2014年11月23日、東京目黒区の老舗ライブハウス、珈琲美学にて、哲楽ライブが開催された。出演者は、哲楽家の紀々、哲学者の永井均、ミュージシャンの風間コレヒコ。「歌と朗読と哲学対談」という構成であることは告知していたものの、恐らくこれがどんなイベントになるのか、出演者も含め、誰も予想していなかったはずだ。会場の珈琲美学は、いつもはプロのジャズ・ミュージシャンが演奏し、素敵な食事が出される場所である。そこへ設定されたのが、哲学科出身のミュージシャン二人と、生粋の哲学者が歌い・語るイベント。現役の哲学専攻学生が恋人や友人を連れて来られるライブ、そんな世界で初めての試みが始ろうとしていた。
開演前のリハーサルに登場した風間コレヒコは、バックパックに小型白黒テレビを担いでいた。「手伝おうか?」と声を掛けると、「いや、大丈夫っす」との答え。見かねたお客さんが上から残りのモニターを運ぶのを手伝ってくれていた。普段は重度の障害をもつ人々の介助の仕事をしながら、ライブ活動をしている風間の後には、彼の介助を受けている男性が車椅子で登場した。脳性まひのある男性は、少し興奮気味な声で、「まあ、先生、頑張れよ」とゆっくりと風間に伝え、風間がそれを読み取って笑った。
風間は、永井均が千葉大で教壇に立っていたときの教え子で、こうして二人で哲学の話をするのはほぼ10年ぶりのこと。自分が学生の頃に永井に尋ねた質問が、永井のエッセイになって世に出ていることも知っていた。今日はそこで、質問の本来の意図を語り、さらには映像を使ったフィードバック・ノイズを披露しようとしていた。永井を慕う近しい人々が続々とやってくるなか、風間の目は真剣だった。計画では、1台のテレビモニターにビデオカメラを向けて撮影して、残りの7台のテレビモニターをコネクターでつなぎ配信する。さらにその信号をパソコンに送って操作すると、もともと写っていたテレビの画像と、ビデオカメラでリアルタイムで写し込まれる動画にタイムラグが生じ、それが流れのある映像と、奇怪なノイズが生む、はずだ。「ちゃんとつながるかな…」風間の頭にあるのはそれだけだった。
最初の出番は、沖縄を中心に、音楽で哲学の要素を伝える活動をしている紀々だった。彼女が普段かけつける現場は、企業や病院でのコミュニケーション活性化のための講演・研修、進路に悩む中高生向けの講演などの場所だ。学生時代に東洋哲学を学んでいた紀々は、永井を慕う人たちの前で、「何か意味のあることを伝えることができるかな…」と不安をこぼした。ミュージシャンとしての芸歴は、ゆうに20年は超える。しかし、「歌と言葉の響きを通して、哲学の余白を感じるひととき」というコンセプトのイベントで、自分が果たせる役割を思うと、迷いがあった。演奏曲の選択も、まだ決めかねていた。こんなコンセプトのイベントは、紀々にとっても初めてだったからだ。
ライブが始ると、紀々は、琉球舞踊で演奏される「かぎやで風」を幕開けの一曲として披露した。さらに、誰もが知っている「猫ふんじゃった」を壮大なクラッシックアレンジで弾き終わると、紀々のピアノは軽やかに弾み始めた。「ドードー巡り」では、永井を連弾の相手役に招いた。永井が「ド」の音でリズムを刻むと、ネガティブ・ポジティブ・演歌と、伴奏アレンジを変化させるパフォーマンスを届けた。続いて会場に手拍子を促し、永井の「ド」にパーカッション代わりの手拍子を加えながら、「ドドドでロックンロール」。会場の反応がわかってくると、紀々の音も伸びやかになっていった。「願いうた」、「あした転機になあれ!」と続けてオリジナル曲が演奏される頃には、紀々は心から笑っていた。どんなときでも、自分が作ってきた作品に、助けられ、導かれることを紀々は証明してみせた。
紀々は次に伴奏役になった。主役の永井が歌う出番だった。森田童子の「G線上にひとり」、尾崎豊の「僕が僕であるために」、The Blue Heartsの「終らない歌」の3曲を、永井は歌詞を噛み締めるように歌った。事前にメールで送られてきた選曲理由には、こう綴られていた。
