不随意な身体のリアリティ

2016年1月23日

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森岡正博(もりおか・まさひろ)
1958年高知県生まれ。1983年東京大学文学部卒。現在、早稲田大学人間科学部教授。哲学、倫理学、生命学を中心に、学術書からエッセイまで幅広い執筆活動を行なう。著書に『まんが哲学入門』2013年・講談社、『無痛文明論』2003年・トランスビュー、『宗教なき時代を生きるために』1996年・法蔵館など多数。

(インタビュー◎2015年7月25日 ホテル&レジデンス六本木にて Music: Korehiko Kazama

森岡正博さんは、早稲田大学で哲学を教えている。2015年の春、27年ぶりに関西から関東に戻ってきたばかりだ。7月最後の土曜、首都高速が頭上を走る通りに面した都内のホテルで開催された「現代哲学ラボ」で、話を伺った。

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Photo: Kuniaki Tawara

森岡さんの生まれ故郷は高知県。小学生のときに「死んだらどうなるんだろう」という問いに取り憑かれて以来、「強制的に哲学者にならされてしまった」という。その問いを抱えたまま、東京大学に進学。物理学や数学でこの問いの答えを見つけようとしたものの、期待していたものは得られず、哲学に転向した。大学院でヴィトゲンシュタインの分析哲学に出会ったときに「まさにこれだ」と感じてのめり込んだ。一方で、理系と文系の間を行き来したことから、科学技術の問題についても考えるようになり、「自分を棚上げしない」パラダイムを立ち上げようと奔走した。

時は1980年代。その頃に登場した生命倫理学という学問分野では、脳死の問題が扱われていたものの、自分たちが倫理の問題を生み出しているという意識が欠落していることに疑問を感じ、何か別の形が必要なのではないかと森岡さんは感じたのだ。1988年、その思いが最初の本『生命学への招待―バイオエシックスを超えて』に結実する。さらに京都で就職してから数年後の1994年、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの論客たちとの対談本『電脳福祉論』を出版する。

あらゆる技術が身体障害者や高齢者と接続するに従って、そうした人々が文明の最先端に立つことになるのではないか。そんな見通しを、5人の論客たちにぶつけたのだ。最後に橋爪大三郎氏と対談したとき、森岡さんはある素朴な未来予想をぶつける。「これから先、人間と機械が接続されるようになると、複数の人々がひとつの大きな身体を共有するようになるのではないか」と。複数の人々が大きなクレーンを同時に操縦する思考実験で、この直観を表現してみたものの、橋爪氏は否定する。それは「随意運動」に対する「麻痺」が起こっている状況であり、「身体の共有」ではありえないと。

森岡さんはここでもまだ自分の直観を捨てきれず、複数の人々の身体が一台の車に接続され、エネルギーを供給しながら走る思考実験を出してみる。それに対しても橋爪氏は、それは「我々が太陽に依存しているのと同じで、身体の共有化ではない」と否定する。

森岡さんは、ある程度は自分の意志に従って動くクレーンを使っているうちに自分の脳に条件づけがほどこされるようになり、そうして複数の人間の身体像が形成されれば、身体が共有されたことになるはずだ、と最後まで粘った。

再び2015年7月。20年が経って改めて振り返ってみると、「随意運動―麻痺」という考え方は、身体のある一面しか捉えきれていないのではないかと思えた。身体の不随意な部分であっても、内臓感覚や、五感で感じる知覚なども、身体の別の側面として浮かび上がってくることに、当時から興味があった。しかしそれは個人的な興味を超えて、次の予測につながる。そうした不随意の側面をもった身体が機械を通して複数の人々と接続されると、自分の身体が拡張されるだけでなく、心も拡張され、ひいては他人の心が自分の心に入ってくるように感じられるのではないか。

森岡さんにはさらに、もう一つ気になることがある。ブレイン・マシン・インターフェースで他人の脳と自分の脳が接続されたら、「他人という存在が本当に存在するのか」という懐疑が生まれるはず。一方で100%他人のことがわかるようになったら、そのとき私は、私自身のことを誰だと思うのだろう。

