手話で記憶を再現する方法

2022年8月18日

写真
根本和徳(ねもと・かずのり)
1993年、福島県生まれ。特別支援学校の教員として働く傍ら、SNSでお薦めの本について発信している。文章から心象風景を美しく再現する手話表現に定評がある。 Twitter: @Nemokazu0223
写真
久保沢 寛(くぼさわ・ゆたか)
1991年、東京都生まれ。日本大学で体育教育を学び、京都教育大学大学院修了。現在、大阪のNPOでろう乳幼児・児童にかかわる仕事をしている。手話でやりとりをするだけでなく、手話から考えるあそびも交えながら、子どもたちが手話を自然に獲得していく支援を楽しんで続けている。
写真
皆川 愛(みなかわ・あい)
1993年、東京都生まれ。看護師免許を取得した後、ろう者のための特別養護老人ホームでの勤務を経て、現在、米国ギャローデット大学を拠点にろう者の健康格差の研究や介入問題に取り組んでいる。また、同大学の修士課程で学んだろう者学に関わる哲学・思想史の蓄積を日本手話で発信している。YouTube: Ai Minakawa

 

根本和徳さんに誘われて、ご友人たちとの哲学対話の場にお邪魔したのは、この日が2回目だった。初回は「文字のない手話の特性」というテーマで、手話学習者である私の疑問を皆さんにお答え頂く贅沢な会……だった。この時、あろうことかオンライン会議ツールのZoomが音声言語話者を想定した発話者優先の初期設定になっていて、全員の映像が録画できず、記録を残せなかったのだ。自らの確認不足を悔やみながら、迎えた二ヶ月後の会。「記憶の再現方法と時間」というテーマを持参して臨んだ。

日米の時差を超えて、日本時間の日曜の夜、アメリカ時間の土曜の朝、私たちはパソコンの前に集まった。画面の向こうでは、根本和徳さん、久保沢寛(ゆたか)さん、皆川愛さんが「久しぶり!」と笑っている。同世代の3人は、学生時代からの知り合いで、最近になって読書会をしたり、議論を重ねたりするためにオンラインで集まるようになった。根本さんは福島で特別支援学校の教員をしていて、久保沢さんは大阪でろう児の手話の言語獲得を支援する仕事をしている。皆川さんはアメリカの大学でろう者の健康格差の問題に取り組む研究者だ。3人とも、ろうの両親の元に生まれ、手話のある環境で育ち、教育や医療の専門家として活躍している。

高度な議論についていけるのか、私は緊張していた。しかし、始まってみたら話題は徐々につながって大きく広がり、それぞれの生い立ちから、言語、ろう文化、教育、マイノリティの問題、手話から手話へ思索の話にまで至った。最初の話題が次の話題を呼んでは広がり、一つの花火が次の花火を生むように空間を埋め尽くした。設定したテーマからどんどん遠くに議論は進み、2つ前の話題が何だったのか、どこからこの話になったのか、その場では判断できないほどの目まぐるしさ。最終的に、録画を元に手話から日本語への翻訳が完了してようやく、つながりの全体像を見渡すことができた。

「記憶の再現方法と時間」というテーマの背景から少し振り返ってみよう。例えば、これまでの生い立ちについて30分のプレゼンを求められたなら、当日までにどんな準備をしたら良いだろう。私なら、生まれた年から書き出して、保育園に通っていた時、小学校に上がった時、中学校、高校、大学と、それぞれの年ごとに記憶に残っているエピソードを順番にノートに書き出すところから始めるかもしれない。幼少期の記憶は前後関係が曖昧だから、確実にいつのものか覚えている印象的な記憶だけを選でいくだろう。さらに、ノートに記したメモ書きを見ながらパソコンを開き、パワーポイントのスライドに配置して、当時の写真を使ったりして、見る人にも私の子ども時代を順番に追体験してもらえるように工夫し、当日は準備した資料を読み上げつつ補足するだろう……と思う。これは手話で考え、表現するときも同じなのかどうか。

手話という言語を大事にしてきた久保沢さん、根本さん、皆川さんの場合は、違っていた。前回と今回の対話で伺った話をまとめるとこうだ。頭の中の記憶は、映像記憶の断片が繋がって立体構造をなしている。それぞれの映像記憶はキーワードや場所や時間など様々な方法で検索できるから、必要なものを頭の中で思い浮かべて、これだけは説明しようという骨子を大体決めておく。そして、当日会場で説明するときには目の前の観衆の関心に合わせて話を展開する。詳しく話したいところは記憶映像を細かく手話で再現する。全体として、強調して説明する話題と、さらっと触れる程度の話題を織り混ぜながら、目の前の相手に届ける。

事前の準備については、久保沢さんは記憶を思い出して頭の中で配置するだけ。根本さんは手書きの円環構造のスケッチを残す。皆川さんは写真などを使ってパワーポイントに配置する。私と共通するのは、皆川さんがパワーポイントを使うということくらいで、他は頭の中の記憶、記憶の引き出し方、説明の仕方に至るまで異なっていた。まず、日本語話者の私との大きな違いは、「時系列順に説明する」ということが必須ではないということ。手話で考える3人は、空間上にトピックを配置し、時系列を行きつ戻りつしながら、相手の関心に合わせて記憶映像を再現しつつ説明するという。

そしてこの記憶の説明についての話題は、面白いほど拡散した。手話には手話としてわかりやすい説明の仕方があるのだけれど、皆、学校で効果的な伝え方の指導を受けたことはなかったという。出来事を時系列に沿って説明することは、日本語の作文指導を通して知ってはいる。けれど、自然な手話での説明とは違いもある。語の示す範囲、記憶、記憶を引き出す方法、その説明の仕方まで、よくよく考えたら手話の特性があり、その特性を生かした情報提示の仕方があるのかもしれない。

音声言語を基準にした世界観を日本語から手話にして理解してきた3人は、大人になった今、そこからさらに手話から手話への翻訳を通して、視覚的に自然でわかりやすい伝え方を模索している。複雑な内容をいかに簡潔でわかりやすく相手に伝えるか。効果的な情報提示のあり方を考える上で、「ろう文化」と言われてきたものの再考も必要だ。

社会の中での少数派であるろう者たちは、他のろう家庭での会話をお互いに見る機会が少ない。例えば、人生において重要な局面である、パートナーとのお付き合いや、結婚についても、お互いの家族にどんな言葉で伝えたら良いのか、ろう者同士でもよくわからないことが多いという。だからこそ、じっくり考えて対話できる時間は貴重だ。友人との雑談、親への大事な報告、本の読解、学術的な内容の説明まで、それぞれの持ち場で伝え方を確認しながら、久保沢さん、根本さん、皆川さんは、今日も考えている。事例を記憶に刻んで、対話して、その成果を残そうとしているのだ。

ここで、「ひょっとしたら」と日本語話者の私は思う。昨今、映像媒体の種類は増え続け、文字を記した本の読者は減少傾向だ。そうだ。ひょっとしたら、日本語話者の側からも、手話から日本語への理解を通して、より効果的な情報伝達の仕方を学ぶことができるのかもしれない。手話での哲学対話から広がる可能性は、日本語という音声言語話者の目の前にも広がっている。

 


2022年6月12日 対話

◎文・映像字幕制作 / 田中さをり

編集者、文筆家。広報の仕事に従事しながら、哲学や科学技術をテーマに執筆編集活動を行う。哲楽編集人。難聴者の兄と幼少期にホームサインを使っていたが、手話は大学時代に習い始めた。近著に『時間の解体新書――手話と産みの空間ではじめる』(明石書店)、インタビュー本に『哲学者に会いにゆこう』(ナカニシヤ出版)全2巻がある。  


 

 

自己紹介

 

(田中) 改めて第2回目の会を始めます。「手話で語る哲学対話の会」、3名のゲストをお迎えしております。ありがとうございます。

前回に引き続きですが、前回は手話と文字の関係についてお話ししました。今日のテーマは、過去に起きた出来事を思い出してそれを確認して、手話で再現する方法と時間の概念について対話してみたいと思います。よろしくお願いします。

改めて皆さんの自己紹介としてお仕事と今関心があることについて教えて頂けますでしょうか。

 

(根本)前と同じで良いってことですね。

 

【指差の位置と動画の配置の確認中…】

 

久保沢 寛さん

(久保沢)私は久保沢寛(くぼさわ・ゆたか)と申します。手話のあだ名は、こんな感じで着物を合わせる形です。

(田中)あだ名の由来は何でしょうか?

 

(久保沢)由来は発音の口形からですね。名前「ゆたか」と「ゆかた」。発音した時の口の形が似てますよね。それで広まったんですけど、最初見間違った人に「ゆかた?」って言われて。

 

(田中)可愛い見間違いですね!