「G線上にひとり」:私の偏愛する森田童子の精髄のような歌。精髄すぎてちょっと厳しいが。「ひとりはとてもいい気持ち」というところが好きです。ある時期の私の心の在り方に合っていて、たいへん懐かしい。
「僕が僕であるために」:もっと後のある時期はこれが一番ぴったりきた。とくに「勝ちつづけなきゃならない」という歌詞はある意味で謎めいていて、しかし私にはよく分かって、ここを歌うといつも誰にもわからないであろう共鳴感を感じて嬉しくなるので。
「終わらない歌」:こちらは私の倫理思想と共鳴します。また個人的に最も好きな個所は「馴れ合いは好きじゃないから…」のところで、私の中では「僕が僕であるために」と繋がっていまが、こちらの方が対外的な決意表明のような 感じがします。
観客に好評だったのは「僕が僕であるために」だった。この歌では一度だけ、「僕」が「君」に変わって、「君が君であるために 勝ち続けなきゃならない」となる箇所がある。ここに、永井のもとで学んだ学生たちに向けた、祈りが込められていたようだった。「誰にもわからないだろう共鳴感」を永井が歌うとき、それはそのまま祈りになり、その声は紀々のピアノが響かせる風にのって舞った。大学の講義で何時間も立ちっぱなしで話し続ける永井だが、二曲目が終ると椅子に腰掛けた。歌うためのエネルギーが「僕が僕であるために」という約3分の曲に注ぎ込まれたことが現れていた。
後半の部では、永井と風間による、哲学対話が始った。永井の最新刊『哲おじさんと学くん』 (日経プレミアシリーズ)の最終章を朗読すると、二人は、風間が学生時代に永井に向けて質問した問題について、議論を始めた。永井は、この時の風間の質問こそが唯一有効な批判であったとして、その内容を講談社現代新書50周年記念の小冊子エッセイのなかで紹介している。風間は、この内容に対して、少し誤解があると言おうとしていた。話を始めた風間は少し焦っていた。普段は絶叫ライブのために使っているマイクで、今日は自分の哲学の問題を静かにゆっくり語っているはずなのに、観客に自分が言おうとしていることが「伝わっている」感触がつかめなかったのだ。彼が実際何を語ったのかについては、改めて公開の機会を待ちたいが、風間はここで約20分にもわたり、本来の質問の意図を語った。
息つく暇もなく、風間はフィードバック・ノイズの準備に入った。観客が座っているテーブルに、14インチ白黒テレビが置かれ、そこから風間が操作する1台のテレビ画面に映し出される映像が届けられた。風間はこのライブの着想を得たとき、永井哲学の「開闢(かいびゃく)」のイメージに近く、「開闢によって開かれた世界の中に開闢そのものを位置付ける作業」として、これを是非今回やってみたいと言った。風間の操作するテレビモニターに映る映像は、カメラで撮影され、さらにそのカメラの信号がパソコンを経由してそのテレビに映し出される。ブォーォーンというノイズ音とともに、少しずつ、映像は歪み、回り、カメラとテレビの間に差しこまれる風間の指が映像の中でゆっくり現れては、ゆっくり消えていく。ライブ前の風間の言葉が、映像の中で溶けてかき回されて行くようだった。時間にして約5分、観客は風間が繰り出すフィードバック・ノイズに浸った。それは、切なく、少し怖く、美しく、覚めて欲しくない夢のようで、死ぬ前に見ると言われる「走馬灯のような」という形容が、しっくりくるような映像だった。
哲楽ライブは、こうして幕を閉じた。私たちが試みた哲学の形容は、やはり後にも先にも届かなかったかもしれない。現役哲学学生の恋人に哲学の営みを好意的に受け取ってもらえたのか、一抹の不安も残る。しかし、こうしてこの日、40名を超える人々がこの場に集った。「また明日も生きて行こうと思った」。ライブ後のTwitterには、そんな感想が流れた。
/文・田中さをり
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