私と他者をめぐる逆向きの懐疑がこれから生じるのではないか。そんなさらなる予測が、「身体の共有化」という予測を打ち出した延長線上の森岡さんの心に生じている。哲学者の思考実験というものは、妄想でもあり、未来予想でもあり、さらには予言でもありうる。森岡さんのこれらの「予測」がこのうちのどれに当たるのかは、まだわからない。しかし、一つだけ言えることがある。

死を想起し続けた自身の問題と、我々が生み出す社会の問題という二つの問題に対して、同時にリアリティを感じてしまう。森岡正博さんはそんな希有な哲学者だということだ。その境地で、読者の直感を執拗に揺さぶり続けてきたことで、未来を見通すための目を鋭くした。そんな気がしてならない。

    このインタビューは哲楽珈琲の提供でお届けします。コーヒーブレイクには、哲楽珈琲をどうぞ。

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インタビュー

「現代哲学ラボ」という試み

 

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森岡:私、大学は東京だったんですが、30歳の時に就職で関西に行って、それから27年ずっと関西にいたんですよね。関西は非常に濃いところで、色々な仲間もできて面白かったですね。非常に久しぶりに東京に戻って来て、何かやりたいと思いました。東京は人口も多いし、自分の頭で哲学をしている人たちが自由に集まれる場所を作りたいと思いまして、それで田中さをりさんに「何かやろうよ」というふうに声をかけました。それで意気投合して。ちょうど田中さんと私の共通の知り合いに永井均さんと、入不二基義さんというオリジナルな哲学者が東京におられますので、彼らに「一緒にやろう」と声をかけて、それでを立ち上げたと、そんな感じですね。

 

——「自分の頭で考える哲学」に何か思い入れがおありなんでしょうか。

 

森岡:そうですね。私、若い時から、ずっとそう思っていたんですけど。哲学って自分で自分の問題を考えるんでしょうと。私が東大の文学部に入った時は、大学ではむしろそういうことはやっちゃいけない雰囲気があって、「まずカントやハイデガーを読みなさい」みたいなのがあって。私はすごく反発して大学時代を過ごしていたというのがあって。今となっては、先生がそういうことを言う理由は、自分が先生になるとわかりますけど。わかるけど、何だろうな。哲学に中心的なやり方というのは車に右と左の両輪があるのと同じで、左は過去の物から学ぶ、右は自分の頭で考える。その二つがそろって初めてちゃんとした哲学だろうと思うんです。やっぱり、日本の今のアカデミズムや大学の哲学教育はまだまだ過去のものに中心を置きすぎているような気がやっぱりするんで。

 

——そこはバランスの問題だと思われますか。

 

森岡:今はそう思っていますね。バランスの問題で、それが一番良いんじゃないでしょうかね。

 

——例えば高校生で、自己の問題に興味を持っていますという方が、相談に来たとしたら、どうアドバイスされますか?

 

森岡:それはまず「どういう問題ですか」と。「あなたが今、心にある問題は?」って。そこから始めるでしょうね。

 

——それで関連する文献も紹介されますか?

 

森岡:それはそうなりますけれど。「最初は自分で全部考えたら」って言うと思います。自分で考えたらどうなるかっていうと、ぜったい行き詰まるんですよ。行き詰まったときに私のような先輩に聞くか、あるいは本に聞く。というのがいいじゃないかと思うんですよ。本を読んだり話を聞いていたりするとまた考えたくなるから、また自分の考えに戻っていって、また行き詰まるから。そういう右に行ったり左に行ったりというのが一番いいんじゃないかと思いますけどね。なので現代哲学ラボも、どっちかというと車の両輪の、自分の頭で考えて表現している人達と、交流したい。それはすでにやっている人もそうだし、これからやりたいと思っている人達が交流できる場が東京にあるべきだと思いますし、すでにあると思います、あちこちにね。それを総まとめするような場所を作りたいなと思います。あとは、最近海外の人とも、英語を使うと交流できるので、そっちも広げていきたいなと将来的には思っています。

 

——「草食系男子」を世に出されたときも海外からのインタビューがあったとか。

 

森岡:かなりありましたね。あれが哲学かどうか知らないけど。やっぱり面白いこと言うと、世界の人達って興味持ちますよ。私も各国の人達からインタビューを受けてますけど、受けている話題というのは、ひとつは「脳死問題」ですね。これはかなり受けました。あとは「草食系男子」。この二つですね。やっぱり珍しいんですよ。こういう話で盛り上がっているのはなぜ?みたいなね。文化的な差異もあるけど、広い意味で——今日は入不二さんもおられますが——哲学についての面白い提言をしていくとそれはやっぱり興味を持たれると思いますよ。