 

(久保沢)それをきっかけに広まって。覚えやすいのでそのままで、よろしくお願いします。

 

(皆川)ちょっと質問していいですか? 名前の手話を表す時、左右の前合わせに決まりはありますか?

 

(久保沢)死人の方が良い?

 

(皆川)いや、それじゃ困るかなと(笑)

 

【全員本当はどうだったか確認中…本当は右が下のはず…】

浴衣の前合わせを確認中

(久保沢)僕は左利きだから自然とこう

 

(皆川)だからか、私は右利きだから逆になってまずい!

 

(久保沢)左が上になる方でお願いします。今まであまり気にしたことなかった…

 

(皆川)子どもたちにちゃんと教えないと(笑)

 

(久保沢)やりやすい方でも良いんですけど、やっぱりこっちかな。仕事については、今大阪にいて、子どもたちと一緒に遊びながら手話の言語獲得を自然に支援をしていくのと、聞こえない子をもつ親御さんに心配いらないよと、手話・補聴器・人工内耳の選択肢を提示して情報提供する、そういう場所が作られて、そこで毎日仕事をしています。

 

(田中)NPOでしたよね。

 

(久保沢)そうです、NPOです。

 

(田中)子どもさんたちは何人くらいいらっしゃるんですか。

 

(久保沢)ええっと、今は0歳〜小3までいて、いつも来てくれる子たちは、下から20、20、10で50人くらいですね。

 

(田中)50人!

 

(久保沢)そうです。0〜3歳児クラスが約20人。3〜6歳児クラスが20人、小1〜3クラスが10人。全体の割合がそんな感じで。確か小3の子どもたちがコロナ禍で数が減ってたんですけど、今みんな戻ってきていて、やっぱり小3までの間に何かあるのかなと想像してます。

 

これから分析予定なので想像ですけど、子どもの年齢が上がっていくに連れて心と体が発達していくなかで、気持ちの葛藤も増えてきて、子どもたちの数が以前のように戻っているのかなと思います。数としては全体で50人くらい来てくれています。仕事を始めて今年で5年目で、これから後5年は皆んなで続ける予定です。これだけ言っちゃうと職場も分っちゃいそうですけど…大阪で、子どもたちの場所で、ああ、あそこかって(笑)。

関心については、前もちょっと話しましたけど手話の言語発達についてで、日本語の評価とか発達の評価はあるんですけど、手話やろう者に即した発達の評価試験や分析手法がないので、今色々検討しながら調査を進めてます。

他は、観察してると、子どもの様子や動きには全部意味があって、子どもたちは意味もなく行動しているわけではなくて、その意味を探るのに、背景となる状況や親御さんの気持ちや子どもたち自身の気持ちそういったものを観察できる力をいかに伸ばせるか、自分だけじゃなくて他の皆にも必要な力なのでスタッフや親御さんたちにも望まれるので、皆んなで相談するだけなのか、どうやって伸ばしていけるかに関心があります。

 

(田中)一つ質問しても良いですか? 大学時代のご専門として教育や心理学の研究をされていらっしゃったんですか?

 

(久保沢)紆余曲折あるんですけど、学部4年は教育学部で専門は体育教育だったんですね。皆川さんと同じ学校で教育実習をして。僕の専門は体育だったんです。その後大学院に進学して、性教育の勉強をしました。というのも体育の範囲だと、アルコールやドラッグ、身体などについては詳しく説明できるんですが、性教育は教わってなくて、自分で教えられるのか不安があったんです。それでさらに2年、自分の研究と勉強を続けてました。

大学院に進学した時ちょうど乳幼児関係の現場に行く機会があって、それが新鮮で、乳幼児のテーマに関心が移ったんです。そこから今の仕事につながっています。

そこでたまたま乳幼児の専門家である代表にお会いして、心理専門の方なんですけど、その方が立ち上げた場所だったので、自然と心理関係の考え方も教わったんです。場所や状況と理論を照らしあわせて話してくれるので、知識が増えていった感じです。

 

(田中)元々の体育のご専門が今のお仕事に活かされていることはありますか?

 

(久保沢)うーん… 性教育の関係で言うと、やっぱり小さい頃から自分のことを大事にすることが性教育の前段階で必要だと、どの本にも書かれていて。

今現場の子どもたちの親御さんは聴者だから、聞こえないことをがっかりするんじゃなくて、ろうの子で全然良いんだって可愛がると、子どもも自己肯定感をもって成長していける。それが後々の性教育だけじゃなくて色々な教育の結果に影響するわけです。そこは専門とつながっていると思います。

 

体育の関係だと、身体の動かし方を小さい子にスムーズに教えられるのはつながってるかもしれません。

 

(田中)確かに体幹がぶれないから手話も見やすいです。

 

(皆川)体育の先生っぽい?

 

(田中)そうです、そうです。ありがとうございました。次は、根本さんですね、お願いします。

 

根本 和徳さん

(根本)はい、根本和徳です。手話のあだ名はなくて、「根本」って呼ばれてます。根本、根本、根本って。関東では珍しい苗字ですけど、東北の地元の福島は根本が多いんですね。だからいっぱいいるんですけど、関東だと自分だけだから、皆んな根本って呼びますね。

 

(根本)アイスが好きなんですけど

アイスクリーム

 

(田中)すみません、何ですか?

 

(根本)アイスクリームですね。この手話を文字って和徳の「か」の指文字にしてこういう手話のあだ名はあるんですけどもはや誰も使わない(笑)…もう根本でいいんです。

カイスクリーム

(田中)了解です(笑)

 

(根本)仕事は特別支援学校の教員で今8年目ですね、千葉で7年、福島で1年目です。こっちではピカピカの一年生ですけど合わせると教員歴8年です。

 

今、関心があるのは、手話を使って本の紹介をしていて。日本語の本を読んで手話に翻訳するのが趣味というか、自分の手話で日本語文を翻訳するとどうなるか試行錯誤するのを楽しんでやってます。他に、手話から手話への翻訳も考えていて、もっとみんなが見てわかりやすい手話について空間も含めて表現を洗練させるのが楽しくて関心を持ってやってます。

 

(田中)根本さんはTwitterでの人気が高まっていますよね。

 

(根本)今は本当にたまにしかできてないんですけど、読書の時間がなかなか取れなくて。

 

(田中)地元に引っ越しされて新しい環境に慣れるのに時間かかりますか?

 

(根本)そうですね、自分の時間を作る調整が必要で、前は自分の時間が取れてたんですけど、今はなかなか大変で。

 

(田中)この動画をご覧の皆さんも楽しみにされていらっしゃるかと。皆さん、もうちょっとお待ちくださいね。

 

(根本)私の話はこんなところで。

 

(田中)ありがとうございます。では、皆川さん、お願いします。

 

皆川 愛さん

(皆川)皆川愛と申します。みんなに「皆川」って呼ばれています。というのも東京出身なんですけど、関東のろうコミュニティでこの苗字は珍しくて。親はもちろん同じですけど、他にはあまりいないですね。もしかぶった場合は下の名前で……。

 

(根本)久保沢もそうだよね。みんな珍しい苗字なんだね。

 

(久保沢)青森はいるんだけどね。

 

(皆川)両親からは「愛」って呼ばれています。文字通り、「愛」の手話です。親しい友達も「愛」って呼んでくれますけど、それぞれですかね。でも大人になると上の名前で呼ばれることが増えました。職場とか正式な場所だと皆川なので、成長するに連れて「愛」って呼ばれなくなって寂しいから、たまに呼ばれると嬉しいです。

愛

(田中)今はアメリカにお住まいですよね。

 

(皆川)そうです。今こっちに来て4年になります。

 

(田中)アメリカ手話のサインネームはあるんでしょうか。

 

(皆川)そのまま「愛」を普及させてますね(笑)アメリカ手話(ASL)にはルールがあって、綴りが(アルファベット)4文字以下だと指文字を使う傾向があるんです。例えばこれは日本手話の「銀行」ですが、英語の綴りはBANKで4文字なので、ASLだと指文字で表します。

BANK-1BANK-2

例えば貯金するところとか説明せずに指文字だから、私の名前もAIで2文字なので自然に指文字で表されることがあるのですが、「いや、(日本手話の)愛を使ってください」と(笑)

 

でもこの手形はASLにはないから、みんな微妙にぎこちなくて。日本手話の「愛」は頭を撫でるイメージで。

 

(久保沢)宝石のイメージもありそう。

 

(皆川)そう、なんかこういう違いを発見するのが面白いです。すみません、名前の話で引きずって。今は、アメリカのギャローデット大学というろうの学生のための大学にいます。他にも全米各地にそういう大学はあるんですけど、一番大きな大学で。昨年、修士課程を修了してから引き続き仕事をしてます。ろう者の健康と医療に関する調査と、ろう者のニーズに沿った情報の発信をしています。

 

(田中)アメリカに渡る前はどんなご専門だったのでしょうか。

 

(皆川)大学の時の専門は看護で、聖路加国際大学で勉強して、就活したんですけど、病院の選考になかなか通らず、これではまずいと大学院を志して。

その時ちょうどろう者対象の老人ホームからお声がけ頂いて、日本全国にろう者の高齢者施設はあるんですけど関東にも一つあって、ろうの看護師はぜひ必要だってことで、週3日ほどそこに通勤してました。

大学院を修了後もしばらくそこでお仕事してました。その時たくさんのろう者に会いました。親と同じ50〜60代、上だと80代から100歳代の方もいて。今までそこまで上の世代とは交流したことがなかったんですけど、仕事を始めてから全国から集まる高齢者の方の手話に触れるようになりました。トイレの手話だけでもめちゃくちゃ種類があって。最初は全然分からなくて、段々慣れていって、ああ、そういうことかとわかるよになりました。

トイレの例ですけど、紐式の手話とか、拭き取る手話、手洗いの手話もあって。

 

(田中)地域によって表現が異なるんでしょうか。

 

(皆川)そうですね。時代もあると思います。今のトイレはレバー式ですが、昔は紐式だったりして。地域で異なる手話も確かにあります。

 

(田中)アメリカに渡られて今4年目でしたよね。

 

(皆川)そうです。もう5年近くですね。

 

(田中)日米で手話を使う環境なのは同じですけど、何か違いありますか?

