼らの方が我々を破壊してしまう」と感じさせたのです。ご存知のように、国務長官のコンドリーザ・ライスは、「サダムから次に便りがあるとすれば、それはニューヨークを覆うマッシュルームの雲だ」と言いました。
そのメッセージは、特に人々が他のメッセージを聞いていないときに、人々を震撼させました。だから、人々が脅え、暴力と力を指示しているときは、それは自己防衛のためにやっていると感じるし、そのことを克服するのはとても難しいことなのです。
しかしながら、イラク戦争の時はこれが非常に良く克服されました。コネチカットのことはわかりませんが、私のここの学生達は、戦争が宣言されたその日に、講義を休講し、反戦デモに加わることを主張したのです。ボストンのダウンタウンでの大規模なデモでした。
すべての人は戦争に反対ということは言えます。だれも戦争を好む人はいません。実際興味深いことに、イラク戦争は歴史上、戦争が公的に宣言される前に大規模な抗議が起こった最初の侵略戦争でした。
例えばベトナム戦争のときには起こらなかったことです。何年もたってから、戦後5、6年も経ってから、反戦運動が起こりました。しかしそれは侵略前のことで、アメリカが暴力の行使を拡大させないようにする効果がありました。
しかしその活動を続けて、積み上げて行くのは大変困難でした。その時の人々が直面しなければならないプロパガンダがずっとあったのです。暴力と拡大を指示することに関心を持つ強力なセクターがあるわけです。つまるところ、アメリカには、世界のアメリカ以外の国々が使っている軍事費を合わせた金額と同じくらいの費用を費やし、世界中に800の軍事基地を持ち、すべての大洋に海軍を持っているという事実を背景として、それだけの力があるわけです。ご存知のように、こんな国はアメリカ以外ありません。
これを取り壊すことは容易ではないでしょう。ここでの一般の人の感情では、自分たちを守るためにこの環境をともかく必要としているというものですし、恐怖とは思いがけないことです。
それは、時に滑稽と言ってもいいでしょう。1985年のことです。25年前、当時の大統領であったロナルド・レーガンは、アメリカ合衆国に国家非常事態を宣言しました。ニカラグア政府からあと二日もすればテキサスに軍隊が攻め入るであろうということからでした。
これを聞いて笑うべきか泣くべきかわからないでしょう。けれど人々は笑っていませんでした。ひとつの脅かされた国なのです。それは常にそうだったわけです。だから、そうです。なさなければならないことは沢山あります。
–現在の若い世代の人々はベトナム戦争の時の人々と比べて、より大きな困難に直面しているとお考えですか?
困難は少なくなっていると思います。例えば、ベトナム戦争の時を考えてみましょう。それは戦後最大の戦争だったわけです。1962年に、ベトナムはジョン・F・ケネディによって攻撃されました。非常に深刻な攻撃でした。砲撃をし、化学兵器を使い、家屋を破壊し、住民を車に乗せ、地方の強制収容所に連れて行ったわけです。
しかし、反戦運動はなかったのです。たったひとつも。反戦運動が拡大するまで何年も要しました。でも人々の態度は変わりました。今では、直接的な武力侵略はこれまでのようには容易に受け入れられることはなくなりました。いまだにその支持者は多すぎるほどいますが、非常に多くが改善されました。ただ、もっとそのような改善がなされるためには、なすべきことがまだ沢山あるということなだけです。
–本当にどうもありがとうございました。
こちらこそ。
チョムスキー博士の記事を含む「特集:「哲学ラジオ」ボストンへ行く」は哲楽1号でお読み頂けます。
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