 

——まず場を作って、自分の頭で考える人達が若い人を中心に集まって。

 

森岡:あとベテランとね。ゆくゆくは高校生まで広げたいと思っていて。だってさ、高校生ぐらいのときって哲学的なことを考えたりするじゃないですか、一回くらいは。芽がぱっと開いてきているのだから、そういうことを考えてきている人達と結びつけたいという気持ちはありますよね。

 

——そういう問題だったら、何々大学の何々先生がいいよという進路相談も?

 

森岡:そこまでするかは知らないけど、だけどこういうところに出入りしていると大学の教員なんかもいるし、哲学カフェをやっている人もいるし。いろんな人と知り合えるというのがいいかなと思ってます。

 

——これまでのご研究の流れと現代哲学ラボとは関係する点がありますか。

 

森岡:現代哲学ラボとの関係に関しては、それはさっきも言ったように文献を読むというのは車の両輪の片方に過ぎないので、それは日本にたくさんあって、お互いに研鑽するような場所です。もう片方の場所を作りたいというのが、自分のこれまでの研究の流れとこの場所のつながりというのはそこになります。私自身の哲学研究のスタートは分析哲学ですよね。最初にかなりのめり込んだのはヴィトゲンシュタインで。私の修士論文と博士の研究は、ヴィトゲンシュタインとどう対決するかというのはすごくのめり込んでいて、特に独我論の問題と他人の心の問題、他我問題っていいますけど、これはかなり考えましたね。これは今でもずっと引きずっていますね。

 

——最初に問題意識を自覚されたのはもう少しお若いときだったんですか?

 

森岡:私よく他の場所でも言ってますけど、小学生の時に「死んだらどうなるんだろう」って思ったのが最初で、あれ面白いもんですよね。「私は死んだらどうなるんだろう」と気がついた瞬間に、第二の人生を歩き始めたって感じがあるんですよね。それまでは幸福な時代で、そこから苦難な時代が始まるみたいな。小学校の高学年から哲学者にならされてしまったという、無理矢理なんかね。神の声みたいなのが降りてきたわけですよ。「死んだらどうなるんだ」みたいにね。

 

——それはその時にどなたか大人に言われたり?

森岡:何にもないです。突然に、神の声です。さっき独我論の問題の話を言ったけど、「死んだらどうなるんのか」っていう問題と同じ問題なんですよ。世界は私しかないじゃないかっていう問題と、他人の心は無いんじゃないかっていう問題は、「私は死んだらどうなるんだ」っていう話の変換したような問いなんですよ。と、私は思うし、ヴィトゲンシュタインを読んだ時に全く同じ臭いを感じたんです。

 

 

本インタビューは、『哲学者に会いにゆこう 2』と哲楽7号でお読み頂けます。保存版としてぜひお手元に。


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編集:哲楽編集部
出版社:MIDアカデミックプロモーションズ
雑誌:A5版、80ページ
定価:720円

●インタビュー
森岡 正博 「不随意な身体のリアリティ」
山内 志朗 「芙蓉の花と存在の一義性」

●哲学カフェレポ
戸谷 洋志 「どこまでが身体か」

●連載エッセイ
吉永 明弘「隣の教室 」
村瀬 智之 「技術者の卵のための哲学教育 」
土屋 陽介 「「子どもの哲学」にようこそ!」
俵 邦昭 ナンバークロスワード

 

■ 合わせてお読み下さい

第0回準備会 森岡正博「ロボット社会における生命」

第1回 入不二基義「運命論を哲学する——あるようにあり、なるようになるとは?」

第2回 永井均「哲学の賑やかさと密やかさ」

 

お知らせ

哲楽最新号となる第7号、特集「身体性の未来」が2016年1月21日に発売されました。

通販ではAmazonFujisanより、実店舗ではジュンク堂書店池袋本店(4F人文書コーナー)にてご購入頂けます。なお、1月21日時点で、Amazonでは、ご予約頂いたお客様への発送により、一時在庫切れになっております。順次追加納品しておりますが、お急ぎの方は、Fujisanかジュンク堂書店池袋本店をご利用下さい。

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