 

(皆川)アメリカに来た当初はアメリカ手話の会話でわかるのが、10%くらいでした。元々手話環境にいたので、他の国に行っても手話で意思疎通できるという思いが少しあったのですが、実際に来てみたら、ちらほらわかる単語があるくらいであとはほとんど分からなくて、葛藤があったんですけど、その度に質問したりして。現地の人に助けてもらって、徐々に慣れて来ましたが、今もスムーズにできるというわけではなくて。

日本手話は当然全く問題ないんですけど、ASLの場合は表出できる量がまだ少ない感じです。読み取りも完全ではなく、文脈から意味を推測したりすることもありますね。

 

(田中)授業もASLで読み取って、勉強も必要ですよね。

 

(皆川)アメリカ手話を元々専門的にみっちり勉強したわけではなく、日本にいるときに単語レベルで教わった程度で、こっちに来てアメリカ手話の講義もあって受講しましたが、色々な人と交流して習得する方が早いとわかりました。

多分、幼少期から目で何でも認識する習慣があって、他言語の手話も目で理解していく方が自然なんでしょうね。

 

【全員一斉に質問したい!】

 

(根本)目で見て覚える点でいうと、文章を読んで日本語を覚えるのと、日本手話と異なるASLを読み取って覚えるのとでは何か違いがある?

 

(皆川)なるほど……

 

(根本)(A S Lと書記日本語とでは)母語とは言語として異なる点では同じで、相手を見るのと読むのとで違いがあるのかなって。

 

(皆川)日本語の文の場合は漢字も含めて小学校からずっと、ろう聴関係なく練習して、自然な習得というより言われて学んで身につけていく感じだよね。

それに漢字は一回見ただけで覚えられないから反復練習が必要で、「へん」と「つくり」を合わせて繰り返し練習して覚えるよね。

手話だと例えば手形で、左右異なる形を合わせるのは漢字と近くて、さっき言った「愛」の形も左手の拳を握る形はASLでは珍しい……

いや、「アイランド(島)」の手話はこれだから似たような手形の組み合わせはあるにはあるけど、右手の掌を広げて撫でる動きは珍しくて。それぞれの手話言語の中で多い手形は決まっていて、日本手話のバリエーションとの違いがある。それで日本手話にあまりない手形がこれ(薬指だけ折り曲げる手形)。病気の時の「sick」とか、聖書の「bible」とか、薬の「medicine」とかがこの手形で。

ASLの手形

病気で頭痛いという時の「sick」とか、聖書の「bible」とか、薬の「medicine」とかがこの手形で。

日本手話だとこういう手形はあまりないから抵抗があって、最初はぎこちなかったけれど、慣れてきたら多い手形として、私やあなたの指差しや、円形の動きも分かって、ああ、形の組み合わせなんだなと。漢字も組み合わせで練習を重ねて覚えられるところは同じかな……

 

(根本)同じなの!?

 

(皆川)似てるところはあるけど、手話は人と会って習得できるのに対して漢字は練習して覚えなくちゃというのは違うかな…

 

(根本)気持ちの上で違うよね。

 

(田中)漢字は対話では覚えられないですしね。

 

(皆川)そうです、大人にやらされるところがあるので。ASLの方が、それ何?って知りたいと思う気持ちで考えて、意味がわかって習得するのは楽しいですね。

 

(田中)久保沢さん、どうですか?

 

(久保沢)渡米してギャローデッドで受ける授業は、全てASLだったんだよね。それで90分の授業を受け続けるって厳しくない?

それでどこかのタイミングでわかるようになって、そのタイミングってどんな感じ?きっかけがあった?

 

(皆川)最初は本当に全くと言っていいほど分からず、英語も得意とは言えなかったけど、投影されたスライドの英語を読んで、わかる語彙や文脈からだんだん手話との対応が取れてきて、たまに口形から単語が分かったりして。慣れてきて、ほほ〜ってなってきたのが——「完璧分かった!」じゃなくて「ほほ〜」の段階だけど——、それが3週間くらいで。

 

(田中)たった3週間!?

 

(根本)予想以上に早い?

 

(田中)早いです、早いです。

 

(皆川)他のろう者もだいたい3週間から一ヶ月でわかるようになるらしく、でも厳密にいうと理解度は30〜40%かな、初めの10%に比べたらいい方。宿題の説明があっても、「えっ何?ちょっと待って!」となってたのから、だんだん授業内容の流れもわかって、今これからこのテーマだからと、話の概要がわかれば、そこで対応が取れてくるところもあるので。本当に徐々にですよね。3週間経つぐらいから楽しくなってきて、最初にぐっと理解度が伸びて、そのあとは伸び代があるのかないのか、現状維持ですね。

 

(田中)今はもう理解度100%なんですか?

 

(皆川)いやいや、まだまだで、10%から始まって、それが30になり、60で停滞して今は70%くらいですかね。

 

(根本)もしアメリカ育ちのろう者なら100%わかってる感じ?

 

(皆川)おそらく……。授業は座学以外にも、議論というか、みんなの前で発言したり、発表したりする時間もあって、これは割とゆっくりペースで表現されるけど、友人同士の会話は本当に読み取りが難しくて。会話にも呼ばれないから、全部の会話の集団に入ってついていけばわかるのかも……。長くなってすみません。

 

(田中)今、関心のあるテーマについてはいかがですか?

 

(皆川)この3人で続けている活動の話をしても大丈夫? 【久保沢と根本が頷く】 今、他の人が書いた英語論文の日本語の訳をさらに日本手話に翻訳してます。

長めの論文なのですが、約2、3分の手話で要約をまとめたくて。というのも、1時間手話で見続けるのも大変なので簡潔にする議論をしてます。最近は撮影も手軽にできるようになりました。以前は撮影機材の設営も大変でしたが、今はノートパソコンの前で手軽にできるようになって。手話の動画も珍しくなくなってきています。

手話動画を撮る時にいくつか注意事項があって、例えばさっきZoom上で指さしの配置を確認したように、指差し位置は大事です。対面だったら該当するものがお互いに認識でき、かつ3Dで表現できますが、動画は2Dだから、上下左右直角に指差す必要があります。前もっての確認作業が必要ですし、各自の立ち位置を決めても、撮影後の映像は左右が反転することもあり、左右の入れ替えを事前に考慮した準備が必要です。

空間としても前の方で手話をしても、対面なら上から見て上下と前後の関係が掴みやすいですけど、動画は違うので、表現も注意しないといけません。

それからフォーマル度の違いもあって、固い学術的な話から友達との雑談まで手話も幅があります。

それは日本語と同様で、でも、日本手話のフォーマル度合いの特徴を分析した研究がないのでそこは気になって興味があるところです。それが二点目の話で。

もう一つが、議論の構成の話で、聴者が要約する時は、流れの構成要素がいくつかあって、逆接や順接など文と文を繋ぐ接続詞を使いますよね。手話にも当然それはあるんですが、聴者が音声を聞いてわかりやすい順番と、ろう者が手話を見てわかりやすいと感じる議論の構成は同じなのか、違うのか。そうしたことに興味があって皆で議論しているところで。公表はまだできないですけど、そのプロセスも含めて楽しんでやってます。

 

(田中)超面白そう!期待してます。皆さんの自己紹介が面白すぎてあっという間の時間でした。

 

 

手話における文字的はたらき

 

改めてテーマについてですが、前回の対話では、文字と手話の話で、手話の中の文字的なものの話題になって。誰かと話している時、手話の表現が違って、相手のイメージを想像して、空間を使って対話を深めながら記号的表現が生まれるのは文字に近いのかも、という話がありました。

例えばデフ・バスケのプレー中、両肩と頭がブレないように指導があって、身体動作から指で表せる小さな記号ができるまでの話がすごく面白くて。指導の時は身体動作なんだけど段々変わって小さな表現になる、と。手話の表現がしやすいように言葉が変わるのが、文字に近いと言えるかも、そういう話題がとても興味深かったんです。

バスケの指導で使われた記号

(根本)この例を僕が出したのは覚えてるけど、文字に近いって点は感慨深い。みんなは覚えてる?

 

(皆川)前回私が退出した後の話題だと思う。

 

(田中)私の理解が合ってるといいんですけど……。

 

(根本)文字に近いのは確かにそうですね。

 

(田中)記号のように皆が見てわかりやすいものとして三角の表現ができると。他の例も、皆さんで読んだ本に出てきた概念をこんな鍵の形で表したとか、新しい表現ができるこの過程の話がとても面白かったんです。

 

記憶の引き出し方…久保沢さんの場合

 

その関係の話で、過去に起きたことの内容について全部覚えてないけれど、断片的な記憶から映像が再生されるように思い出せるという皆さんのお話があって、それがびっくりで。これは聴者にはないもの、音声で考えてありえないと思ったんです。だけど、前回の対話後に議事録を作るときに、皆さんが仰った通り、記憶映像が頭の中で再生されたんです。違いはというと、音声だと理解できた内容が記憶されるんですが、手話の場合は、理解が足りない曖昧な部分が残ったまま丸ごと映像で記憶できていたんです。

 

(根本)田中さんだけじゃない? 他の聴者はどうなんだろう。

 

(田中)手話の技術を鍛えるのと関係があるかもしれなくて、背景や表情や動き含めて記憶できるようになるのかなと。音声の場合は言語と関係ない、理解できない音は覚えるのが難しいので。

 

(田中)皆さんに改めて質問なのですが、もし30分の講演依頼が来て、過去の自分の育った環境や勉強の内容など話す必要がある場合、記憶を思い出すのに前日に何をするか教えていただけますか?

 

(久保沢)うーん。準備はあんまりしないかも。

 

(田中)それはすごい。準備不要ってことですよね。

 

(久保沢)というより、文や絵で書き留めるのが難しくて。それは止めて、目を瞑ってこれまで自分が成長してきた記憶を取り出して、動いている記憶を色々比較して、これ良いかも……というのを見つけたり、記憶の引き出しを引っ張り出したりして、自分の写真、小中高の学校の場所など、自然に出てくるのでそれぞれの引き出しの中身から良いのを選んでいくんです。

自然とある期間の時間の流れが見えて、自分の成長過程の場合は幼少期から高校・大学まで順番に眺める感じで。それで幼稚部の0歳から6歳頃の記憶を思い出してこれというものを選ぶんです。その前後の話は、当日の参加者を見てその場で言及するかどうか決めますね。

例えば0歳児を育てる親御さんが多い時は、その前後の記憶を詳しく話します。

とにかく覚えている範囲で細かく話して、その後の話は簡単にまとめます。相手が中高生の場合は同じようにその頃の経験を思い出して詳しく伝えます。相手に合わせて自分の記憶の一部をハイライトさせて伝える工夫をします。

 

(田中)その場で調整可能なんですね。

 

(久保沢)そうです。全体としては要所要所で内容は決めてはいるんです。相手が親御さんでもどんな年齢の人でも関係なく骨子はあって、どこを強調して話すかを参加者に合わせて自然に決められるので、それを手話で即興で説明します。だからいつもまとまりないかも。最終的にいつも違う感じになって、うまくまとまることもあれば、ぐだぐだになって終わることもあります。

 

(田中)記憶は映像としてあるんですか。

 

(久保沢)映像としても写真としても色々ありますね。

 

(田中)思い出すときは何か「0歳の時」とか、時間と記憶がリンクしてますか。

 

(久保沢)手話がキーワードになってるかも。例えば「口話教育」という表現にリンクして記憶の一覧が表示される感じで、自分の場合は口話はわかってもらえて楽しいイメージで葛藤はなくて、個人的な経験を話しつつ、葛藤を感じるろう者もいる話を補足します。

説明するときにトピックは色々あって、例えば親御さんは日本語の習得のために口話教育に関心があることが多くて、その場合は「日本語獲得」というキーワードで自分の記憶を探すんです。

記憶映像が出てくるんで……でも「日本語」がキーワードだと映像ではないかな。例えば小学校で「てにをは」の抜けに赤丸がついてる映像記憶があって、その作文の赤丸の話を記憶に基づいて説明します。他に、日本語と比べて手話の方が意味が取りやすい例で、「僕がカルタを探す」「カルタが僕を探す」を手話で表現した時に、日本語として合ってる?どうかな?みたいな言葉あそびをした記憶があって。手話でまず日本語の意味を自然に捉えた経験を話して、幼少期は手話が大事で、手話獲得の次に日本語があった経験をよく話します。

そんな感じで相手に応じたキーワードに基づいて説明しますね。高校の時は、勉強方法、野球、手話のできる家庭教師、大学の時は根本との出会いとか、色々記憶を並べておいて、準備段階で並べた中からその場で選んで取り上げるんですけど、その場では記憶映像を早送りして探して説明する感じです。

 

記憶の引き出し方…根本さんの場合

 

(田中)なるほど… 根本さんはいかがですか?

 

(田中の指差し不明確で混乱中)

 

 (根本)ええっと、僕も久保沢が言ったのと近いです。手話での記憶は丸く点在していて、文字だと縦か横ですけど、手話の記憶は僕の場合そういう風に並んでなくて点在してるんです。

話す時も同じで、点在する記憶をもっと目の前に小さく凝縮させて、イメージとしては丸なんですよね、縦書きや横書きじゃなくて。

だから記録として残したい場合は絵として紙にスケッチするんですけど縦書きや横書きじゃなくてバラバラのメモですかね、聴者の言葉で言えば。でも記録としてそのままで良くて、敢えてきちんと縦書き横書きにしない。

 

(田中)順番もない感じですか?

 

(根本)ああ、順番がある場合は手話、手話で順序立てて話す感じです。手で出来事の順番をスムーズに表現できるからそれでOKなこともあります。

二人も同じじゃないかと思いますけど、手話だと流れが途切れるのが不自然な場合があるので、より良い表現として順番を手話で表していく感じです。

 

(田中)絵みたいに並べてる時は、時間的な順序はわかるんですか?

 

(根本)繰り返すのはできて、相手の顔を見て伝わらなかった!となれば同じ方向を見てさっきのアレねと、順番が伝わらなかったときは確認してそこだけ今と繋げて補足はできますね、順序が時系列に沿ってなくても。

 

(田中)空間を使って行き来できるんですね……。でも真後ろの空間は無理、かな……。

 

(根本)後ろ側もできますよ。

 

(久保沢)過去の話は大体利き手の上側じゃない? 奥じゃなくて。

過去の空間

(根本)利き手の上のちょっと奥かな? 真後ろだと見えないし。

 

(皆川)馬みたいに視野がすごい広角な人じゃないと(笑)

広角な人

(根本)限界はある(笑)ここら辺(利き手側の頭の近く)まで!

限界はある

(田中)過去の出来事の表現はこの辺なんですね。

過去の出来事の場所

(根本)そうですね。相手の表情で理解できているか確認は必要ですね。

流れが伝わっていれば次に行けますし、駄目そうならもう一回説明して、さっきの流れを再現する感じです。

相手の理解に合わせて話の再現が必要か判断するので、前もって書き下しておく必要はなくて、スケッチを元に話を展開しますね。本の紹介の時も同じように手話で表現してます。

 

(田中)記憶の内容に時間的な順序はありますか?

 

(根本)ないですけど、同じ話をしている時間は全く同じになるのが不思議で。話している時の大体の時間感覚はあって、(収録用の)表現で何度かやると3分とか、3分10秒、2分50秒に収まる。理由はわからないんですけど。

 

記憶の引き出し方…皆川さんの場合

 

(田中)皆川さんはいかがですか?

 

(皆川)記憶を引き出すのと、説明する作業はそれぞれ独立した感じで……。思い出すためのきっかけになる何かは必要で、絵・写真・文字とかですけど、言葉を鍵にして記憶から引き出してくることもあります。

それを膨らましていくんですけど、話す時も同じで、何か鍵になるものから記憶を遡って、みんなに見えていない自分の記憶をどんな角度で見せたら、どんな素材を使ったら伝わるかを考えつつ、色々援用しながら形にするんです。

記憶をその場で思い出すためには自分の中でルールみたいなのがあって。文字として全部覚えているわけじゃなくて、短い単語、絵、写真、動画などを準備しておけば記憶を思い出すことはできると思います。

 

(田中)言葉の場合は例えばどんな感じですか?

 

(皆川)そうですよね、うーん、例えば「小学校」だと範囲が広くて絞れないから、「口話」というキーワードだと0歳から小学生頃までの記憶があって、その中から一定の期間だけ取り出します。

それで説明しながら関係する別の記憶も援用して、一緒に説明しつつも、その出来事と出来事の間にある記憶は、関係ないので省く感じですね。

 

(田中)0、1、2歳みたいに時系列に沿って順番に記憶されているんですか?

 

(皆川)ぴったり順番通りというより飛び飛びですね。それをつなげる感じです。私の場合は、場所と何かの記憶が繋がっていて、例えば小学校の場所だと、うんていで遊んでいる記憶があって、聴者の友達に呼ばれても聞こえず、そのまま遊んでいるという出来事があるのですが、場所や風景から思い出される感じですかね。

 

(田中)場所と記憶がリンクしてるんですね。時間ではない?

 

(皆川)時間の場合もありますね、でも場所から想起されることも多くて。また、誰かと会話している時にその人とのやりとりから過去の出来事を思い出すこともあります。

 

(根本)場所と時間とのリンクが大きいかもしれないですね。相手がいるから、前もって時間通りに細かく決めても、その場で観衆からの質問があれば決めた通りには話せないから…伝わってるかな? 20分の内容を決めても沢山質問がくれば延びてしまうのでポイントだけ決めて、対話の中で膨らませていくことを講演時間に合わせて構成していく感じだと思います。

 

記憶の中の時間

 

(田中)私が不思議なのは、記憶に映像があるというのはわかるんですけど、皆さん点在する記憶に何歳の時なのかがリンクしているように思えるんです。

 

(根本)説明する時の時間じゃなくて、記憶の中の時間ってことですね。

 

(田中)そうです、そうです。

 

(皆川)図書館の本を検索する時検索方法って好きなものが選べますよね。本のタイトルから選ぶ場合はアイウエオ順で出てきますし、他に検索方法あったっけ?

 

(久保沢)本の番号もあるよね。

 

(皆川)そう、番号もあって、番号順で選べたり、色々な検索方法があって。記憶の場合も、時間順とか、場所順とか、一緒にいた相手順とかがあって、母親は一緒にいた時間が長いから結構いっぱいあるから、その中で例えば場所の「駅」を特定すると絞られるんです。

両親といた記憶の全体から場所で絞る両親といた記憶の全体から場所で絞る

(田中)なるほど!

 

(皆川)年齢「小一」だとまた絞られて。

 

(田中)この記憶は小一のだ!ってわかるんですか?

 

(久保沢)だいたいわかるかな……。

 

(根本)後になってわかるよね。

 

(皆川)そう、年齢がわかるのは最後で、先に誰といたか、場所はどこかで思い出せて、小一くらいの年齢だったら最後にわかる感じですね。

 

(根本)久保沢の場合は以前、日付ごとに覚えているみたいな話あったよね。

 

(久保沢)自分中心の経験として記憶されているかもしれない。場所だと、例えば入院した記憶があって、自分の体が調子悪くて、紫の斑点があって、体もむくんで、幼稚部の時だって基本は最後にわかるかな。今言われたような時系列順はあまりないかも。

場所や人なんかのネットワークになっていて、小中は同じ経験でつながって、「口話教育」だと中学までの発声訓練をした小中の場所の記憶があります。幼稚部と小学校の時は学校が終わった後に教室で先生と向かい合って座ってる場所の記憶がはっきりいくつかあって、繋がってるから説明の時に幼稚部だけとか取捨選択しますね。

記憶自体は時系列というより奥行きもある立体構造になってて、そこでそれぞれの記憶がリンクしている形が時間って感じで。根本の言う「丸」と近くて、3Dになってて、前後や未来過去は不明のまま、こんな感じで立体になってます。後から、ああこれは過去の話だって順番に説明する感じですね

記憶の立体

(田中)皆さん場所のイメージが強いのは共通してるんですかね。

 

説明のための記憶の並べ方

 

(根本)音声の場合は、「小一の時」って先に言う必要がありますか?

 

(田中)(幼少期に)見聞きした記憶については時間的な順序が曖昧なんですけど……。

 

(根本)自分の生い立ちを説明する時は「小一の時」っていう必要ありますか?

 

(田中)それはそうですね。「低学年の時」とか、「高学年の時」とかは最初に言う必要があって。記憶自体は特定の時間の記憶はあるんですけど、小さい時はそれぞれの記憶がいつのものかは結構曖昧ですね。

皆さんは視覚で世界を認識しておられるから、場所とまず紐づけられていて、いつだと考えると、小一や幼稚部だとわかる。これはおそらく聴者には難しいかもしれません。

 

(皆川)でも、私も大勢の人前で説明する時は時系列に沿って話すかも。その方が伝わるので。大勢の観衆がいない時は時間にとらわれずに話しますね。記憶自体は立体構造だけど、説明する時そのままだと見えないから、空間から取り出した記憶を時系列順に並べて、表現の技術としてわかりやすくしようと思うと、やっぱり歴史的な時間順序に縛られますよね、本当はもっと自由で良いんですけど。

 

聴者のやり方を見て、時間順に話すんだと思って自分も取り入れがちですけど、説明の流れとしてはもっと自由に自然に任せても良いのかもしれません。

 

(根本)僕も時間的順序についてはもっとゆるく表現しますね。いつの話か明示して順番に話すか、自然な手話表現にするかの判断は、3人で翻訳してる時も結構難しくて。

 

(久保沢)バランスが難しいよね。

 

(根本)対話相手がいたら自然な対話ができるけど、いないと翻訳する内容を考えて時系列に沿った説明が必要ですよね。

全員にきっちりというより、だいたいの人に伝わる表現を考えるとそうなります。相手がいる場合はもっとゆるく行き来した対話ができます。そっちの方が今までの生活で使ってる手話に近いんですよね。

表現していて心地が良いんですけど、日本語からの翻訳の場合は相手が見えないから、一方通行の表現になるので、神経を尖らせて順番を間違えないようにします。結構疲れますよね。

 

(田中)(時系列順の説明は)手話の本来の表現とは違うということですか?

 

(根本)そうですね、日常会話の手話とは違いますよね。学習レベルと言っていいかわからないですけど、手話の動きは異なります。

 

(久保沢)会話と説明はスタイルが違いますよね。

 

(皆川)これは私の推測ですけど、聴者は日本語の会話があった上で小学校で作文で文章を書く時に、時系列に沿うように練習して、そのスキルを習得しますよね。手話の場合は、そういう表現の練習の積み重ねがなくて、聾学校でも手話表現の正式な語りの練習をすることはほぼないから、今3人で相談してる状態で。

 

(根本)遅ればせながら、だよね。

 

(皆川)でもそこをしっかりやっておけば次世代も後に続けると思う。

 

(田中)聾学校の中で作文を書いて発表する時の手話は……?

 

(久保沢)声出して手話しましたよね、覚えてます。

 

(田中)学校では時系列に沿った説明が求められるんですか?

 

(久保沢)形式がもう決まっていて、日本語に手話を対応させるんです。

 

(根本)作文のまんま声を出して手話をつけるわけです。

 

(久保沢)「10月4日、今日は運動会が楽しかったです。楽しかったのは…」

みたいな感じで今見るとうわ〜って感じで。

 

(田中)それは皆さんのいつもの手話ではないですね…。

 

(皆川)前もって書いた通りの順番で発表しないといけなくて、その場では補足ができなくて。多分駄目だよね?

 

(根本)暗黙のルールがあるよね。相手の目を見て話を膨らませたりするのはダメっていう雰囲気で。

 

(根本)終わったらみんなに拍手されたりしてね。

 

(久保沢)わかってもわからなくても、とりあえず真顔で拍手!だよね。

 

(田中)線上的な説明なんですね。それは音声教育の影響がありそう。

 

(皆川)形式通りに前から順番にきっちりさせられましたけど、大人になってから手話で講演する時は大体の項目だけ決めて、相手が見辛かったら角度を変えて膨らませて話しつつ、説明不要なところは省いて。だからどこを強調するかはその場で流れを判断するんですね。

 

(久保沢)一個だけ話して終わることもあるしね。

 

(皆川)そう、時間切れでね。

 

(久保沢)二つの話題は話したけど、話そびれた話題に途中で気付いて、

これ言っとかないと駄目だった!って慌てて話してる間に時間切れ。

 

(根本)今の話で思いついたんですけど、聴者の場合は作文してそのまま読み上げますよね。手話だと作文を手話で表すとどうなるかやってみた上で、もう一回手話への翻訳が必要になるように思います。作文と同じように頭で表現してみて、それをさらに手話にするのが翻訳です。まさに「翻訳」に近くて、皆に伝わるように表現を工夫して神経を尖らせるのは、もしかしたら作文を読む時の声の抑揚を含めた表現力に似てるかもしれませんね。

作文コンクールの発表みたいに、手話の場合も表現を洗練させるのは同じで、わかりやすい手話の表現は何か議論して良くしていくのはやりたかったですね。

小中高の聴者の先生はその方法がわからないし、自分も深め方がわからなくて言われる通りにやってきたんですよね。今3人で議論が始められて積み重なってきていて、すごく楽しんでます。

 

(久保沢)本当にやっとだよね。聾学校の先生もわからないと思う。ろう者の先生で指導できるとすれば私立の東京の学校だけかもしれないね。手話から手話に翻訳した表現なら、聴者にも意味が何となく伝わると思う。

きっちり意味がわからなくても。(手話から手話への)翻訳は誰が見ても伝わるように考えるから、ろう者の「日本手話」とはちょっと違うかもしれなくて、日本手話は形が決まってて、こっちは誰が見ても伝わるように考えた手話だから。ここら辺についてはまた今後みんなで対話してみたいです。

 

相手が知りたい情報を先に伝える

 

(皆川)ちょっとずれてるかもしれませんが、研究協力のお願いの文書で、研究目的、日程、謝金、依頼事項と形式は日本語で決まってますよね。

ろう者の協力者に手話で説明すると、まずは謝金がおいくらかと聞かれます(笑)次に拘束時間の確認で、2週間、1週間、1ヶ月?と聞かれたら、一番知りたい情報のお金で最初に合意してから目的について説明します。それでOK!となったりして。

聴者の場合は形式通り一通り説明が必要で、お金から入ったらちょっと失礼になってしまうと思うんですけど、ろう者の場合は例えばこちらも2千円でお願い、みたいにそれも本当は形式通りじゃなくて失礼なんでしょうけど、相手に応じて知りたい情報から先に伝えるので、手話だから順番は自由というわけではないのですが、相手の知りたい順に説明するという意味で柔軟にできると思います。

 

(久保沢)お金の情報が先なのは、社会性の問題なのか、ろう者だからかは、難しいところですよね。「ろう文化だから」と言われるとちょっと違って。聴者に合わせた社会性ではなくろう社会のマナーとしてお金の情報が先ですと言われると、「うーん、そうですか……」となりますけど、そこはこれから作られていくと思いますね。聴者社会の文書の書き方があって、そのままろう社会で使えるのか、お金の情報をやっぱり先にした方がいいのかそれだと失礼になるのか、皆で今後議論していかないといけないと思います。

 

(田中)聴者としてもそれは知りたいですね

 

(久保沢)研究の話ですからね。

 

(根本)1、2、3という順序のある段落番号ではなく、「・」記号の箇条書きで、お金が先になったとしても、他の情報は全体として続けて書いてよくて、まずお金の情報が先に気になるだけでマナーというのとも違うかも。聴者が数字の順序がある段落番号に対して、こっちは特に順番のない箇条書きです。

 

(田中)空間を使う箇条書きですね。

 

(根本)そうそう順序関係なく。

 

(久保沢)研究チーム内で何か文書を作るときも、「・」記号の箇条書きですね。聴者社会は数字の段落番号が大事にされるけど、僕もそれはあまり使わなくて箇条書きが多いから、情報としては対応してるけど順序の制限はない感じです。行頭に番号が必要といわれると、何のために?と思ってしまう。

ただ、それがマナーと言われると意味がわからなくて、段落番号と箇条書きの違いは何だと気になります。音声で説明する場合は、1番、2番とする方が頭に残るんでしょうけど、ろう者の場合は、そのまま手話になるわけじゃなくて5本の指を使います。

5本指で箇条書き

(根本)確かに5本指で示す場合は数字つけないもんね、今気づいた!

 

(皆川)順番の入れ替えも自由だし。

 

(久保沢)5本指を使う表現が箇条書きに対応してるんですね。皆川が言うようにこの表現だと順序の入れ替えも自由にできますし、書くときに箇条書きを選ぶのもろうの言語思考からきてると思うと納得。

 

(根本)情報提示のマナーは本当に議論が必要だけど、まだやったことないね。

 

(久保沢)これを「ろう文化といいます、以上」じゃなくて、例えば、聴者社会はこう、英語の場合はこう、ではろう者社会はどうなのかそういった議論はしてみたいですね。

 

非手指動作で伝える意味

 

(皆川)一般にろう文化を説明するものとして、よくある話で言うと、例えば誰かに告白されたとき、お断りする意味で表情込みで「友達でいましょう…」と言うと、ろう者がこの先の発展が期待できると思う場合があって。ろう文化では、日本語でいうような「友達でいましょう」という表現はないのかとなると、そうではなくて、ちゃんと手話でも表現はできるんですね。

 

日本語の表現に対応して、手話の言語情報に置き換えるわけではなくて、非手指動作つきで(眉をひそめたり、身体を縮こませて)「申し訳ないけどお付き合いはできない」と表現が同等になると思うのですが、この非手指動作が日本語訳として対応する語が見つからず、聴者から見たらニュアンスが損なわれるのかなと思うのです。

手話にも「友達でいましょう」に対応する表現があるんですけど、そのことを知らないと日本語として意味が取れないから、「ろう者は失礼でありえない」みたいな話になっちゃって。

 

(田中)意味を伝える表情の違いははっきりありますよね。

 

(皆川)ろう者でもマナーはあって、非手指動作つきで(眉を上げて、身体を真正面に向けて)「付き合えない、ごめん」と言うのは失礼ですし。

 

(久保沢)本当? 嫌いだったらはっきり「無理」って言わない?

 

(皆川)表現としてははっきり言うこともできるよ、けど婉曲表現もあるから。バリエーションがあるのに、音声に置き換え可能な表現だけが認識されて、婉曲表現について聴者にわかるような説明がないから、あった方がいいのか、そこまでやると皆の負担が増えるかな?

 

(久保沢)ろう者でも同じかも。聴者視点で婉曲表現はないと思い込んで、説明すると、「本当だ!手話にもあるね」ってなるんだけど。

「友達で」、「また会う」、「もう会わない」のパターンでを聞くと、やっぱりあって、「ごめん他に付き合ってる人が…」とか、付き合うには早い場合は「ちょっと待って…」みたいなのとか、「もう会えない」もあるし、微妙な表現のバリエーションはあるから、まずろう者が表現の幅があることを理解しておく必要があるよね。

 

ドラマの台詞は参考にならない

 

(皆川)もう一つ、笑える話ですけど、両親に結婚の意思を伝えるために、正装して二人で会いに行ったんですけど、ドラマで同じようなシーンは見てて、「結婚を前提に付き合ってます」みたいな日本語表現は知ってるんですけど、手話の場合は各家庭で閉じられてて、表現を知る機会がなくて。

それで、夫が何と言ったかというと「愛さんとの結婚を考えてる」と。父は「つまり、どういうことだ……結婚したい?今後予定がなくなる可能性もある? いつ? 一体どういう意味だ」となっちゃって。ろうの世界もマナーはあるけど、見る機会がないとわからなくて。

 

(田中)手話だとどういう表現が正しいんですか?

 

(根本)いろいろあるよね。

 

(久保沢)日本語力が高いろう者は「結婚を考えてます」で伝わるだろうけど、僕らの親世代のろう者ならそれだと「どういうこと?」ってなるだろうね。

 

(皆川)私なら「結婚したい」と言いますね。

 

(根本)僕も同じく。

 

(久保沢)結婚の意思を伝えに挨拶に行く時点ですぐおめでとう!となるから、親に質問されたことを話すだけで、結婚自体には触れないと思う。以前、将来結婚したい人がいるから連れてきていいかって親に言ったら、「結婚!? いつ連れてくるの」と。それで予定を合わせて相手を連れて来て、でも結婚そのものについては話さなかったかも。

 

(根本)結婚を考えている場合「今・準備」と手話で伝えたら、間近だと伝わるかも。もし結婚を考えていることを言うならですけど、補足が必要ですね。貯金したりして準備中だと伝えたら、あら、もう実現間近なのってわかるかも。流れの説明は必要ですよね、単語一言で言うのではなくて。

 

(田中)結婚準備中の皆様、お相手のご両親がろう者の場合は予めご相談ください(笑)

 

(久保沢)お付き合いの段階からその後の結婚生活のテーマで講演の機会はないですしね。先日聴者の皆んなに対して結婚に関する講演をして、初めて結婚するまでの流れを知って。そうだったんだと。手話で説明するのが慣れてないから恥ずかしくて。

 

 

言語と記憶

 

(田中)なるほど…最初のテーマからだいぶ遠くまで来ましたね。

 

(久保沢)結婚生活の話まで(笑)

 

(田中)元々の質問の趣旨はですね、今、手話表現として広くわかりやすい方法を皆さんで相談中だと思いますが、自然な手話表現として、記憶の内容を整理する仕方が決まっているのかなと思ったんです。

 

例えば、手話では空間・表情・動きの情報が言語表現に必要だから、記憶する時も言語表現に必要な情報が整理されているのかなと。

関連する話で、『言語が違えば世界も違って見えるわけ』という本があってこの本ですが……。

 

言語が違えば、世界も違って見えるわけ

(根本)小さい表紙の厚い本ですね、時間なくて読むの諦めたやつだ。

 

(田中)そうです。海外の少数言語話者の話が面白いんですけど彼らは左右を区別する語彙がない代わりに、東西南北を使うんですね。

だから記憶の中にも必ず方位の情報が含まれていて、記憶を説明する時もあの時は北に向かっていたと説明できるんです。言語表現方法と記憶の内容(整理)に関連があるという話です。

この本によると言語間の違いは何かというと、「言語が話し手にどんな情報を表現することを強いるのか」ということで、記憶も言語表現の秩序と同じように整理されることもあるようなんです。

音声言語で考えると、書き言葉は特に時系列に沿って書いたり説明したりする決まりがあるから、記憶自体もいつの記憶か時系列をはっきりさせないといけない。

でも手話の場合は時系列に沿った表現はそこまで必要なくて、空間を使って時系列とは独立に表現できますよね。皆川さんが仰ったように、記憶の検索方法も多様でキーワード検索や時間や場所ごとの検索もできて、記憶を自由に引き出すことができる。そこは多分、音声言語とは違っていて、すごく面白いなと思ったんです。

 

(根本)えっと、本の話と皆川が言った内容の関係がちょっとわからなかったです。

 

(皆川)例えば雪の表現だと、日本では粉雪、雪、吹雪とかあって、雪の降り方は多様だけど日本語としてはせいぜい3つくらいしかなくて、他にも種類があるかわからないけど、東京で育った私が思い浮かぶ雪を描写する語彙はせいぜい3つくらいで、降りはじめの粉雪、普通の雪、大雪くらいで現象としてはそれ以上あっても3つに区分される。北の国だと雪を表現する言葉の種類がもっとたくさんあって、つまり、自分の言語世界の言語に応じて、雪の多様な描写をより実態に近い言葉で表現できる、と。

 

(根本)多様な種類を記憶するってことね。

 

(皆川)そう。東京にいたら3つの種類だけ。説明が合ってるといいんですけど。

 

(根本)あと順番の話がよくわからなかったんですけど。

 

(久保沢)田中さんが言ったのは日本語としてのルールの話で、日本語は時系列に沿って説明することが必要で、記憶を思い出す時も、あれはいつの記憶だっけと「いつ」の制約がある感じ。一方で、手話での僕らの対話を聞くと記憶を時系列に並べる縛りがない。

例えば、もし手話を日本語的に表すなら幼稚部の記憶、小学校の記憶、中学の記憶、高校の記憶と順番に一列に並べて表現するはずだけど、僕らの手話表現だと空間上に記憶のまとまりを自由に配置できて、時系列順に説明する必要もなくて、時間から自由だから、手話と日本語の異なる点として田中さんが感銘を受けたってこと。

幼稚部の時はここ小学校の時はここ

(田中)私の説明を正確に手話翻訳して下さってありがとうございます!!

 

(根本)なるほど…何か今新しいものがむくむく構築されている感じがしますね。

 

(皆川)つまり、言語には現象を凝縮して表す範囲があって、北の地域の言語は雪を表す語彙が多様にあって……手話も多様にできるんだけど……ちょっとうまく説明できないので、結論はお任せします。

 

(田中)いやでも本当にその通りで、この本も「色」の話から始まってるんです。色の語彙が多い場合は、色の記憶も同じように多くて、語彙が少ない場合は同じように記憶される色も少なくなるのでは?という話なんです。言語によって世界の見え方が違っていて、それによって記憶の仕方も違うのでは?と。

 

(皆川)音声で聞くのと手話で見るのでは「雪」が表している範囲がお互いわからず、ある程度の範囲があるけど、想像にお任せになって、手話だと説明すればこの程度は「雪」で良いんだってわかるけど、言語も多様だから、手話と音声だけでも違いがあると思います。

【一同考え込む】

一同考え込む

 

手話から手話へ

 

(根本)うーん、まだよく考えがまとまってないんですけど、今までの社会的・歴史的な流れとして、音声言語の流れの蓄積が表立ってある感じがするんです。

そこから手話に翻訳していくと、手話そのものとしては今までにない手話が生じる感じがするんです。

つまり、手話の歴史の蓄積の中にはない、新しく作られていないような、今まさに目の前で表現できたものが今までにない感じに思えるんです。日本語でも(翻訳の過程で)そういうことはあるのかもしれないですけど。

歴史の蓄積というか……経験を超えたような表現が突然目の前でできるようなそれが正しいのかどうかもちょっとわからないくらいで。そういう現象が結構あるんですよね。

 

(田中)だから根本さんの手話翻訳は人気があるんですよ、きっと。

 

(久保沢)実際そうだよね。

 

(根本)自分ではわからないですけど。

 

(皆川)今までろう者がたちの議論はぽつぽつあるんでしょうけれど、存在自体知らなくて見過ごしていたり、映像として見る機会がなかったりして、日本語の場合は文章として記録されるのでそれが蓄積になって確認できるんですけど、ろう者の場合はまだ蓄積が浅くて。

だからろう者同士の交流は本当に必要で、その議論の状況を映像で見られたらすごく良い機会になりますよね。新しいアイディアの表現ができたらみんなに見てもらって普及もできます。

日本語の場合、例えば有名な辞書「広辞苑」は収録語彙が確か60万。一方で手話辞典の方は2〜3000程度の収録数なんですね。手話がそれほど少ないわけではなくて、実社会にはもっとあるんですけど、日本語として対応が取れたものだけが載っているんだと思うんです。

手話としてはあっても日本語に対応する表現がないと載らないわけです。つまり、この大きな差は、日本語との対応可能性が反映されているだけで、実際に存在するのにそれが見過ごされているケースがあるんですね。

我々3人で議論して発見した表現を動画で見てもらって、良いものは取り入れてもらえたら普及につながるかなと思います。

 

(田中)先ほど少しお話がありましたけど、英語の論文を読んで日本語訳をもとに、さらに手話翻訳されるんですよね。これは本当にすごく良いですよね。

 

手話で名前を作る

 

(久保沢)これは職場での話ですけど、子どもたちと一緒に今やってるのが、歴代のウルトラマンの手話を作ってみたんです。見た目の特徴を活かした手話の名前が色々できてて、写真を見て相談して決めるんですけど、遊びの要素を使いたいんですよね。全部カタカナだからウルトラマン、ゼロ、ティガ…と指文字で表すと難しくて、子どもたちに自分で手話で考えごらんって伝えて。

目の特徴、体の模様、筋肉、ポーズからできるんですね。その場所でだけ通じる手話としてみんなで相談しながら色々できてきて、その遊びが想像以上に人気で。これまでの一年の思い出を聞いたらこの名前作りの遊びだって言うからびっくりして。正直失敗だったと思ってて、話し合う時は齟齬もあったから、楽しんでたのがわかって驚きだったんです。

日本語とは別に手話の名前を作れるのが子どもたちには新鮮だったみたいです。先日も、手話のあだ名がない友達に作って欲しいと言ってきた子どもに「自分で作りな」って、手話のあだ名は普通あるものだって伝えたら、少しずつできてきて、手話から考えることが徐々に始まってる感じがして今嬉しくて待ってるところなんです。

 

(田中)手話の言語力を伸ばす最初のすごく良い練習になるでしょうね。

 

(久保沢)でも女の子たちのプリキュアになると限界もあって、全部同じに見えちゃうから、色もほぼ同じだからどうしたものやら。

 

(根本)赤、濃い赤、淡い赤とかで区別は無理かな……(笑)

 

(久保沢)ウルトラマンは手話がたくさんできてきたのに、プリキュアは色の区別だけってなんか寂しくて、これから髪型とか見て相談して作ってくところなんですけど。他にも花や鳥の名前も細かく日本語や英語ではあって、手話でも教えられるろう者はいるかもしれないけど、今は自分も含めてわからないから、子どもたちと相談して花の特徴を見て色々取り入れながら表現してるところなんです。

 

(田中)日本語名がわからない花の名前も手話で作ることができそうですよね。

 

(久保沢)日本語名がちゃんとあるものも手話では「花」で終わるんですよね。そうじゃなくて花の特徴を掴んで手話表現できるんだよっていうんですけど。皆やらないというか、花に興味がなくて同じになっちゃって。黒色の花とか本当は色々あるから、手話で考えることで細かく観察する力を伸ばしていけるんじゃないかと思います。

 

手話で専門用語を作る

 

(皆川)私も以前老人ホームで働いていた時に、薬の数が本当に膨大で。飲み薬、塗り薬、点滴、注射がある中で、それぞれに名前がついていて、基本的にカタカナで覚えてますけど、手話だと指文字になると時間がかかりすぎるんですね。飲み薬が一番種類が多いのですが、手話で「飲み薬1の〇〇(名前の冒頭を指文字で)」を表すと、飲み薬の中で特定の薬にすぐに絞られるので、通じます。

 

「点滴の…」と言うと相手も、患者の状態を知っているから、薬の名前を言わなくても、どの点滴かわかったりするなど、その場所で通じる手話を皆んなで自然と構築していく感じでした。ひとつひとつ日本語にぴったり対応させるのは無理というか。同じ名前でも点滴か飲み薬かと形態が異なる場合があるので、聴者だと今使ってる分から推察してこっちだろうと判断するところを、手話だと最初に点滴だと表現から直接的にわかるわけです。

手話の場合と日本語の場合で両方やり方があって、言語として優劣があるわけではないんですね。

 

(田中)体を使った表現ができるのは手話の利点だと思います。

 

(久保沢)手話の特徴を活かしてその場に応じて適切に考えられますけど、日本語でもわかりやすく、美しい言葉は色々ありますからその意味では同じと言えると思いますよ。

 

(根本)ただ記録された蓄積としては日本語の方が断然多いから、もっと僕らも頑張って作っていかないといけないですよね。

 

(皆川)手話でも少しずつ蓄積を増やしていかないと。

 

(田中)教育や職業などどんな分野の優先度が高いですか?

 

(皆川)専門領域ということですね。IT分野はカタカナが多いので手話表現を相談している人たちもいるようです。少しずつろう者の職業選択の幅も広がってきていて各専門分野で日本語を手話にする試みが始まってきて普及が進んでいるかどうかはともかく少しずつ領域ごとの蓄積はされてきているようです。

 

(根本)思いついたんですけど、一番語彙が欲しい分野は「哲学」じゃないですか? 

 

(田中)【喜ぶ】

 

(久保沢)僕らが一番欲しいのは哲学の言葉で、そこを土壌に芽が出るわけだから。初めは半裸で向かい合ってプラトンやアリストテレスとかが対話してて蓄積が長すぎて、逆にずるいと感じてしまいます。

 

(田中)それは手話でも進めて欲しいですね。

 

(根本)哲学対話を半裸で……いやいやそれは失礼だから……。

 

(皆川・久保沢)浴場で集まって対話するってこと!?

 

(根本)いやだからとにかく集まって24時間対話する勢いでやっていけば対話の塵が積もって蓄積になるので。

 

(田中)時間が足りないですね。

 

(久保沢)考える時間ですよね、例えば、日本語の理解に時間が取られすぎるから思考力も精神力もそっちに吸い取られてしまいます。手話対話だったら、時間も気持ちもそのまま、あとは知識の問題だけですし。

 

(根本)集まるための時間が欲しいですよね。

 

(田中)集まる場も大事ですよね。

 

(根本)生活の糧を得ないといけないですから、なかなか難しいところです。

 

(田中)一番やりたいことを決めないといけないですよね。

 

(根本)全部取っ払えてしまえればいいんですけど。

 

(皆川)仕事もなく、地下に篭って議論だけに集中して地上に出たら一年経ってた!とできたら、アイディアも次々生まれるかも。

 

(久保沢)浦島太郎みたいにね。竜宮城で楽しんで、時間がきたらまた日本の聴者社会に帰るという。帰ったらそれまでいたろう者が一人もいなくて青くなる結末ですね。そんな冗談も必要ですよ。冗談からアイディアが生まれることもあるから、映像に残せれば良いですよね。ろう者のみんなも笑えますし。ろう者の作るお笑いや映画とかも今広まっていて、IT機器が身近に普及して今ようやくというところです。

でも先ほどの話で、哲学も手話から手話で考える経験は今みんな必要です。今は日本語から手話だけで終わってしまってそこで満足してる感じですけど大事なのは手話から手話の経験ですよね。

 

手話でじっくり考える時間

 

(根本)楽しいだけじゃなくて我慢して苦しんで考えられる時間が必要です。その後でアイディアが生まれて喜ばしいと感じる経験がないろう者も多くて。

 

(久保沢)それは難しいよね。

 

(田中)聾学校の中でもないですか。

 

(久保沢・根本・皆川)ないない。

 

(田中)ろうの友達同士で新しい手話を作ったり、対話したりとかも?

 

(根本)社会からの圧力が大きいですし、先生のいうことを聞く必要があって、基本的には先生の言うことに対して「そうか」と。ほぼ聴者の先生だから、友達との手話での対話が正しいと思いたいけど思えない環境のまま終わってしまうんですよね。僕らの考えは消えるわけではなくて、あるにはあるけど議論が構築されていくでもなく、そのままになってしまうんですよね。先生に言われるまま行動し続ける一方で、手話の芽はそのままなんです。気付くともう高三で卒業して、聴者のいる社会で右往左往する生活が始まって。

 

(久保沢)待つのが難しいですよね。学校では時間割が決まっていてそのまま進める癖がついていて、成長しても待つことができなくなるから、待たないといけないですよね。職場で、子どもが考えている間は僕ら職員は待ちます。集中してる時は目が違いますから、視線が合うまで話すのは待つんですよね。頭の中で考えを巡らせているところだから、それを無視して次に進めると、追い立てられるだけで子どもの思考が中断されるんですね。

頭の回転が速い子もいれば、ゆっくりな子もいるから、子どもに合わせて待ってあげられる場所がないんですよね。

 

(根本)哲学の時間で待ってもいいですよね、皆で輪になって哲学する場があれば。

 

(田中)哲学は良いきっかけになり得るかもしれませんね。

 

(根本)田中さん、頑張ってください!

 

(久保沢)田中さんが哲学は面白いよって広めないと。

 

(田中)皆さんと一緒に今日も哲学対話ですから。

 

(皆川)今日のこの場が良いきっかけになってありがたいです。

 

(田中)皆さんのお話興味深かったです。後で記録をまた見返してまとめてみます。

 

(根本)今回は録画は大丈夫ですよね……。

 

(田中)大丈夫だと思われます。

 

手話から日本語に翻訳したものを後ほどご確認お願い致します。わからないところも多いかと思いますので……。

 

手話から日本語へ

 

(皆川)手話で構築されていく対話の内容と相応する日本語を作り出せるのは田中さんの技術という感じがします。手話の内容を要約しているわけではなく、ちゃんと同じ内容で翻訳できるのは日本語から引き出す技術なんだと思います。

 

(久保沢)手話の表現通りに頭から訳していくやり方が多いですけど、それだと翻訳された後の意味が違ってしまうことが結構あって。田中さんの翻訳は語彙単位ではなくてシームレスに流れるように続くから、翻訳されたものは確かに日本語なんですけど、意味は元の手話と同じなんです。文として続くから、手話の抑揚がちゃんと残ってて。全体を意味として捉えて、躍動感のある日本語に翻訳されている感じです。以前田中さんの文章を読んだときの感想ですね。

 

(田中)ちょっとプレッシャーですね……。

 

(根本)今まで読んだ文章と違ってイメージが湧くから不思議なんですよね。イメージと結びつけやすい文というか。以前、田中さんと哲学対話した後の翻訳も、これまで見てきた翻訳と違って手話で話した内容がそのままだから、ちょっとギョッとしたんです。良い意味でですよ、もちろん。

 

(皆川)こんなことできるんだ!って感じですね

 

(田中)何が違うんだろう……。読み手を想像してますかね……。

 

(根本)相手を想像して一緒に見てるような文なんじゃないかと思います。それは哲学の強みであり、効果なんじゃないですかね。意味の本質を捉えた上で文章を考えることができるのは。それは本質というより、共同で捉えられる対象に文を作っている感じです。自分の視点で改変するんじゃなくて、他者と一緒に捉えられる意味を文にしていくから、さっき話した内容のままだ!ってびっくりするんです。

 

(田中)読み手も対話者と同じイメージを持てるような文にできたらいいかなとは思います。文だけ読んでも、手話で話されたイメージが伝わるような感じですね。今回も同じようにできるかはわかりませんが……。

 

(久保沢)今まで意識してなかったのに、次から皆同じイメージ持てるかなとめっちゃ考えちゃいますよね。

 

(根本)それはまずい。田中さんを褒めるのは以上です(笑)

 

(田中)ふふふ……今日はどうもありがとうございました!

 

動画の記録

⚫︎その1 自己紹介 https://youtu.be/mQ-msBpzQ-Y

⚫︎その2 記憶の引き出し方 https://youtu.be/lQln_IzSyl4

⚫︎その3 説明のための記憶の並べ方 https://youtu.be/pIJ0foX–6I

⚫︎その4 手話から手話へ https://youtu.be/oM6p0nOFfJE

この投稿文は次の言語で読めます: 英語